医療と経済学を巡る議論のアナロジカルな共通点

コロナ禍という未知の事態に放り込まれた医学界では、対策の方針や見解を巡って専門家と非専門家が入り混じる形で侃侃諤諤の議論がなされている。これはどこかで見た光景だな、と思ったら、既に過去のものと思われたデフレ不況が日本のみならず先進国世界で生じそうになるという状況に直面した経済学における議論に似ていなくもないことに気が付いた。以下では、特にアナロジカルに似ていると思った両者の論点を思いつくままに並べてみる。

  • マスクと量的緩和――効果の認識の変遷
    • 当初、マスクの網目に比べてウイルスはあまりに小さいので、感染者が飛沫を飛ばすのを防ぐ点でマスクは効果があるが、ウイルスを吸い込むのを防ぐ点では効果が乏しい、という話があった。しかしその後、飛沫を吸い込むのを防ぐという点でも効果があることが分かり、マスクの重要性が再認識された*1
    • 量的緩和の効果についてバーナンキは「QEの問題点は実際には効果があるのに理論上は効果が無いことだ(The problem with QE is it works in practice but it doesn't work in theory)」という有名なセリフを吐いたが、その後、当のバーナンキが、「QEは無効である、という強い見解はかなり決定的に棄却されている。QEは金融環境に明白な効果を及ぼす有用なツールであることが明らかになった、という幅広いコンセンサスが存在するように思われる」と、量的緩和の有効性について学界の合意が形成されたことを強調している
  • PCR検査と財政出動――リソースや実行可能性に関する議論
    • PCR検査については、リソースや実行可能性への懸念と、検査自体に治療効果は無いことから、大規模に実施することについて主流派の医療関係者はやや消極的であった。それに対し、リソースや実行可能性の問題はいずれも解決可能なものであり、過度の検査抑制が感染者の診断の遅れと重症化や死につながった、とする人々から激しい反論がなされている。
    • 財政出動については、財政赤字の拡大や政府債務の積み上がりを懸念し、予算制約を考えたら限界がある、というのが従来からの日本の主流派の議論。それに対し、MMTに代表されるような財政出動派は、財政赤字や政府債務は懸念するに及ばず、人々の生活を考えたらそれを徒に懸念して緊縮策を取ることは悪である、という激しい反論がなされている。
      • PCR検査のリソースや実行可能性は当然ながら国の財政の出動余地にも制約されるので、これはアナロジカルに共通しているだけでなく現実世界でも強く結び付いている論点と言える。
  • ワクチンの副反応とインフレリスク――確率の低い出来事に関する議論
    • ワクチンの副反応による死亡は統計的に有意ではなく、接種のメリットはデメリットを上回る、というのが主流派の議論。それに対し、統計的に発生確率が有意でなくても強い症状が生じた人や死に至った人にはワクチンの副反応以外に原因が考えにくいケースがあり、そうしたケースを統計学ないし科学の名のもとに一概に否定するのではなく、きちんと認識すべき、という議論がある。
    • 自国通貨を発行している国では、拡張的な金融財政政策で激しいインフレが生じるリスクは低い。リスクよりも便益の方が大きいので、そうした政策は推進すべき、というのが拡張派の議論。それに対し、インフレの発生リスクをきちんと認識すべき、という議論がある(これについては最近サマーズクルーグマンの議論が想起されるが、同じサマーズ=クルーグマン論争でもここで紹介したものの方が両者の考えの本質的な差異が明確化されているように思われる)。