2人がただ率直に異なる意見を持つことはもはや不可能なのか?

昨日紹介したクルーグマンの批判に対し、Tim Taylorが反論している。反論のポイントは概ね以下の通り。

  • クルーグマンは長期停滞論を需要不足の問題としているが、それは自明ではない。長期停滞論を1938年に創始したアルヴィン・ハンセンは、投資不足が継続的な停滞をもたらすという彼自身の懸念について、以下の3つを理由として挙げていた:
    1. 発明の不足
    2. 新たなリソースの発見の不足
    3. 遅い人口成長
  • 即ち、長期停滞論の創始者その人が、需要量だけではなく、発明や開発のためのリソースが発明のインセンティブに影響すると考えていた。今日の長期停滞について論じる者の多くも、需要以外の側面について論じている。
  • 財政刺激策についてクルーグマンは、ARRAがGDPの2%であったことを以ってGDPの2%しか無かったと論じたが、ARRAだけが財政刺激策だったわけではない。2009-2012年の4年間の各年の財政赤字GDP比率(それぞれ9.8%、8.7%、8.5%、6.8%)は、第二次大戦中を除けば、1930年以来最大のものだった。景気循環を調整したCBO推計値でもその4つの値は第二次大戦後最大となっている。その結果、債務GDP比率は2008年の36%から2013年の72%に36%ポイント上昇したが、それはレーガン政権、ジョージ・W・ブッシュ政権、大恐慌期の財政支出による上昇幅*1より大きく、1941年から1945年の上昇幅*2の3分の2に相当する。
  • なお、テイラー自身は、そうした財政支出政策は全般において有用で価値ある政策だったと考えている。クルーグマンは2009-2012年の財政刺激策は「明らかに小規模だったが、非常に上手く機能した」と考えているが、テイラーは「概ね適正な規模で、まあ上手く行った」と考えている。テイラーは、財政赤字を急いで削減しなければならない、とは思わないが、ただ、より大規模で継続的な財政赤字が長期停滞問題の解決策になるとは考えていない。
  • 金融政策についてテイラーは、大不況期における金利引き下げと量的緩和を支持したが、それらの政策の実施期間が長過ぎたのでは、という懸念を表明した。一方、クルーグマンも、流動性の罠においては金融政策の効果が落ちることを認めている。従って、金融政策が現状において需要を持ち上げるのに力不足であるという見解についてテイラーがクルーグマンに批判を受ける謂れは無い。
  • 後続のエントリでクルーグマンは反景気循環策としての財政政策について論じているが、それはもはやテイラーが提起した論点とは違ってきており、藁人形論法*3となっている。反景気循環策としての財政政策の重要性にテイラーは同意するが、不況期におけるその重要性は、長期的な投資不足と長期停滞に陥る危険性に直面した5%の失業率を抱える経済においてもそれが同程度に有用な政策であることを意味するわけではない。また、このエントリでクルーグマンは、政府の雇用者数の変化を財政刺激策の代替変数としたが、その適正性については読者が判断されたい。さらにクルーグマンは、テイラーが歴史を捏造したと批判したが、それについても読者の判断に委ねる。


この反論の中でテイラーは、クルーグマンから自分に向けられた「cowardly, subject-changing, evasion, dereliction, etc.」という批判の言葉を何度も繰り返して怒りを行間に滲ませており、表題の疑問(原文は「Isn't it possible any more that two people just honestly disagree?」)を投げ掛けている。

*1:それぞれ1981年の25.8%から1988年の41%への約15%ポイント、2001年の32.5%から2008年の40.5%への8%ポイント、1930年の18%から1940年の44%への26%ポイント。

*2:42.3%から106.2%の54%ポイント。

*3:テイラー自身はこの言葉を使っていないが、意味合いとしては明らかにその言葉に相当する反論を展開している。