ユーロ危機へのチェコからの教訓

チェコ中央銀行総裁Miroslav Singerが、自国の経験を基にユーロ危機について考察しているMostly Economics経由)。


ロンドンでの6/28講演で、Singerはチェコに関する意外に知られていない4つの事実から話を始めている。

  1. チェコは東欧ではない。プラハはウィーンの90マイル西に位置している。
  2. 地理的だけではなく経済的にもチェコは人々が思うより西側に近い。近年の実質経済成長率は平均3%とそこそこだが、通貨の増価のお蔭で経済規模は毎年平均10%の伸び率で拡大している。その結果、ユーロで測った名目の経済規模は1993年に比べ4.5倍以上になった。つまり、過去18年、欧州の中核国の生産物を実質ベースで毎年平均7%多く買えた、ということになる。
  3. 自国内で直接的な金融危機を経験したお蔭で(90年代終わりの不良債権GDPの4割を超えていた)、直近の経済危機においては銀行救済や税金投入は一切必要無かった。
  4. チェコ国立銀行中央銀行であるだけでなく、2006年以降は金融業界の統合的な監督当局の役割も担ってる。これは危機の対処や金融の安定性の維持において有利に作用した。


上記の第3項の直接的な金融危機とは、以下の2つを指している。

  1. 1993年にチェコスロバキアが分裂した際の通貨の分裂
    • それまでも、劣後したスロバキア経済をチェコが助けるという構図が続いていたが、1990年代の初めにスロバキア軍需産業が閉鎖されるに及んで両者の格差は一層拡大した。
    • 国の分裂後も共通通貨を維持していたが、その仕組みは、両国の経済主体が預金をチェコの銀行に移し、さらに両国から資本が流出するという市場の圧力に曝された。その結果、僅か2ヶ月で共通通貨は放棄された。
    • チェコ国立銀行は密かにこの事態を予期し、1992年後半から通貨の分裂への準備を整えてきた。そのため、実際に分裂という事態が起きた際の対応は素早かった。
  2. 1996年の固定相場制度放棄
    • それまでは固定為替レートの下で安定志向の経済政策が採られてきたが、OECD加盟とそれに伴う資本移動の自由化により、Impossible Triangle*1がもたらされた。
    • その結果、双子の赤字が生じた。また、ブレトンウッズのような為替の部分的な自由化も試みられた。その他、データの誤り、当初の中途半端な改革政策、中央銀行が面子にこだわったこと、政権交代なども混乱に輪を掛けた。
    • 為替防衛の放棄は政府が与り知らないまま中央銀行の独断でなされた。そのため、政府と中央銀行の溝が深まり、マクロ経済政策の協調が妨げられ、金融危機が発生した。
    • この時の中央銀行は準備のないまま固定相場放棄に踏み切った。整合的な金融政策が打ち出されたのはそれから数ヶ月経ってからであった。
    • チェコスロバキアの分裂の際も、共通通貨の維持から放棄へと政策は180度転換したが、市場は中央銀行の先の手を概ね読んでおり、混乱は最小限に留まった。しかしこの固定相場放棄の際は、市場は政策の先の手が読めず、混乱した。このことは、政策行動の予測可能性が対応コストを大きく引き下げることを示している。


そしてSingerは、現在のユーロ危機にも、政策行動の予測不可能性という当時のチェコと同じ症状を見い出している。以下は彼の現状評価。

  • マーストリヒト基準の良し悪し以前に、それらのルールが守られていない。
  • 1990年代のチェコと同様、政策当局者の言うことが180度変わっている。例:
    • 銀行救済ないしその必要性、金融緩和の必要性、欧州金融業界の健全性に対する評価、国家非救済条項、ギリシャ救済パッケージが十分かどうか
  • 誤った情報が独り歩きしている。
    • ギリシャの破綻がユーロ圏の破綻につながると言われているが、そんなことはない。ギリシャ債務のCDSによる評価は1年前より悪化しているが、欧州の金融システムについてはCDSに危機の兆候は現れていない。ユーロは昨夏のギリシャ危機が頂点に達した時に比べてむしろ強くなっている。
    • ECBをはじめとする中央銀行自己資本がマイナスになってはいけないと言われているが、そんなことはない。中央銀行の真の資本はその信頼性と評判であり、バランスシート上の数字ではない。そうした信頼性と評判は、整合的かつ信頼できる政策とコミュニケーションの上に成立する。
    • 債務問題が解決すればギリシャポルトガルは助かると言われているが、そんなことはない。両国の救済はあくまでも両国が競争力を取り戻すかどうかに掛かっている。

その結果、ギリシャ問題の先行きが誰にも読めない状態になっており、不確実性が続いている、というのがSingerの警告である。まずは、ギリシャをユーロ圏に留めて救済するのか、それともIMFの従来型の荒療治(緊縮財政、債務再編、通貨切り下げのパッケージ)に委ねるのか、という2つの選択肢が存在するが、どちらの道を選択するかについて明確な政治的意思が見られない。ただ、なし崩し的に前者の道を――救済を秩序正しく実施するのだという明確な意思抜きで――進んでいるように見える、というのが彼の見立てである。いずれの道を選択するにせよ、そのように無秩序に事を進めると対応コストは跳ね上がる、と彼は憂慮している。


ちなみにこの講演録の冒頭では、Ferdinand Von Schillの「終わり無き恐怖より恐怖に満ちた終わりの方がまし(A horrible end is better than endless horror.(独)Lieber ein Ende mit Schrecken als ein Schrecken ohne Ende.)」という言葉が引用されている。

*1:為替レートの安定、資本移動の自由、独自の金融政策という3つの目標を同時に達成することはできない。