長期主義の弊害

5年半前に、小生は本ブログで以下のようなことを書いた。

…おそらく当初は皆バブル崩壊に伴って生じた需要不足という見方で概ね一致していたのだろうが、不況が長引くにつれ「いや待てよ、これだけ長引くならば単なる一時的な需要不足の問題ではないだろう、もっと根本的な構造問題なのではないか」という見方が広まっていったのではないか。そして遂には、従来の経済学における需要喚起策をむしろ有害無益であるとして捨て去り、日本独自の経済構造の指弾にのみ焦点を合わせる、という見解が力を得ていったのであろう。

そう考えると、米国の経済学界でも、現在の景気低迷が長引けば、ひょっとすると日本と似たような構図が現われるかもしれない。既にアーノルド・クリングの再計算理論などにその萌芽は見られる。願わくば、そうした状況が生じる前に米国の景気が回復してほしいものだが…。

レーガノミックスは経済成長をもたらしたか? - himaginaryの日記

そして、3年半前のエントリでは、実際に米国の経済学界にそうした構図が現れているというノアピニオン氏のエントリを紹介した。


3日前の表題の自ブログエントリ(原題は「Destructive Long-Termism」)でクルーグマンは、信頼していた経済学者もそちら側に行ってしまった、と嘆いている

One of my long-running gripes about much discussion of current economic issues is about what I consider the long-run dodge. By this I mean the attempt to change the subject away from unemployment and inadequate demand toward supposedly more fundamental issues of education and structural reform. Such efforts to change the subject seem to me to be both wrong and, to some extent, cowardly. After all, if the clear and present problem is inadequate demand, then we should have policies to deal with that problem — I don’t care how important you think the long run is, we should deal with the crisis at hand.
And it’s often obvious that a large part of the reason some people want to change the subject is that they don’t want to take a stand on austerity versus stimulus and all that, because taking a stand on either side will cause some people to yell at you. Well, yes — because these are important debates, and refusing to take sides is a dereliction of responsibility.
So I was quite unhappy to see Tim Taylor, whose work I normally find admirable, taking a version of the long-run dodge in the secular stagnation debate. I was especially annoyed at this paragraph:

In the past, I have called this the problem of “snowbank macroeconomics:” just as a driver of a car stuck in a snowbank can press the gas pedal as hard as they want and not make much progress, it seems to me that we are in a situation where monetary and fiscal stimulus that has been extremely high by historical standards since about 2008 has had a much smaller effect on output and inflation than would have been expected before the Great Recession. I’ve come to believe that in a financial crisis and its slow-growth aftermath, the basic tools of monetary and fiscal policy face real limits on what they can accomplish. Thus, I’d argue that the growth-based agenda should focus on a different list of issues: expanding education and training; expanding research and development spending; tax and regulatory reform; expanding international trade; and investments in energy and infrastructure.

(拙訳)
現下の経済問題に関する議論の多くについて私が嘆かわしく思っていることの一つは、私に言わせれば長期論に話を逸らしている、というものである。その言葉で私が意味しているのは、論題を、失業や需要不足から、教育や構造改革というより根本的とされる問題に変えようとする試みのことである。そのように論題を変えようとする試みは、間違っていると同時に、幾分臆病であるように私には思われる。結局のところ、眼前の明らかな問題が需要不足ならば、その問題に取り組む政策を打ち出すべきなのだ――長期をどの程度重要と思うかに関係なく、目の前の危機に対処すべきなのである。
そして、ある人々が論題を変えようとする大きな理由が、緊縮策対刺激策などの議論で立場を明らかにしたくない、というのが明白な場合が少なからずある。というのは、どちらの側にせよ立場を明らかにすれば、反対側から怒号を浴びることになるからである。ただ、それは当然のことである。これは重要な議論であり、立場を明らかにすることを拒否するのは責任の放棄である。
ということで、常日頃その研究を称賛すべきものと見做しているティム・テイラーが、長期停滞論争において一種の長期論に話を逸らしているのを目にして私は非常に気が滅入った。特に不快に感じたのは以下の一節である:

かつて私はこれを「雪だまりマクロ経済学」の問題と呼んだ。雪だまりに突っ込んだ車の運転手がいくらアクセルを踏み込んでもあまり前に進まないように、過去の基準からすれば非常に大きな2008年頃以降の金融財政刺激策が、大不況以前に予想されたであろうよりもかなり小さな効果しか生産とインフレに与えない状況に我々はいるように私には思われる。金融危機とその後の低成長期においては、金融財政政策の基本ツールが達成できることにかなりの限界がある、と私は思うようになった。従って、成長志向の政策はこれまでと異なる政策リストに力点を置くべき、と私は主張する。即ち、教育訓練の拡大、研究開発支出の拡大、税規制改革、貿易の拡大、エネルギーとインフラへの投資、である。

この後クルーグマンは、テイラーが間違っている理由として以下の点を指摘している。

  • 財政刺激策の効果が予想より小さかったという主張の論拠が不明。そもそも大規模な刺激策など実施されなかった。過去90年間で最悪の金融危機に対し、ARRAでは潜在GDPの2%強の刺激を短期間実施したに過ぎない(下図)。効果がすぐ消えたのはむしろ予想通り*1

     

  • 現時点では財政政策の効果は強く*2、乗数は1を大きく上回っているという証拠は数多く積み重なっている。財政政策が効果を失ったという実証結果は見たことが無く、テイラーがなぜそう思ったのか分からない。
  • 金融政策は確かに効果を大きく減じた。しかしそれは流動性の罠についてきちんと考えた人がまさにそうなると予想したことである*3。そしてそれらの分析では、高いインフレ予想が正しい解決策として提示されている。構造改革は解決策とはならない。
  • 構造改革に含むところがあるわけではないが、長期停滞論が論じているような需要不足の継続に対しては、需要喚起策で対応すべき。諦めて無理だと泣き言を言ったり、需要面が問題なのにそれと直接の関係が無いことを持ち出したりすべきではない。それで賢く振る舞っているつもりかもしれないが、実際には現実逃避しているに過ぎない。


これでも言い足りなかったようで、クルーグマンは後続のエントリで財政政策についてさらに以下の点を指摘している

  • 前回エントリで書いたように、実際に実施された財政刺激策は規模が大きくなく、かつ短期的なものだった。
  • 2010年以降の財政政策の特徴は、過去に比べて緊縮的だったことにある。それは自分だけでなくIMF等も繰り返し指摘している。政府雇用という最も単純な指標にもそれは現れている(下図、2010年のスパイクはセンサスのための一時雇用)。

     

  • 2009年以降には財政政策に関する実証研究が数多くなされ、危機前の状況に比べて財政乗数は小さくなったどころかむしろ大きくなっている、というのが概ねの結論である。反論は自由だが、説明は必要で、投げっぱなしのコメントは反論にならない。
  • 財政政策が以前と同様に効果があるということは、緊縮策のダメージが大きいということであり、次の不況時にはすぐに財政出動できるように準備しておく必要がある。しかし良く分かっているはずの経済学者でさえ歴史を捏造しているようでは、その実現は覚束ない。

*1:ここでクルーグマンは、本ブログではここで触れた2009/1/6エントリにリンクしている。

*2:ここでクルーグマンは、本ブログではここで紹介した論文で先行研究として挙げられているブランシャール=リー(2013)にリンクしている。

*3:ここでクルーグマンは、クルーグマンの1999年のこの小論(本ブログではここで言及している)を取り上げたデロングのエントリにリンクしている。