バーナンキ=サマーズ論争のクルーグマン裁定

長期停滞を巡ってネット上でバーナンキとサマーズが論争を交わした。クルーグマンが彼なりの視点でその論争を整理しているので*1、以下にその概要をまとめてみる。

  • バーナンキのサマーズ批判は以下の通り:
    • 米国が長期停滞に直面しているという最も説得的な証拠は、2001-2007年の精彩を欠いた景気回復。この時に米国は維持不可能な巨額の家計負債に支えられた大いなる住宅バブルを経験したにも関わらず、歴史的に見てそれほど印象的ではない景気拡大しか得られず、インフレもほとんど過熱しなかった。これは民需の根本的な弱さを示しているように思われる。
    • しかし米国で生産された財やサービスへの需要が伸びなかった一つの理由は、巨額の貿易赤字にある。それは、中国やその他の新興国で巨額の外貨準備が蓄積されたことに対応している。
    • 従って、サマーズの言う長期停滞の証拠は、実は世界的な過剰貯蓄を反映したものである。
  • その上でバーナンキは、国際的な資本移動が長期停滞の問題を解決する、と主張している(ようにクルーグマンには思われる)。というのは、資本は、海外のより高いリターンを求めて動くからである。従って、全世界が長期停滞に陥らない限り、資本移動で問題は解決する。
    • バーナンキはまた、過剰貯蓄は過去のものである、とも論じている。というのは、その件については、外国の政府に圧力を掛けて資本移動を自由化させ、かつ、過剰な経常黒字を促進させる政策をやめさせれば話が済むからである。
  • だがクルーグマンは、サマーズの言う長期停滞の証拠が実は世界的な過剰貯蓄を反映したもの、というバーナンキの議論を優れた指摘と認めつつも、上述のバーナンキの解決法には与しない。というのは、彼によれば、需要不足に陥っている国や通貨圏において自然利子率がゼロ以下に低下することは、海外での正のリターンの投資機会があっても生じ得るからである。
    • 普通に考えると、海外での正のリターンの投資機会があれば、資本流出→為替減価→輸出増加→自然利子率上昇、となるように思われる。
    • しかし、需要不足が一時的(ここでの一時的とは何年にも亘る場合も含む)と受け止められた場合はその限りではない。その場合は為替の減価も一時的と見做され、減価の勢いが強いほど、将来の元の水準への復帰も早いと投資家たちは予想する。そのため、減価後の期待リターンは海外と均等化し、自然利子率を押し下げるには至らない。国際的な資本移動の容易性は、一国だけが流動性の罠に陥る確率を低めるものの、その可能性をゼロにするわけではない。
  • では、一般的な流動性の罠ではなく、非常に長い期間継続し、疑似的に恒久と考えられる過剰貯蓄と結び付いた長期停滞はどうか? その場合は資本の移動性は決定的な要因となるのではないか?
    • この問題を最初に考えた時、クルーグマンもそう思った。しかし、すぐに日本という実世界での巨大な反例に行き当たった。
    • 日本で資本流出が起きなかったのは、実質金利は海外と概ね同等だったためである。
  • バーナンキは、経常黒字の面ではドイツが新たな中国だと認めつつも、ユーロ圏全体の経常黒字は周縁国の循環的な景気の弱さに起因する一時的なもの、としている。
  • しかし、ドイツ国債が7年物に至るまでマイナス金利を付け、10年物利回りが16bpに過ぎないということは、市場がユーロ圏経済における長期停滞の警告を発していることを意味する。実際、労働力人口が縮小するという日本型の人口動態から考えて、欧州が長期停滞に陥る確率は米国より遥かに高い。また、財政統合がなされていないことから緊縮財政バイアスが生じており、コアインフレは既に0.6%まで下がっている。
  • ユーロの弱含みと経常黒字の継続により、欧州は事実上長期停滞を輸出しようとしている。経常黒字が巨額になる前に比べて対ドルユーロ相場が約3割下がったこと、10年物の実質金利がドイツで約-1%であるのに対し米国では僅かなプラスであることを考えると、今後10年間でユーロは1/3程度しか戻らないと予想していることになる。従って、米国の内需の弱さを措くとしても、この新たな過剰貯蓄がすぐに終わると考えるべき理由は見当たらない。
  • バーナンキは通貨操作を止めさせれば問題は解決するというが、クルーグマンの分析が正しければ、その話は無関係。欧州の貿易と資本の不均衡は内需の根本的な弱さの帰結であり、その弱さが、さして景気が強いわけでもない海外に輸出されている。もしそうならば、これは内需振興策で解決すべき問題であり、従って、その点を巡る政策論議においてはクルーグマンはサマーズを強く支持する。


以前、本ブログでは、デフレ体質に陥った経済をMr.フリーズに喩え、日本では円高スーツによってその冷気の外界への拡散が防がれた、と論じたことがあったが、クルーグマンのこの分析によれば、今の欧州はそのようなスーツを着用していないため米国が欧州からの寒風に曝されて震えている、という構図が成立しているようだ。

*1:当然ながらこの論争は他にも多くの人の注目を浴びている。例:ジョン・キャシディStephen Williamson