クルーグマン「トランプは貿易赤字を減らせるか?」

前回エントリで紹介したブランシャールとは異なる観点から関税の貿易赤字への影響を考察した表題の記事(原題は「Can Trump Reduce the Trade Deficit?: Paul Krugman」)をクルーグマン上げている(H/T 本人ツイート)。

彼はまず、一般的な見方として、部分均衡、一般均衡いずれの観点からも貿易赤字は減らせない、という見解を紹介している。

部分均衡の観点では、以下の2つの要因が働く。

  1. 現在の米経済、特に製造業は、グローバルバリューチェーンに深く組み込まれており、輸入投入財に大きく依存している。例えば米自動車産業というものは事実上存在せず、米国、メキシコ、カナダに跨る供給者の複雑なネットワークで生産が行われる北米自動車産業が存在している。そこに一律に高関税を掛ければ生産コストは急上昇し、製造業の生産と雇用は低下する可能性が高い。
  2. 米国の関税は報復関税を招く。イラク戦争の前に米国が自分の軍事力を過大評価していたように、トランプ政権に関わる人は米国の経済力を過大評価していると思われる。
    • 世界には米中欧の3つの貿易のスーパーパワーが存在している。米国はドル建てでは他の2つよりも大きいが、購買力平価ベースでは中国よりも小さく、いずれのパワーも支配的ではない。
    • 欧州は多くの問題で集団行動が取れないが、EUは関税同盟としてブリュッセルで共通の対外関税を決定する。従ってトランプ関税には一丸となって反応するだろうし、その反応は強力なものとなるだろう。中国は前回のトランプ貿易戦争において概ね一対一で報復しており、今回も同様になると考えるのが至当。
    • 米国の輸入は輸出よりも多いので、米国の輸出に対する海外の関税は、米国の輸入に対する関税を完全に相殺することはないだろう。しかし例えば輸出に大きく頼っている米農業にとってそれは慰めにならない。

一般均衡の観点では、以下の恒等式が成立する。
 貿易収支 + 純投資収益 + 純資本流入 = 0
最初の2つの合計は経常収支だが、この式により、資本流入が減らない限り、経常赤字が減ることはない。関税で貿易赤字を減らそうとしても、風船を押すのと同じことで、赤字はどこか別の場所で膨らむ。そのことは報復関税や供給網の問題がなくても必ず成立し、通常は、ドルの増価によって米国の輸出の競争力が減じることを通じて成立する。実証分析でもそれは確かめられている。

ここまでの話は前回エントリで紹介したブランシャールの指摘と概ね同じだが、ここでクルーグマンは新たな問いを投げ掛けている。即ち、上の恒等式から貿易赤字(ないし、広義の貿易赤字としての経常赤字)が減らないとするのは資本流入が一定であることを暗に仮定しているが、実際には減るのではないか、というのが彼の洞察である。それについて彼は以下のような指摘を行っている。

  • 米国が資本を引き付けている最大の理由は、人口動態にある。すべての先進国は人口が高齢化しており、労働力人口の伸びは鈍化ないしマイナスに転じているが、米国では他国よりも鈍化の程度が小さい。しかし、トランプが不法移民を大量に強制送還し始めたら、その利点は突如として失われ、逆方向に働く。
    • 金融市場は現在、財政赤字の急拡大による高金利に賭けているが、労働力人口が減少したら話は逆転する。ビジネス界の知人の多くは、不法移民に大きく依存している農業や食肉業界のような業界を操業停止に追い込まない程度の強制送還がショーアップされた形で何度か行われるだけ、と予測しているが*1、それでも今後の移民を抑止するだろう。
  • ただ、それよりも大きいのは、財の貿易への障壁が資本移動も妨げる、という昔からの論点である。
    • これについての研究は少なく、知る限り最善の研究と言えるオブズフェルド=ロゴフ(2001)のモデルもエレガントとは言い難い。とは言え、自分もそれよりも上手いモデルを考え付いていない。
    • ただし、背理法で考えるのが助けになるのではないか。例えば、火星に発達した資本市場と繫栄している経済が存在する場合を考える。財のやり取りは輸送コスト面でほぼ不可能だが、現代経済における貨幣たるデジタルの数字をやり取りすることはできる。すると地球と火星の間で資本移動は成立するのか? 否、である。純資本移動は物理的な貿易の不均衡に対応するものであり、火星人が地球から何かを実際に買う限りにおいて地球から資本を火星に移動できる。また、仮に地球の投資家が火星の資産を手に入れた場合、彼らは最終的に地球で消費できる実物財にそれを転換したいと思うが、それは不可能である。財の貿易が無ければ資本の移動も存在しないのである*2
    • より現実的にオブズフェルド=ロゴフ流の2国モデルを考えると、A国の投資に対する実質収益率がB国よりも高い場合、資本はB国からA国に流れる。その場合、A国の貿易赤字が必然的に生じる。無垢な移転理論は間違いなので*3資本流入はA国の通貨の実質増価を通じて貿易収支に影響する。資本流入はいずれは減衰し、投資家は収益を本国に戻し始める。すると今度はA国の実質為替相場は減価し、B国の投資家の(自分の消費で測った)実質収益率は低下する。そのことを予期して、資本流入は実質収益率を均等化するよりも少ないものに留まる。
    • 所与の資本流入を可能にするために為替相場が増価すべき程度は、財がどの程度取引可能かに依存する。関税によって、少量の生産物しか輸出に回せず、少量の輸入品しか消費できなくなると、米国の現在の規模の貿易赤字をもたらすためにドルはかなり増価しなくてはならない。上がったドルはいずれ下がるので、貿易が限定的なものとなった米経済は、現在のペースで海外投資を惹き付けることはできない。
    • 火星の例では何も貿易できないので、どんな為替相場でも資本移動は可能にならない。そこまでは行かないにしても、関税で貿易量が現在よりもかなり減少した世界では、資本移動の量もかなり減少する。現在の米国の貿易赤字は多額の資本移動の帰結なので、貿易戦争は、米企業の対外競争を支援することによってではなく、国際資本移動を大きく阻害することで貿易赤字を減らすかもしれない。
    • トランプが貿易赤字を減らそうとする努力はやはり失望に終わる可能性が高いが、ある程度成功した場合、その成功は世界貿易システムとともに国際資本市場を損なうという悪しき経済的に破壊的な理由によるものとなるだろう。

*1:前回エントリで紹介したブランシャールも同様の予測を立てている。

*2:揚げ足を取るならば、ここでクルーグマンが無視ないし省略しているサービスの貿易が通信を通じて可能であることを考えれば、財の輸送ができなくても火星と地球の間で貿易と資本移動が成立する可能性はある。

*3:cf. フィリップス曲線と無垢なインフレ理論と貨幣需要 - himaginary’s diary