コント:ポール君とグレッグ君(2012年第1弾)

今年の第一弾。

グレッグ君
「The Reincarnation of Keynesian Economics」というこのエントリのタイトルは、20年前に僕が書いたあまり知られていない小論のタイトルだ。ワーキングペーパー版がここで、最終版(要サブスクリプション)はここだ。驚いたことにポール君が彼のブログでこれを引用したんだけど、スコット・サムナーはポール君が実際にこれを読んだかどうか不思議がっている。それはともかく、こんな古い論文を覚えていた人がいたというのは嬉しいね。

なお、マンキューは見過ごしたようだが、クルーグマンは半年前にも同論文にリンクしており、それを受けて小生もその内容を簡単に紹介したことがある。そこで引用したように、マンキューは論文の中で「ケインズ経済学の再出現を「再生(resurrection)」ではなく「転生(reincarnation)」と呼んだのにはわけがある」とわざわざ断っているのだが、今回、クルーグマンは無頓着に「revival of Keynesian economics」という文言で論文にリンクを張っている。上記のマンキューのエントリで論文のタイトルを改めて強調したのは、そうしたクルーグマンのリンクの仕方に抵抗を感じた、という含みがあるように思われる。


また、マンキューのサムナーへのリンクも、単純な伝統的ケインズ経済学の復権のだしに使われてはかなわない、という意図を反映したもののようで、実際、同エントリでのサムナーのまとめは、同論文における伝統的ケインズ経済学とマンキューの考えとの違いの強調を反映したものになっている。


ただ、サムナーは同時に以下のようなことも書いている。

For the purpose of analyzing economic policy, a student would be better equipped with the quantity theory of money (together with the expectations-augmented Phillips curve) than the Keynesian Cross. In the United States today fiscal policymakers have completely abdicated responsibility for economic stabilization. Their inability to cope with persistently large government deficits has left them unable to even imagine trying to reach consensus on countercyclical fiscal policy in a timely fashion. All attempts at stabilization are left to monetary policy. When a recession ensues, as it did recently in the United States, fiscal policymakers merely begin discussions of what the Federal Reserve did wrong.

Reading this brought tears to my eyes. A mere 20 years ago we were in a golden age of macroeconomics. Now a new dark age has set in, as the forces of old Keynesianism have made Mankiw’s vision seem like a distant dream.
(拙訳)

経済政策を分析するという目的のためには、学生はケインジアン・クロスよりは貨幣数量説(+期待付きフィリップス曲線)を習得しておいた方が良い。今日の米国では、財政政策担当者は経済安定化の責任を完全に放棄している。継続的な大規模な財政赤字に対処できないことが、彼らがタイミング良く反循環的な財政政策について合意しようとすることを想像することすら不可能にしてしまった。安定化の試みはすべて金融政策に任されることとなった。もし最近の米国のように景気後退が起きた場合は、財政政策担当者は単にFRBがどこで間違えたかの議論を始めるだけである。

この論文の一節を読んで涙を抑えることが出来なかった。わずか20年前には我々はマクロ経済学の黄金時代にいたのだ。今や暗黒時代が訪れ、オールドケインジアンの勢力がマンキューのビジョンを遠い夢物語であるかのように語っている。
追伸:オバマペロシ、リードが2009年初頭に、2008年にFRBがどこで間違えたかを円卓を囲んで議論している場面を想像してみるべし。


ちなみに、マンキューが言及したのは次のサムナーの2つ目の追伸であるが…

PPS. Krugman’s post contains this comment:

What actually happened in the 70s was that the Chicago guys stopped reading anyone who wasn’t a true believer, which meant that they missed the revival of Keynesian economics (pdf) (yes, that’s a paper by Greg Mankiw), and all that went with it.

I think some Chicago economists are guilty as charged. But I wonder whether Krugman himself read Mankiw’s paper. If so, is this his vision of Keynesianism?
(拙訳)
追々伸:クルーグマンのエントリには以下の一節がある。

70年代に実際に起きたことは、シカゴの連中が自分たちの教義の真の信奉者以外の書いたものを読むことをやめた、ということである。そのため、彼らはケインズ経済学の復権(pdf)(そう、グレッグ君が書いた論文だ)、およびその後に続いて起きたことを見逃したのだ。

シカゴの経済学者の幾人かはクルーグマンの告発通り有罪だと思う。しかし、クルーグマン自身はマンキューの論文を読んだのかしらん? もし読んだならば、これが彼のケインズ経済学のビジョンということなのかしらん?

コメント欄でサムナーは、論文を読んだのかという部分は冗談だと断ると同時に、金利がゼロでは無い時についてはクルーグマンはマンキューの見方を概ね――貨幣数量説の推奨と一般理論を無視しろという部分を除けば――受け入れるだろう、と認めている。つまり、シカゴ学派に批判の矛先を向けた部分も含め、サムナーはこのエントリでむしろクルーグマンと「共闘」している、と言えそうなのである。