ニューケインジアンモデルは財政刺激策を論じる上で有効か?

表題の議論は以前取り上げたことがあったが、Economist's Viewでそのテーマが再び論じられている。

きっかけは、Mark Thomaが、サイモンフレーザー大学経済学部教授で現在はセントルイス連銀のエコノミストを務めているDavid Andolfattoのブログ記事噛み付いたことにある。Andolfattoはそのブログ記事でクルーグマンとデロングを揶揄したのだが、それが長時間の中国からの帰国の旅を終えたばかりのThomaの目に留まり、疲れていたThomaは普段あまりしないこと、即ち、人のブログにコメントを書くこと、を思わずやってしまったという。その上でThomaは、こちらの自ブログの5/24エントリで、自分がそのような行動を取った訳を縷々説明している。要は、クルーグマンとデロングは現代マクロ経済学を碌に知らないくせに古いケインズ経済学に基づいて財政政策を訴えた、とAndolfattoが二人を腐したのが、Thomaの逆鱗に触れたとの由*1


ただ、良く考えてみると、ここでは以下の2つの論点が存在する。


上記のThomaの反応はこのうちの前者に向けられており、クルーグマンはWoodfordもEggertssonも踏まえた上で議論しているのだ、とAndolfattoに大いに反発している。

それに対し、同エントリにコメントしたロバート・ワルドマンは、以下のように述べて、後者の論点を前面に持ち出してきている*2

Speaking for myself only, I don't care what modern macro models say. I don't think that New Keynesian models add anything much of value to the Keynesian cross. I certainly haven't noticed any great empirical success. Oh also speaking only for myself, I have never bothered to keep up with macro theory. It is entirely possible that people understand new Keynesian DSGE models and think they are worthless.
(拙訳)
私自身についてだけ言えば、現代マクロモデルの結果には関心が無い。そのニューケインジアンモデルとやらが、ケインジアンクロスに対して大した付加価値をもたらしたとは思わない。実証面での成功も聞いたことが無い。そして、やはり私自身に限った話をすると、マクロ理論に遅れずについていこうと思ったことが無い。ニューケインジアンのDSGEモデルを理解した上で、それは価値が無いと判断するのは十分にあり得ることだと思う。

Thomaも翌5/25エントリでこのワルドマンのコメントを取り上げ、そうした見方にも一理ある、としている*3


面白いことに、Andolfatto自身も、ニューケインジアンの財政政策モデルにはそれほど信頼を寄せていないことを明らかにしている。Thomaへの反論として書かれたエントリでは、自分の日銀訪問時の論文から以下の文章を引用して、そうしたモデルが含意する効果への疑念を表明している。

I conclude with some thoughts on the potential role for fiscal policy. Some economists, notably Krugman (1999) and Eggertsson (2002), have advocated the use of fiscal policy as a means of “stimulating” the economy when it finds itself in a “liquidity trap” scenario. The model that I present below is consistent with this idea. In particular, by increasing the rate of expansion of nominal government debt, the fiscal authority can drive down the expected real rate of return on government securities (by increasing the expected inflation rate), thereby inducing asset substitution from government securities into capital investment. However, whether such a policy is likely to have a quantitatively important effect and whether such a policy would even be desirable in terms of economic welfare are still questions open to debate.
(拙訳)
私はこの論文を、財政政策の潜在的役割に関する幾ばくかの考察で締めくくっている。何人かの経済学者、特にKrugman (1999) と Eggertsson (2002) は、経済が「流動性の罠」に陥った場合の「刺激」手段として財政政策を用いることを主張している。私が以下に提示するモデルは、その考えと整合的である。とりわけ、名目政府債務の増加率を上昇させることにより、財政当局は政府証券の期待実質収益率を(期待インフレ率の上昇により)引き下げることができ、それによって政府証券から資本投資への資産代替を促すことができる。しかしながら、そのような政策が定量的に重要な効果を生み出すかどうか、および、そもそもそのような政策が経済厚生の観点から望ましいかどうかは、議論の余地がある問題である。

そしてもちろん彼は古いケインジアンモデルにも信を置いていないので、つまりは財政政策の効果をまったく信じていないわけだ*4。実際、彼は、今回Thomaの逆鱗に触れたブログエントリの直前にも、財政政策の効果を宗教に喩えるエントリを書いている


一方、先日紹介したコチャラコタの論考では、ニューケインジアンモデルが今回の財政刺激策の議論であまり表舞台に現われなかったことを残念がる記述が(注記4に)見られる。

In terms of fiscal policy (especially short-term fiscal policy), modern macro modeling seems to have had little impact. The discussion about the fiscal stimulus in January 2009 is highly revealing along these lines. An argument certainly could be made for the stimulus plan using the logic of New Keynesian or heterogeneous agent models. However, most, if not all, of the motivation for the fiscal stimulus was based largely on the long-discarded models of the 1960s and 1970s. Within a New Keynesian model, policy affects output through the real interest rate. Typically, given that prices are sticky, the monetary authority can lower the real interest rate and stimulate output by lowering a target nominal interest rate. However, this approach no longer works if the target nominal interest rate is zero. At this point, as Gauti Eggertsson (2009) argues, fiscal policy can be used to stimulate output instead. Increasing current government spending leads households to expect an increase in inflation (to help pay off the resulting debt). Given a fixed nominal interest rate of zero, the rise in expected inflation generates a stimulating fall in the real interest rate. Eggertsson’s argument is correct theoretically and may well be empirically relevant. However, the usual justification for the January 2009 fiscal stimulus said little about its impact on expected inflation.
(拙訳)
財政政策(特に短期の財政政策)について言えば、現代のマクロモデルはあまり影響を及ぼしていないようだ。2009年1月の財政刺激策に関する議論は、そのことを浮き彫りにした。その際には、ニューケインジアンないし異質的エージェントのモデルの論理を用いて刺激策を支持する議論を立てることも、確実に可能だった。しかしながら、全部とは言わないまでもほとんどの刺激策支持論は、長いこと見棄てられていた1960〜1970年代のモデルに概ね基づいていた。ニューケインジアンモデルの枠内では、政策は実質金利を通じて産出に働きかける。一般に、価格粘着性を前提とした場合、金融当局は目標名目金利を下げることによって実質金利を下げて産出を刺激することができる。しかし、この手法は目標名目金利がゼロに達すると使えない。Gauti Eggertsson (2009)*5は、その場合、財政政策が代替的な産出刺激策の手段として利用できる、と論じた。名目金利がゼロで固定されている場合、期待インフレ率の上昇は実質金利を低下させ、刺激策となる。Eggertssonの議論は理論的に正しく、実証面から見ても適切なものかもしれない。だが、2009年1月の財政刺激策を正当化する際に用いられた通論では、期待インフレへの影響についてはあまり言及されなかった。

これを読む限り、コチャラコタは財政政策の効果を、少なくともAndolfattoよりは信じているようだ。

*1:ちなみにクルーグマン自身もこのThomaのエントリを取り上げ、良くやってくれた、という主旨のことを書いている

*2:そのコメントを自ブログにも転記している

*3:実際、冒頭で触れた本ブログの昨年4/12エントリやこのエントリで紹介したThomaの見方は、むしろこのワルドマンの見方に近いように思われる。

*4:2010/5/28追記:「まったく信じていない」というのは言い過ぎだったかもしれない。5/27エントリで彼は、自分は財政政策の効果については不可知論者(agnostic)だと述べている(Economist's View経由)。

*5:Eggertsson, Gauti B. 2009. What fiscal policy is effective at zero interest rates? Staff Report 402. Federal Reserve Bank of New York.