なぜクルーグマンは考えを変えたのか?

昨日エントリで12/22サマーズ論説を巡るクルーグマンとデロングのやり取りに触れたが、その中でデロングが以下のようなことを書いている。

Since 1999, Paul has changed his mind. He has become an aggressive advocate of expansionary fiscal policy as the preferred solution. Why? And is he right to have done so? Or should he have stuck to his 1999 position, and should he still be lining up with Ken today?
(拙訳)
1999年*1以降、ポールは考えを変えた。彼は拡張的財政政策こそ好ましい政策だと積極的に唱えるようになった。何故か? そして、彼がそのような行動を取ったのは正しかったのか? それとも、彼は1999年の立場を固持し、今日のケン*2と同一見解を示し続けるべきだったのか?

この自らの問いに対し、デロングは以下の4つの回答を提示している。

  1. 2012年のデロング=サマーズ論文*3は、長期的な安全利子率の幾分かの低下(「長期停滞」)と多少の履歴効果という条件の下では、流動性の罠における財政拡張策が長期的な財政バランスを悪化ではなく改善することを示した。これは1999年のクルーグマンが見落としていた点であり、ロゴフらが今日においても見落としている点である。
    • これが意味するのは、債務GDP比の悪化による長期的な通貨暴落や実質金利高騰やクラウディングアウトを懸念する人は、流動性の罠にある経済での財政拡張策を推進すべき、ということ*4

  2. 「長期停滞」は、例え小規模のものでも、僅かな履歴効果と結び付くと、今日の財政拡張策と長期的な政府債務負担との関係を逆転させてしまう以上の影響をもたらす。即ち、財政政策の代替策としての金融政策の効果をも弱めてしまう。金融拡張策が将来の物価水準を上昇させて今日の生産を刺激する効果を持つためには、流動性の罠を抜けた後の金利の「正常化」環境の存在が前提となる。長期停滞はその正常化を除去ないし遅延ないし弱めてしまう*5

  3. 信頼性の問題。1999年当時のクルーグマンは、状況を理解している中銀ならば必要な期待インフレをもたらそうとすること、および、中銀がインフレ期待を高めるのは容易であること、を信じていた。しかし第二の点については、日銀がインフレ期待を高めることに大いに苦労し、アベノミクスが中途半端な成功に終わったことが疑問を投げ掛けた。また第一の点については、ベン・バーナンキFRB議長在任中に、量的緩和によって2%のインフレ目標を突破するつもりはない、と繰り返し表明したことによって分からなくなった。

  4. クルーグマンは実はそれほど変わっていないのかもしれない。最近の日本の分析*6では、今日のインフレ率を引き上げることを通じて将来の期待インフレ率を引き上げ、それによって政府債務を増大ではなく償却するような政策の余地を作る、という目的のために今日の財政拡張策を行う、という考えを提示した。FTPLによるインフレと債務積み上げによる将来の高金利、という考えは依然として彼の頭の中にある。

*1:cf. これ

*2:ロゴフのこと。この前にデロングは以下のように書いている:
Back then, his analysis of the liquidity trap and fiscal policy back in 1999 was... very close to Ken Rogoff's analysis of the liquidity trap and fiscal policy today

*3:cf. ここ

*4:cf. この点について小生は、デロング=サマーズ論文の基となったデロングの考察を受け、簡単なシミュレーションを回してみたことがある

*5:これはここで紹介したサマーズが指摘した点である。

*6:cf. ここ