アルゼンチンからユーロへの教訓

昨日のエントリに対し、「ユーロはそのまま残して、ローカルな通貨を追加で発行することはできないのかなあ」というコメントを頂いた。実はvoxeuの別の記事で、まさにそのテーマを扱ったものがある。「内的減価の様々な手法:アルゼンチンという鏡から見た欧州周辺国(Varieties of internal devaluation: Peripheral Europe in the Argentine mirror)」と題されたその記事は、Augusto de la Torre、Eduardo Levy-Yeyati、Sergio Schmuklerという3人の連名で書かれており、アルゼンチンの事例からユーロ危機を考察したものになっている。


その記事で3人は、内的減価の手法として、緊縮財政政策と代替通貨発行の2つを取り上げている。ここでは後者に関する部分をピックアップしてみる。

...the introduction of an alternative currency did in fact appear through the emergence of quasi-monies. Provincial Treasuries started printing small-denomination bonds with funny names (patacones, porteños, quebrachos) to meet their obligations (typically wages, pensions, and suppliers), bypassing the limits imposed by the transfers from the central government. Ultimately, the national Treasury joined the club with the issuance of its own Lecops, in effect breaching the limits on monetary expansion imposed by the currency board.

 
But neither of the two avenues produced an internal (real) devaluation in Argentina. The polity could not stomach nominal wage cuts driven by fiscal austerity and employment contraction. And the quasi-monies did not trade at a discount compared with the Argentine peso. The former is easy to understand, given democracy. But why did the quasi-monies trade at a par? Why would anyone voluntarily accept an inferior currency without a discount? Where was the catch?


First, the quasi-monies were bills (IOUs that in some cases bore a token interest rate) issued at par to the convertible peso. Second, each government endeavoured to create demand for its own exotic species by accepting them at par for tax payment purposes. This explains why some large retail chains accepted these quasi-monies without penalty as means of exchange and why provincial quasi-monies fared much better in provinces with a solid tax base. Third, with the currency board still in place, the ongoing run against the peso induced a sharp monetary contraction compounded by the imposition of limits on cash withdrawals (the so-called “corralito” that dropped the gates on bank sight deposits). As shown in Levy Yeyati et al. (2004), this created an excess demand for any liquid means of exchange. Pesos were precious at the time, and the “quasis” did the trick rather well, in a re-enactment of Gresham´s Law.


(拙訳)
…代替通貨は準通貨の登場という形で実際に導入された。地方の財政当局は、奇妙な名前(patacones, porteños, quebrachos)の小額債券を発行して、自らの支払い(賃金、年金、業者への支払いが代表例)に充て始めた。これにより、中央政府からの財政移転の上限という制約に縛られずに済んだ。最終的には、中央政府財務省もこれに加わってLecopsを発行し、カレンシーボードによって課せられた通貨供給増大への制約を事実上打破した。


しかし、(緊縮財政と代替通貨の)いずれの手法も、アルゼンチンに内的(実質)減価をもたらさなかった。緊縮財政政策と雇用縮減によってもたらされる名目賃金削減は、政治的に達成不可能だった。また、準通貨はペソに対して減価することは無かった。前者の結果は、民主主義体制下ということで容易に納得できる。しかし、なぜ準通貨は額面価値を保ったのか? なぜ皆、劣等通貨を割り引くことなしに進んで受け取ったのか? 何がポイントだったのか?


第一に、準通貨はペソと額面で交換できる手形(借用書;あるものは形ばかりの利子が付いた)であった。第二に、各地方政府は、納税の際に額面で受領するといった努力によって自らの独自通貨への需要を創り出した。このことは、幾つかの大手小売チェーンが割り引くことなく交換手段としてそれらの準通貨を受け入れたこと、および、税基盤がしっかりした地方でそうした準通貨がよりうまく機能したことへの説明となる*1。第三に、カレンシーボードが依然として存在している状況下では、ペソからの逃避は急激な通貨縮小をもたらし、それは現金引き出し制限(銀行の要求払い預金に制約を課したいわゆるcorralito)でさらに悪化した。Levy Yeyati et al. (2004)が示したように、これは流動性を持つあらゆる交換手段への超過需要をもたらした。この時点でペソは貴重品となり、「準通貨たち」はそうした超過需要を満たす格好の材料となった。グレシャムの法則が働いたわけだ。


こうしてみると、アルゼンチンでは代替通貨導入がうまく行ったようにも受け取れるが、一方で著者たちは、今回のユーロと当時のアルゼンチンとの以下の3つの相違点を挙げ、この話を含めたアルゼンチンの事例を欧州にそのまま当てはめることの危険性について警告する。

  1. アルゼンチンの準通貨はあくまでも債券であり、別に減価の近道として導入されたわけではない。額面を保ったことによって需要を呼び込み、資金調達手段としての価値を最大限に発揮したが、裏返せば内的減価の手段としては無価値だったことになる。減価のためにユーロを離脱する国は、国内経済を完全に新通貨に転換する必要があり、このケースは参考にならない。
     
  2. アルゼンチンのペソはドルに対し一方的にペッグしていただけであり、やめるときも一方的にやめただけである。それでもカレンシーボード廃止はアルゼンチンにとって高くついた。ラトビアがユーロへのペッグをやめるということは、ユーロ採用のプロセスを(諦めるとは言わないまでも)遅らせることになる。そうした(後に尾を引く)問題があるので、ラトビアにとってペッグ停止はアルゼンチンよりももっと高くつくだろう。また、ギリシャがユーロを離脱する場合は、それよりもさらに高くつくことになろう。
     
  3. その裏返しの話として、当時のアルゼンチンには、たとえ嫌々ながらにでも現状維持と混乱拡大防止のために助けに来てくれるユーロ圏のお友達の国はいなかった。そもそもアルゼンチンは、他国が1990年代末に通貨危機を経験した後に残った、最後の減価すべき国だった。結局、当時のアルゼンチンは、まだモラルハザード敵視を標榜していたIMFに頼らざるを得なかった。犠牲を払ってでも自らを助けよ(bail in)、というのがその時のIMFのやり方だった。誰も救済パッケージを組んでくれない以上、厳しい再建策を受け入れる以外にアルゼンチンの選択肢は無かった。

そして著者たちは、この第3点、つまり助けてくれる存在の有無が、減価政策の成功に大きく関わっていることを指摘する。というのは、減価によって債務の維持可能性は悪化することはあっても、解消することはないからである。減価は確かに競争力不足を緩和し、長期的は債務履行能力を高めるかもしれないが、短期的には債務のGDP比率は減価の程度に応じて悪化する。従って、短期の資金を融資してくれる存在がなければ、その国はキャピタルフライト債務不履行へまっしぐら、ということになる。そう考えると、現在の欧州で危機に晒されている国も、ユーロ圏の援助を受けるためにユーロに留まった方が良いのではないか、というのが著者たちの結論である。この結論は、昨日紹介したアイケングリーンの結論と同様と言える。

*1:これは税金の支払いを貨幣の根幹に置くChartalistが喜びそうな事例である。