クルーグマンがブログで何回も取り上げたように(5/5、5/4、4/28、2/17)、今回のギリシャ危機によって、バリー・アイケングリーンの2007年のvoxeu論説が改めて脚光を浴びている。そこでアイケングリーンは、ユーロ離脱の際の経済的、政治的、および手続き上の3種類のコストを俯瞰した上で、手続き上のコストに鑑みてユーロ参加は不可逆過程である、と論じている。
以下にその概略をまとめてみる。
- 経済的コスト
- 政治的コスト
- 手続き上のコスト
- 本当に問題となる障害は、経済や政治上のコストではなく、手続き上のコスト。
- 自国通貨の再導入は、事実上、すべての契約――賃金、銀行預金、債券、モーゲージ、税金、その他諸々に関する契約――の通貨表記を書き直すことを意味する。銀行、企業、家計、政府にそれを強制する法案を議会で通すことは可能だろうが、民主主義においては、その前に議論が延々となされることは避けられない。
- また、その実施に際しては、ユーロを導入した時と同様の綿密な計画が不可欠。たとえば以下のような些事が山のようにある。
- ただし、ユーロ導入の際は事前に為替レートをほぼ固定していたので、為替変動の余地は少なかった。ユーロ離脱の際は、おそらくは通貨切り下げが前提となり、市場も企業も家計もそれを予期している。そのため、ユーロ圏銀行への大規模な預金の移動が起こり、続いて全国規模の取り付け騒ぎも発生するだろう。投資家も他のユーロ圏の国の国債にシフトし、債券市場危機が発生するだろう。それに対しECBは、去るものは追わずで何もしないだろう。財政状況が既に悪化した政府も打つ手が限られる。こうして本格的な金融危機(the mother of all financial crises)が発生するだろう。
以上の理由から、ユーロ圏離脱の議論が巻き起こったとしても、直ちにユーロ圏が直ちに終焉することはない。むしろ直ちに終焉するのはそうした議論の方である、とアイケングリーンは結論付けている。