米国の対中貿易赤字は問題ではない?

少し前に、昨日紹介したギャニオン=バーグステンの議論と対照的な議論をサマーズが展開していた。

...I have become convinced that the issues that preoccupy many Americans are either invalid or of secondary importance and the most important economic challenge posed by China is receiving far less attention than it deserves.
Discussions by the US of alleged currency manipulation by China are in the economic realm what discussions of changing the “One China” policy are in the geopolitical realm – unconstructive at best and possibly dangerous. While there is a case for the proposition that China manipulated its currency in an unreasonable way during the decade after 2005, by no stretch of any imagination is China today manipulating the renminbi downward for competitive advantage. In terms of the volumes of reserves expended and the extent of capital controls imposed, few countries in recent years have done as much to try to prop up their currency as has China.
More broadly, America’s economic future is shaped much more by policy choices made in Washington than in Beijing. To the extent that China trade has caused disruption in the US, it is the result of China’s remarkable growth and increase in capacity to produce, not unfair trade policies.
So a commercial focus on China’s trade deficit with the US is largely misguided.
(拙訳)
・・・多くの米国人が優先課題と考えている問題は無意味ないし二次的な重要性しか無く、中国が突き付けているもっとも重要な経済的課題は本来払われるべきよりも遥かに少ない関心しか払われていない、と私は確信するようになった。
中国のいわゆる為替操作についての米国の議論は、地政分野における「一つの中国」政策変更についての議論の経済分野版に相当する。即ち、良くて非建設的、下手すれば危険、ということである。2005年以降の10年間において中国が不合理なやり方で自国通貨の為替相場を操作したという話には根拠があるものの、どんなに想像を逞しくしても今日の中国は競争上の優位を得るために人民元の切り下げ操作を行ってはいない。外貨準備の拡大幅や資本規制の厳しさを見る限り、自国通貨を切り上げるために中国ほどの努力を払った国は近年では存在しない。
もっと全般的な話として、米国経済の将来は北京ではなくワシントンでなされた政策選択によって大きく決まる。中国の貿易が米国に波乱をもたらした点について言えば、それは中国の飛躍的な成長と生産能力の向上の結果であり、不公平な貿易政策の結果ではない。
従って、米国の対中貿易赤字*1に通商上の力点を置くことは方向性を大きく間違えている。


この後サマーズは、中国の輸出補助金の存在を認めつつも、それをやめさせる、ないし、補助金を受けた製品の輸入を抑止したとしても、米国の雇用は増えずにベトナムなどの低賃金国に生産がシフトするだけだろう、と述べている。同様に、中国の米国製品に対する貿易障壁を下げさせたとしても、それによって生じる追加的な生産のごく一部しか米国内では行われないだろう、とサマーズは言う。また、対中投資を行った際に合弁パートナーと知的所有権をシェアしなければならないことについて米国企業が不満を抱くのは尤もではあるものの、その問題が解決しても生産の中国へのアウトソーシングが増えこそすれ減ることはないのではないか、とも書いている。
このように、対中関係において通貨問題はもはや意味がなくなり、通商交渉も大したプラスの効果が見込めない、というのがサマーズの見立てである。その一方でサマーズは、中国のソフトパワー追求の動きを米国は軽視すべきではない、と警鐘を鳴らしている。中国は、「一帯一路」構想で中国と欧州を結ぶためのインフラ投資や対外援助を図っているほか、AIIBを通じて世界中への投資を計画している。既に中南米やアフリカへの中国の投資は、米国や世銀や関連する地域開発銀行の投資を大きく上回っている。また、クリーンエネルギー技術の輸出でも間もなく中国はトップに立つだろう、とサマーズは警告する。こうした投資は今後中国が原材料を確保し、中国企業が規模の経済を得る上で役に立つ、とサマーズは言う。返す刀でサマーズは、米国の各種政策――ブレトンウッズに匹敵する体制となったAIIBに参加せず足を引っ張っていること、気候変動問題に関する国際協力体制を先導するのではなくむしろ損なったこと、対外援助に大鉈を振るったこと――を槍玉に挙げ、グローバルなプレステージと影響力に関する突出した競争力を米国はいずれにせよ失うのかもしれないが、その動きを加速させている、と批判している。そして、ビジネス上の短期的な利益に焦点を当てるのをやめて、100年後の歴史家が記憶にとどめるであろう、グローバルな経済協力と米中の役割を巡る真に戦略的な対中対話を開始すべき、と提唱している。


ちなみに、このサマーズの論説に対しては、かつてオバマ政権の経済チームで同僚だったジャレッド・バーンスタインが、中国の過剰貯蓄という大きな問題を見過ごしている、と異議を申し立てている*2バーンスタインによれば、そうした過剰貯蓄が低金利や信用バブルや貿易不均衡をもたらし、サマーズのいわゆる長期停滞につながったのだ、とのことである*3GDPの1.6%に相当する米国の対中貿易赤字は需要面で足を引っ張っており、何らかの相殺措置をとらないと失業が増大する*4。然るに、FRB金利を引き上げ、サマーズの呼び掛ける相殺措置である公共投資については議会が未だ模索中である。確かに米国経済は他の先進国に比べれば上手く行っているが、景気拡大は既に8年目に入っており、GDPギャップは僅かながら依然として開いている、とバーンスタインは言う。
バーンスタインはまた、中国の資本規制が一因となって同国の国内投資が過剰となり、資産バブルが生じる、というマーチン・ウルフの懸念を援用し、資産バブルが弾けて、もしくは資本規制が解除されて、国内の過剰貯蓄が輸出の形で溢れ出る、というシナリオを描いてみせる*5。その場合、人民元はいかなる下支えの努力をも押し切って下落し、米国の貿易赤字は急拡大し、失業率は上昇するだろう、とバーンスタインは警告している。

*1:ここでは、原文の「China’s trade deficit with the US」は米中を反対に書き間違えたものと見做した。

*2:ただし、国際収支や通貨操作に関するトランプ政権の対中認識が誤っている、という点についてはサマーズに賛同している。また、経済学者が政治学に嘴を挟むのは個人的にあまり好きではない、とやんわりと皮肉りつつも、サマーズの言うソフトパワー云々の話も重要なのかもしれない、と述べている。なお、自らが問題視する過剰貯蓄については、Brad Setserのレポートを基に、中国だけではなく東アジアの問題、と指摘している。

*3:ここでバーンスタインバーナンキの「savings glut」論に言及するとともに、サマーズ自身もそのことに気付いていたからこそそれを相殺するための公共投資を呼び掛けていたのではないか、と指摘している。なお、このバーンスタインの主張を2日エントリで紹介したデロングの議論と照らし合わせた場合、デロングの言う最近の経済の圧力低下は中国が原因、というように解釈できるかもしれない。

*4:この点に関するバーンスタインの主張についてはここ参照。

*5:そうしたシナリオはほかならぬサマーズらの論文(cf. ここ)で描かれているではないか、とバーンスタインは指摘する。