リカードの中立命題とウォレスのモジリアニ=ミラー定理は等価なのか?

12/30に紹介したリカードの中立命題を巡る論争は未だに余燼が燻っているが、その中で、リカードの中立命題とウォレスのモジリアニ=ミラー定理*1の等価性を基にルーカスの議論を擁護し、クルーグマンのルーカス批判に反批判を加えようとする動きがあった。


具体的には、David Andolfattoが12/30エントリ*2の追記で以下のように書いた。

Postscript Jan. 2, 2012

I should have linked up to this classic paper by Neil Wallace earlier than this, but better late than never: A Modigliani-Miller Theorem for Open Market Operations. As macroeconomists know, there is a strong connection between RE and MM (they are essentially the same proposition applied in different contexts). The Wallace paper asserts that open market operations "matter" only to the extent that some or all of the assumptions that underlie RE/MM are violated. Lucas believes that monetary policy matters. Ergo, his arguments (whatever they might be) cannot be based on RE alone.
(拙訳)
2012/1/2追記:
ニール・ウォレスのこの古典的論文にもっと前にリンクしておくべきだったが、遅くともしないよりましだろう:「公開市場操作のモジリアニ=ミラー定理」だ。マクロ経済学者ならば知っているように、リカードの中立命題とウォレスのモジリアニ=ミラー定理の間には強い結び付きがある(それらは基本的に同じ命題で、適用される状況が異なるだけだ)。ウォレス論文は、リカードの中立命題ないしウォレスのモジリアニ=ミラー定理の根底にある前提の一部もしくはすべてが成立しない限りにおいてのみ公開市場操作は「意味がある」、と主張している。ルーカスは金融政策は意味があると信じている。ゆえに、彼の主張(それが何であれ)はリカードの中立命題のみに基づいているはずが無い。


しかし小生がリンク先の論文を読んでみたところ、Andolfattoの理屈付けについて疑問に思ったことがあったので、以下のコメントをぶつけてみた。

2012/1/2付けの追記は非常に示唆に富むものです。
しかしながら、「公開市場操作のモジリアニ=ミラー定理」において、ウォレスは固定された財政政策を前提としています。一方、ルーカスは、財政政策は金融面の効果とは無関係だと述べています。つまりルーカスは、財政政策が固定されているか否かに関係無く金融政策は効果を発揮する、と言っているように思われます。ということは、彼はウォレスのモジリアニ=ミラー定理を念頭に置いていないように思われます。
そして、貴兄が言うように「G(財政支出)はリカードの中立命題ではまったく重要でない*3」のならば、その点においてリカードの中立命題はやはりウォレスのモジリアニ=ミラー定理とは違うように思われます。従って、リカードの中立命題とウォレスのモジリアニ=ミラー定理の等価性に基づいたルーカス擁護論は説得力を欠くように見えます。


これに対し、Andolfattoから以下のような回答コメントを貰った。

himaginary:

So, Lucas seems to be saying that monetary policy is effective whether fiscal policy is fixed or not.
If you listen to the whole video, you will see Lucas humbly admitting that he does not know for sure how to distinguish between monetary and fiscal policy. (An issue raised by some people earlier in the conference.)
Creating money and injecting it lump-sum into the economy is not something a central bank can normally do. It is a fiscal operation in my books. Lucas is accustomed to calling it monetary policy. But what we label the action is irrelevant.
The point is that Lucas believes that tax financed increase in G essentially has no effect, while a money financed increase in G does.
Lucas also states that if the money were instead use "to purchase anything," it would have real effects. If these other objects include, for example, US treasuries, then for this to be true, the conditions that make MM/RE true must fail (or fiscal policy must not be held fixed in the Wallace sense).
You may be right, however, that the link between MM and RE is not as tight as I make it out to be here. Let me think about it some more. Thanks for the good comment.
(拙訳)
himaginary:

つまりルーカスは、財政政策が固定されているか否かに関係無く金融政策は効果を発揮する、と言っているように思われます。

ルーカスのビデオをすべて視聴したならば*4、ルーカスが金融政策と財政政策を確実に区別する術を知らないと謙虚に認めていることが分かるだろう(その区別はコンファレンスのこれより前のセッションで提起された問題だ)。
通貨を創造し、それを一括して経済に注入するということは、中央銀行が普通に実施できることではない。私に言わせれば、それは財政政策だ。ルーカスはそれを金融政策と呼ぶことに馴染んでいる。しかし、その行動をどのように呼ぶかは重要な問題では無い。
問題なのは、ルーカスが、税で賄われたGの増加は基本的に効果を持たないと考えている一方で、マネタイズされたGの増加は効果を持つと考えていることだ。
ルーカスはまた、通貨が「何かを購入する」のに使われた場合でも実質的な効果を発揮する、とも述べている。もしその購入対象に例えば米国債が含まれるならば、それが成立するためには、リカードの中立命題ないしウォレスのモジリアニ=ミラー定理を成り立たせる条件が破られていなくてはならない(ないし、ウォレスの言を借りれば、財政政策は固定されていてはならない)。
しかしながら、リカードの中立命題とウォレスのモジリアニ=ミラー定理の関係が私が記述したほど緊密ではない、という貴君の指摘は正しいかも知れない。その点についてはもう少し考えさせて欲しい。良いコメントを有難う。


癖のある人なので罵倒を食らうかとびくびくしていたが、コメントを褒めてもらうという思わぬ反応を貰ったのは喜ばしい限りである。しかし同時に、論争の戦線が広がり過ぎて話がますます訳が分からなくなってきたという感もある。

*1:この定理については、2年近く前に岩本康志氏がブログエントリで紹介したことがある。

*2:このエントリでAndolfattoは、ルーカスの主張をモデル化している。クルーグマンはそれを、普通の言葉で正当化できない非常に馬鹿げた主張を数学で正当化しようとしているだけ、と斬り捨てている。一方、ノアピニオン氏はAndolfattoのエントリを良いエントリと褒めつつも、彼の簡易モデルには価格が入っていない、と指摘している(同氏はAndolfattoのエントリのコメント欄でさらに具体的な指摘を行っている)。

*3:これはAndolfattoの12/27付けエントリからの引用。

*4:Andolfattoは12/27エントリでそのトランスクリプトにリンクしている(そこからビデオへのリンクも張られている)。