政府の支出乗数はショックの符号に依存するか?

というNBER論文が上がっているungated版へのリンクがある著者の一人のページ)。原題は「Do Government Spending Multipliers Depend on the Sign of the Shock?」で、著者はNadav Ben Zeev(ネゲヴ・ベン・グリオン大学)、Valerie A. Ramey(UCサンディエゴ)、Sarah Zubairy(テキサスA&M大学)。
以下はその要旨。

We analyze whether government spending multipliers differ by the sign of the shock. Using aggregate historical U.S. data, we apply Ben Zeev’s (2020) nonlinear diagnostic tests and find evidence of nonlinearities in the impulse response functions of both government spending and GDP. We then extend Ramey and Zubairy’s (2018) framework to allow for asymmetric effects as a type of state dependence to estimate multipliers. While we find differences in the impulse response functions, the resulting multipliers do not differ by sign of the shock. Thus, we find no evidence of asymmetry of government spending multipliers.
(拙訳)
我々は政府の支出乗数がショックの符号によって異なるかを分析した。米国のマクロの過去データを用いて我々は、Ben Zeev(2020*1)の非線形診断テストを適用し、政府支出とGDPの両方について、インパルス応答関数の非線形性の証拠を見い出した。次に我々はRamey=Zubairy(2018*2)の枠組みを拡張し、乗数を推計する状態依存の一種として非対称的な影響を許容した。インパルス応答関数には違いを見い出したものの、結果として得られた乗数はショックの符号によって違いは無かった。従って、政府支出乗数の非対称性の証拠は我々は見い出さなかった。

*1:cf. これ

*2:cf. これ

予算のトリレンマ

マンキューのブログエントリからもう一丁

A wise economist of the center left recently suggested to me that the Biden administration faces a trilemma: They would like to (1) increase spending on programs they consider important, (2) not raise taxes on those making less than $400,000 a year, and (3) put fiscal policy on a sustainable path. But the stark reality is that they can have only 2 out of the 3.
The President's just released budget chooses to forgo fiscal sustainability. As the Committee for a Responsible Federal Budget notes, even under the unlikely scenario that the President gets everything he wants through Congress and his economic projection turns out to be correct, "debt would hit a new record by 2027, rising from 98 percent of GDP at the end of 2023 to 106 percent by 2027 and 110 percent by 2033."
(拙訳)
中道左派の賢明な経済学者が最近、バイデン政権はトリレンマに直面している、と私に示唆した。彼らは、(1)自分たちが重要と考えるプログラムへの支出を増やしたい、(2)所得が年40万ドル以下への課税を引き上げたくない、(3)財政政策を持続可能な経路に乗せたい。しかし厳しい現実は、彼らは3つのうち2つしか達成できない、ということである。大統領から先ほど公表された予算は、財政の持続可能性を諦めることを選んだ。責任ある連邦予算委員会が言うように、大統領が議会で自分の欲しいものすべてを手に入れ、彼の経済見通しが正しいことが判明するというありそうにないシナリオの下でも、「2027年には債務は記録を更新し、2023年末のGDPの98%から2027年には106%に上昇し、2033年には110%になる。」

マンキューの見たシリコンバレー銀破綻

マンキューがブログでシリコンバレー銀破綻について5つのポイントを指摘している

  1. シリコンバレー銀の破綻は、我々が史上最大の債券の下げを経験したことと密接に関連しているように思われる。即ち、同銀は金利に無分別な賭けを行って、非常に不運だった。
  2. 一部の識者の解説に反し、ドッド=フランクを2018年に緩和したことは話の大きな一部ではないように見える。規制当局者のストレステストにおける「非常に悪化したシナリオ」は、大きな債券の下げを織り込んでいなかった。その代わり、金利低下を伴う不況を描写していた。即ち、規制当局者は同銀が行っていた無分別な賭けを捕捉していなかった可能性が高い。
  3. すべての銀行預金を保証することによるモラルハザードを私は特に懸念していない(ただ、預金保険の拡大は、今進行しているような暗黙でアドホックな過程を通じてではなく、明示的に行われるべきである)。銀行の預金者が銀行の健康状態を監視するのを期待するのは現実的ではない。むしろ大きな額を持つ洗練された預金者は、預金を25万ドルごとに多くの銀行に分散するだろう。単一の銀行に大きな額を残していた預金者は、顕示選好が示すところでは、洗練されていない。
  4. 規制を改善すべき、と人々は言う。当然ながら、それは言うは易く行うは難し、である。努力はすべきだが、監督が大いに改善することを期待すべきではない。
  5. こうした問題を避ける最も単純な方法は、銀行に資本を積み上げさせることである。そのことは、預金保険料を資本資産比率にもっと連動させることや、それと似たような動きで達成できるかもしれない。

サマーズ対ブランシャール:今後の金利を巡る議論・その4

サマーズとブランシャールの対談からの議論の引用のラスト。最後は、司会のポーゼンからの求めに応じて、r-gと財政政策について論じている。

【ブランシャール】

  • プラスのr-gは、動学がかなり思わしくなくなったことを意味している。財政政策発動の余地は小さくなる。
  • たとえr-gが今はマイナスだとしても、将来恒久的に符号が変わる可能性があるならば、それを考慮に入れ、今は良い時だが今後は厳しくなる、と認識することになる。それが意味するのは、財政政策にはかなり慎重になるべき、ということだ。平凡な回答だが、これは正しい回答だと思う。


【サマーズ】

  • 数年前、コロナ禍後、バイデン政権成立前に、人々は2024年までゼロ金利が続くと考えていたが、その時に自分とジェイソン・ファーマンは、連邦負債の実質金利負担がGDPの2%以下で、かつ、急速に増加していないならば、それなりに良いところにいる、と論じた*1
  • もし実質金利負担がGDPの2%を超えた、ないしその方向に向かっているならば、大いに憂うべき。この基準はgよりもrに基づいているので、正確な基準ではなく、米国の状況に応じたものと言える。その基準に照らせば、米国が1.5%の実質金利と130%の債務GDP比率に向かっているならば、対処すべき重大な問題が待ち構えている、ということになる。
  • ということで、裏付けのない支出をするならば、ほぼ間違いなく過ちを犯している、と私は思う。予算において、予見されていない平均的に悪しき出来事の発生に備えていないならば、それは間違いである。そうした出来事は歳出の増加や歳入の喪失を招く。我々は、機会ごとに、財政赤字を増やすよりも減らすべきである。
  • 2017年時点の自分は、そうしたことをすべて考慮しても、我々は長期停滞にいるので拡張的な財政政策が望ましい、と言っただろう。次の5年については、そうしたことをすべて考慮して、財政拡張を抑えるのが望ましい、と言いたい。それ以降については分からないが、方向性は変わらないのではないかと思う。


【ブランシャール】

  • コメントを2つ。サマーズ=ファーマン提案は良いと思う。動学方程式を考える場合、r-gを債務GDP比率に乗じたものが重要になる。それを賄うことができれば、即ち基礎的財政収支を保っていれば、問題ない。
  • ただ問題は、rは年ごとに大きく変動するため、この変数には、ある年は良いように見えてもその後は良くなくなる、という可能性があること。債務水準を見るよりもこちらの変数を見る方が良いと思うが、変動が大きいので使い方が難しい、という難点がある。


【サマーズ】

  • ブランシャールの言う金利の変動性については、借り入れが長期になると問題が少なくなる、という側面がある。借り入れコストを固定化できるからだ。
  • そして私に言わせれば、コロナ禍の最初の3か月のQEは大きな間違いだったと思う。世の中の賢い企業財務担当者が皆、債務を長期化して低い長期金利を固定化していた時に、米国や他の多くの国の政府は、事実上、長期債務を買い戻して短期債務を発行していた。時価評価のコストは1兆ドル近くになっているのではないかと思う。こうした過ちは繰り返すべきではない。


【ブランシャール】


最後にブランシャールが、ここでサマーズに一蹴されていったん引き下がっていたインフレ目標引き上げ論を最後っ屁のようにぶちこんできたのが面白いと言えば面白い。

*1:cf. これ

サマーズ対ブランシャール:今後の金利を巡る議論・その3

引き続きサマーズとブランシャールの対談からの議論の引用。一連の会話の中で両者は折に触れて基本的に意見が一致していることを強調しているが、それとは裏腹に、最初のエントリで触れたリスクプレミアムと金利を巡る議論で両者の考え方の違いが露わになったほか、今回紹介するインフレ目標引き上げを巡る議論でも両者の意見の違いがかなり尖鋭化している。

その議論は、インフレやインフレ目標の先行きとその長期停滞への影響について司会のポーゼンに問われたことから始まった。以下はそれに対する両者の回答ならびにその後の議論のざっくりしたまとめ。

【サマーズの回答】

●人々のインフレ予想の変化について
インフレが今後高くなると人々が考えた場合、名目金利やリスクプレミアムが高くなると考えるものの、実質的な影響はあまりないと考えるのではないか。そのことを長期停滞という言葉とどう関連付けたいのかが私には分からない。2018-19年に長期インフレをどのように見通していたにせよ、当時は起きると思われなかった高インフレの数年間を経たのだから、今後のインフレへの見方は範囲が広がっているだろう。学界の経済学者の半分――自分は含まれない――は、インフレ目標を正式に、もしくは事実上、3%に引き上げたいと考えているが、それによって実際にそうなる可能性が高まり、インフレも上昇する、と人々は考えるようになる。2%インフレ目標は、到達すべき上限から、長期で達成すべき平均に、そしてインフレの推移の底値において触れたい下限へと変移している。そうした推移のため、予想インフレは以前より高くなったと私は思う。
●サマーズ自身の今後のインフレと金利の予想
経済が本質的により硬直的になり、その硬直性のために動かないものが多くなったと思うなら、インフレを潤滑油や減摩財として使う理由が増える。コロナ禍前は、今後10年間インフレが2%を下回る期間が相当あると考えていたので、平均2%になると考えていた。今日では、私の予想インフレは2.5%ないしそれ以上で、その前提として4%か5%になるテールリスクがあると考える。そのテールリスクのため、2%を大きく下回る可能性は低いと考える。従って実質金利が1.5-2%ならば、2.5%のインフレと、幾ばくかのリスクおよびタームプレミアムを織り込んで、短期金利は平均4%、長期金利は従来のスプレッドが再び顕在化するとしてそれより100ベーシスポイント高くなるだろう。つまり、金利は4%から5%になると予測する。


【ブランシャールの回答】

●3%インフレ目標
サマーズの平均して2.5%というインフレ予測に同意。金利の4-5%という予測については、実質金利をどう見るかに関わってくるので、次の点を指摘しておきたい。即ち、過去の経緯が無ければ、インフレ目標を3%にするのは極めて理に適っており、それに反対できる経済学者はいないのではないか。インフレ目標が1%高ければ、他の条件が等しければ名目金利も1%高くなり、いざという時の金利引き下げ余地も1%多くなる。それは我々が実施したQEの効果に概ね相当する。つまり、誇張して言えば、1%余計に引き下げることができれば、QEをやらなくても済んだということだ。まあ、QEやその他の複雑な緩和策にもやるべき理由があったにせよ、インフレ目標を2%から3%に変えることのメリットは、金融政策の実行余地および物価面で大きい。ちなみに私はかつて4%目標を主張したこともあったが*1、それは高過ぎて、人々がそれを織り込むとFRBないし中銀一般の仕事を却って難しくするという結論に至った。なので、今は3%を主張する。
●3%インフレ目標導入の難しさ
ただ、FRBがこれを実施することには、インフレ抑制のスタンスへの信認が危うくなるというリスクがある。インフレ目標を3%まで引き上げるがそれ以上は引き上げない、と言っても信用されるのはかなり難しい。FRBは、一切引き上げることはない、と言うべきではないが、引き上げについて話すべきでもない。それが望ましい時期がいずれ来るかもしれない、と言うべきなのではないか。一方、自分のような責任を持たない外野はこの問題を論じることができるが、同時にFRBが今この問題を論じることについて強硬なスタンスで反対していることも理解している。これは規範的、記述的な話なのだ。
●インフレ低下時の議論の可能性
仮に1年後にインフレが3%まで下がった場合、FRBがそこで、経済を不況に陥れると言わないまでもさらに減速させてまでインフレを2%まで下げるか、という議論が生じるだろう。そこでFRBが、よし分かった、君の言う通り3%にしよう、と言ったとしても私は驚かない。あるいは2-3%の範囲、もしくはサマーズの言う2.5%にするかもしれない。そうしたことについて今から考えておく必要がある。


【ブランシャールの回答へのサマーズの反応】

  • ブランシャールと同じ立場には立てない。理由は以下の通り。
    • ブランシャールや他の多くの人々ほどに自分は、ゼロ金利下限を回避するための高インフレの効能に納得していない。
      • 実質金利を極めて低位ないしマイナスにすることの有効性をそれほど感じていない。投資刺激効果は限られるのではないか? 金利がー2%の時に実施しないが-3%の時に実施する企業の投資にさほど価値や社会的意義があるとは思われない。ゾンビ企業蔓延と金融バブル生成のリスクの方が大きいのではないか。
      • 従って、金融政策が唯一の安定化政策だと考え、それを使い倒せるようにしておこう、という考えは的外れのように自分には思われる。
    • 3%インフレだと一世代で物価は倍増する。その状態は物価の安定とは呼べない。
  • また、インフレが3%まで下がった段階で、このくらいが良さそうだからここに落ち着こう、ということになると、その後に経済は回復してインフレは少し上昇するだろう。すると結局、3%は下限になる。そうしたやり方は危ういので、2%は堅持し、2%に到達する速さに曖昧性を持たせるのが良いのではないか*2インフレ目標を引き上げるよりは、以前議論のあった機会主義的なディスインフレ*3の方が良いと思う。


【ブランシャールの応答】

  • IS曲線の傾きが急になったという点についてはサマーズに同意*4。従って金融政策は使いづらくなり、効果を出すためには多量に使わなければならなくなった。しかも不確実性が大きい。ということで、自分の近著におけるテーマの一つは、減速して政策金利がゼロになった経済では財政政策がもっと積極的な役割を演じるべき、ということだった。確かに1%は魔法の解決策ではなく、金利が文字通りゼロになる前に財政政策の積極的な活用を考えるべき。

*1:cf. 例えばここでリンクした論文。

*2:cf. ここで紹介したインタビューでもサマーズは同様の議論を展開している。

*3:例えばこの論文で提唱されているやり方のことか。

*4:cf. 最初のエントリでのサマーズの議論。

サマーズ対ブランシャール:今後の金利を巡る議論・その2

前回エントリの続きとして、サマーズとブランシャールの対談から、グローバル化ないしその逆転現象の中立金利への影響に関する議論を紹介してみる。

  • サマーズ:これまで米国に焦点を当てた話をしてきたが、それによって視聴者に少し誤解を与えたかもしれない。実質金利はグローバルな事象であり、そのことで両者の見解は一致していると思う。ただ、資本の輸入国と輸出国では実質金利に乖離が生じる。仮に米国が閉鎖経済ならば、海外に需要が逃げていかないので、実質中立金利は高くなる。
  • ポーゼン(司会者)&ブランシャール:また、閉鎖経済ならば、現在大量に流入している海外からの資本も得られない。
  • ブランシャール:(世界のR*はどの程度米国や中国の動向によって決まるか、という視聴者からの質問に対し)世界市場で決まる。米、EU、日本が閉鎖経済ならば、R*は全く違った経路を辿るだろう。資本の流れが各国のR*をお互いに近付けているのである。数字を見ると、世界は完全にではないものの、かなり統合されている。日本のR*は他国よりも低いといった話はあるが、それでもグローバルな力が働いているのは間違いない。
  • サマーズ:(安全保障上の理由などでデグローバリゼーションが進行すると、どの程度R*に影響するか、という視聴者からの質問に対し)コロナ禍直前にŁukasz Rachelと中立金利などについての論文を書いたが*1、その時に、発展途上国から先進国への資本流入はトータルではゼロと有意に異ならないことを見い出した。我々が中国からデグローバラナイズしたとしても、同国は資本の主要な源泉ではない。バーナンキの言う貯蓄飽和がアジアの恒常的な現象で、資本を我々に輸出し、そしてそれが無くなった、ということならば、そのことは中立金利を押し上げる重要な経路となっただろうが、私はそれが大きな経路だったとは思わない。中国の経常黒字はGDPの10%から数年前に0%近くに落ちている。ということで、デグローバリゼーションの影響で資本流入に大きな影響はないだろう、というのが私の回答だ。欧州や日本との間で大きなデグローバリゼーションが起きるわけではないからだ。先ほど話のあったリショアリングで投資が増えて中立金利を押し上げる効果はあるだろうが、それは大きなものではない。
  • ブランシャール:(同じ質問への回答として)一言付け加えるならば、デグローバリゼーションには財のデグローバリゼーションと金融部門のデグローバリゼーションがあるが、大きなのは財のデグローバリゼーションだろう。ただ、輸出入の減少は、純輸出や資本収支に明確な含意を持たない。従って、それが今後のR*を大きく左右する要因になるとは思わない。

*1:cf. ここ

サマーズ対ブランシャール:今後の金利を巡る議論

ピーターソン国際経済研究所で行われたブランシャールとサマーズの今後の金利動向に関する対談の前半を、トランスクリプトを基にざっくりとまとめてみる。
対談ではまずブランシャールが以下の8項目の論点を挙げて議論の口火を切っている。

  1. コロナ禍以前の35年間に、金融危機のような特定のイベントとは無関係に、世界の実質金利を小幅ながらコンスタントに低下させる構造的な力が働いていた。そうした力が反転したとは考えにくい。
  2. 今日の高金利はインフレとの戦いによるものであり、インフレが無ければ金利はもっと低かった。そしてインフレとの戦いがピークを迎えている今日でさえ、コロナ禍前ほどではないもの、実質金利は成長率より低い。
    • 翌日物金利スワップとインフレスワップから予測される10年先の金利は0.8%であり、これは明らかに10年先の成長率より低い。目先はこの大小関係が逆転することがあるかもしれないが、長期的にはr-gは依然としてマイナス。
  3. 市場心理に関係する話になるが、高インフレ・高金利の環境下で、インフレとの戦いに勝利した後にどうなるかを読むのは難しい。参考に供するため1980年代に遡ってみたところ、82年から85年に掛けて、10年物金利は1年物金利よりかなり高く、スプレッドがあるとはいえ、その差は2.5%だった。当時も市場は後でどうなるかを読み解くのに苦労していた。従って、正しい金利はさらに低い可能性がある。
  4. 市場の投資家に耳を傾けるべきではあるが、完全に信用するべきではなく、自分でいろいろ調べるべきである。サマーズと自分が実際に分析してみた結果、金利低下の背景には、高貯蓄、資金供給の多さ、投資の低迷、資金需要の低迷、安全資産への需要の多さとそれによる安全利子率の低下、と言った要因の組み合わせがあることが分かった。ただ、サマーズは同意しないかもしれないが、犯人を絞り込むことはできなかった。それらすべての要因がそれぞれ何らかの役割を演じたように思われるが、正確にどういう役割を演じたかは分かっていない。将来予測のためにはそれらの要因の動向を考察する必要がある。
  5. 要因の一つである需要の動向をみると、現在はかなり反発力が強く、FRBは経済を減速させるのに苦労している。構造的な需要が以前より増加しているため、金利を高くする必要が生じている。だが、その需要の増加は、過去数年の財政政策がもたらした過剰貯蓄によるペントアップ需要とみられ、高金利を今後も継続させるものではない。
  6. 民間貯蓄について言えば、それがコロナ禍前に大きな役割を演じたのは、平均寿命が延びたことが原因。退職後の期間が長くなったので、貯蓄の必要が高まった。そうしたライフサイクル貯蓄が、収入が増えたことと相俟って、貯蓄を押し上げた。その傾向は今後も続くと思われる。
    • 新興国発展途上国では出生率が下がっているため、一見、貯蓄も低下するように思われる。だが、中国のように子供を老後の保険と考えている国からすると、むしろそれにより自身の貯蓄の必要性が高まったことになる。
    • 関連する話として公的部門の貯蓄取り崩しがあり、これについてはサマーズから後ほどコメントがあると思うが、それによる債務の増加は均衡金利の上昇につながる。その点について2点指摘しておく。
      1. 財政赤字の大きさに鑑みて、債務が例えば2019年に比べて大幅に増えたと思われるかもしれないが、インフレによる名目債務の目減りがあったので、実はそれほど増えていない。
      2. ただ、先行きについては心配。EUについては財政再建の取り組みがあると思われるので心配していないが、米国の予算プロセスには問題がある。それにより債務が今後増加し、5年ないし10年後の中立金利は上昇する懸念がある。
  7. 安全資産の需要については、様々な理由により増加してきた。大きな理由の一つは規制の徹底で、金融機関が流動性の保持を求められた結果、安全資産を保有するようになった。この傾向は変わらないとみられる。
  8. 投資については、コロナ禍前は弱く、それが中立金利が低い一因だった。今後の動向については、サマーズも自分もその重要性をどう見るかで苦闘している。投資が伸びるであろう要因は数多くあり、AI等で全要素生産性が高まることがその一つである。その場合、gが高まると同時にrも高まり、r-gがどうなるかは一意に決まらない。それ以外の投資を押し上げそうな要因としては、リショアリング、国防費、グリーン投資がある。国防費とグリーン投資は部分的には債務で賄われることになるだろう。温暖化対策は特に大きな投資が必要になり、グロスで(訳注:GDPの)2-3%、ブラウンエネルギーへの投資の減少を差し引いたネットで1-2%になるだろう。いずれの要因も金利を上昇させるため、金利がコロナ禍前のマイナスの水準に戻ることはないだろうが、rはgを下回り続けるのではないか。


これについてサマーズは概ね以下のように応じている(ブランシャールの近著への反応も含まれているようである)。

  • ブランシャールがr-gがマイナスであることを長期停滞の条件と定義しているようだが、自分はそのように定義しない。
    • 実質中立金利FRBは0.5%と見込んでいるが、それよりかなり高い可能性がある。ブランシャールはgを2%弱、rをそれより低いとしている。仮に実質中立金利が1.5%とするならば、金融危機後のパターンからは随分外れている。
    • 1950年代と60年代の大半もrがgを下回っていたが、当時は慢性的な需要不足を財政政策で埋めるべき長期停滞の期間とは思われていなかった。
  • 今後の中立金利の動向については、次のように考えられる。FRB金利を既に400ベーシスポイント以上引き上げ、予想インフレがこれ以上上がらず、むしろ下がるであろうこれからにおいて550ベーシスポイントまで引き上げると予想されている。にもかかわらず、経済は人々の予想ほど減速していない。これは人々のベイズ的な事前分布に以下の2つのいずれかの方向で影響する:
    1. 中立金利は思っていたよりも高い
      • 中立金利を押し上げた要因の一部は一時的なものかもしれないが、全部がそうと考える理由はない。
    2. IS曲線は思っていたよりも傾きが大きい
      • 即ち、需要の金利反応度は思っていたよりも小さい。その場合、貯蓄が減少、もしくは投資が増加したならば、それを相殺する金利の上昇は大きくなり、今後の中立金利が高いことを示すことになる。
  • リスクテイキングと貯蓄、投資の問題について考える際、リスク回避についてブランシャールは混乱しているように思われる。株式益利回りと金利の差は最低水準に下がっており、それ以外の株式のリスクプレミアムの実証的な推定値も極めて低くなっている。信用スプレッドや不動産のマルチプルも同様である。市場はリスク回避が低い形で行動しており、他の条件が等しければ、これは安全利子率が高いことを意味する。しかもこれらは短期ではなく長期の指標である。
  • ライフサイクルについてはチャールズ・グッドハートの考え*1が良いように思われる。平均寿命の上昇傾向は顕著に鈍化している。問題なのは平均寿命と退職年齢の差だが、米国で高齢者の労働参加率は有意に上昇傾向にある。その一方で、ライフサイクルにおいて重要な高齢者の非高齢者に対する比率、即ち貯蓄取り崩し者の貯蓄者に対する比率は、出生率の関係で今後顕著に上昇する。従って、ライフサイクルの観点から見た貯蓄の方向性は一意には決まらない。
  • 財政リスクをブランシャールは過小評価していると思われる。彼は債務GDP比率が今後10年で20%ポイント上昇するというCBO予測を引用しているが、その予測は今後も10年物金利が3%以下に留まり、FF金利が2.5%前後で定常状態にあることを仮定している。つまり、多くの点でそれは結論を仮定しているのである。仮に金利を3.5%とすると、債務GDP比率の118%は130%になる。また、2025年のトランプ減税撤廃は完全撤廃とは程遠い形で終わる可能性が非常に高いと自分は考えているが、その場合、債務GDP比率はさらに10%ポイント上昇する。さらに国防費の増額もある。冷戦のある場合と無い場合ではその差は簡単にGDPの3%に達するだろう。GDP比の歳出が1%上昇すると、債務GDP比は5-10%上昇する。従って、ブランシャールの言う債務GDP比率の20%の上昇が倍になることも想像に難くない。
  • 債務GDP比率が金利に与える影響については信頼できる計量経済的推定はないが、GDP比1%につき3ベーシスポイントというのは良い経験則のように思われる。すると金利は100ベーシスポイント上がることになる。そのほか、フローの財政赤字も同程度の影響を金利水準に及ぼすと考えられる。
  • 投資については、グリーン投資が増えるだろうし、グリーン投資が増えなければブラウン投資が増えるだろう。資本ストックにおける陳腐化したストックの割合は、経済が回復し、情報技術の更新の必要性があるために上昇していると思われる。従って、投資額が下がる可能性は低いと考える。
  • ブランシャールと自分が1943年にいたならば、第二次大戦後の長期停滞の復活を恐れただろう。当時の賢明なケインジアン経済学者は皆、長期停滞が戻ってくると確信していた。それは誤りだったが、その理由は、資産の積み上がりと、戦争中の習慣の変化が人々が思うより持続的だったことにある。


この後、両者は、最初のプレゼンで交わされた各テーマについて以下のように論じている。

  • 需要の反発力について
    • ブランシャールは、IS曲線の傾きが急になった、というサマーズの主張に対し、過剰貯蓄という特別要因によるもの、という主張を維持。
  • リスクプレミアムについて
    • ブランシャールは、リスクプレミアムもしくは流動性ディスカウントが小さくなったことを認めつつも、それが構造的なものか、それとも株式市場が金利上昇を完全に織り込んでいないせいかは不明、と論じる。
    • サマーズはそれに反発し、その点は両者の唯一の根本的な意見の違いだと言う。株式リスクプレミアムにしろ信用スプレッドにしろ低下傾向にあり、他の条件が等しければ金利はそれによって押し上げられる。従って今から金利がまた下がるはずはない、とサマーズは言う。
      • サマーズはそこで、ブランシャールのMITの同僚*2金利低下の説明として提唱する安全資産不足やリスクプレミアム変化の理論は説得力を欠く、とも述べている。
    • これに対しブランシャールは、金利がまた下がることを求めているのではなく、少し上昇する前の低水準に留まることを求めているのだ、と反論している。
      • サマーズのMITの同僚へのディスりに対してブランシャールは、その理論はMITに留まるものではない、と反論している。また、この議論は10年以上続いているので、サマーズが安全資産需要ではなく貯蓄=投資でこの件を捉える人間だということは承知している、とも述べている。
  • 投資について
    • ブランシャールは、投資について以下のように補足している。
      • 国防費の過去の推移(朝鮮戦争時にGDPの14%、アフガニスタン戦争時に7%、現在は3%)や、ウクライナで多くの戦車や戦闘機が必要になったという経験に鑑みて、それが地政学的環境が悪化した際に3%から5%に上がる可能性はある。
      • 現段階ではブラウンにしろグリーンにしろエネルギーへの投資は低い。ブラウンはいつまで存続が許されるか分からないし、グリーンはゲームの規則の不確実性が大きいためである。投資が本格的に始まれば中立金利を押し上げるだろうが、今はまだ投資の先行きの振れ幅が大きい。
    • サマーズは国防費について、税によって賄われるか否かで財政赤字が変わり、貯蓄水準が変わってくる、という点を指摘している。また、バイデン政権の税額控除について、政権の言うように1ドルにつき2-3ドルの追加的な刺激効果があるならば、相当額の投資が出てくることになる、という点も指摘している。


議論の後半では、グローバル化の影響や、インフレ目標の水準などについて論じられている。

*1:cf. 例えばこれのことか。

*2:おそらくそのうちの一人はカバレロのこと(cf. ここ)。