長期停滞を巡るクルーグマンとサマーズの意見の相違

クルーグマン10/31エントリで、サマーズは長期停滞について4年前と意見を変えたようだ、と書いた。するとサマーズが、確かに以前より長期停滞を重視するようになったが、クルーグマンはその変化を誇張している、とWaPo紙上で苦情を申し立てたクルーグマンの言う4年前とは、米国は日本型の経済停滞に陥るか、というテーマで開かれた討論会を指しているが、そこでサマーズは、日本には日本固有の4つの問題があったことを指摘したという。即ち、問題の規模、問題の構造的な根の深さ、世界の他の国と比べた先行きの問題、こうした問題に対処するシステムの弾力性の問題、である。そのため、米国の問題は日本ほど深刻ではない、と討論会で述べたとの由*1


その上でサマーズは、そもそもクルーグマンとは以下の2点について意見が違う、と書いている。

  1. 需要と成長にとって構造問題が重要である場合が多い
    • 企業の信頼感は最も安上がりの刺激策だ、と以前から主張しているとの由。
  2. 有名なクルーグマン流動性の罠論文をそれほど評価していない
    • この論文は、「缶切りがあると仮定しよう」という経済学者の性向の典型例だとサマーズは考えている。
    • クルーグマンの論文における流動性の罠に嵌まった経済は、将来のある時点でデウス・エクス・マキナにより救い出されることになっている。クルーグマンが指摘したのは、その時点より後に十分にインフレ的な政策が採られると仮定すれば、デウス・エクス・マキナ時点より前の事前的な実質金利を、経済を刺激するのに十分なだけ引き下げられる、ということである*2
    • それは真であり、重要な洞察ではあるが、デウス・エクス・マキナないし缶切りがどこにあるのか、という肝心な問題を省略している。自分が提唱している長期停滞とヒステリシスの考えの基本は、不況に陥った資本主義経済が時間さえ経てば通常に戻るという保証は存在しない、ということである。この現象を理解し対処することは、現代における中心的な課題である。
    • こうした観点からすると、以前の均衡に戻ることを仮定した分析は、いかなるものであれ、肝心な点を外していることになる。クルーグマンが最近この点に気付いた(cf. ここ)のは喜ばしい。その方向を追求すると、不況下の経済において金融政策より財政政策を重視することになるのではないかと思われる。


このサマーズの論説にクルーグマン反応し、現在の自分たちの見解はそれほど違わないのではないか、と述べると同時に、1998年論文で提唱した手法が今では不適当であることを自分は認識し認めている、と書いている。また、マイナスの自然利子率という点で欧米も日本に続くのではないか、とも書いている。