ショイブレを突き動かしているもの

Fabio Ghironiというワシントン大学教授が、表題の件を分析したVoxEU記事を書いている(H/T Economist's View)。記事によれば、メルケル首相との齟齬もものともせずにギリシャに対し実現不可能とも思える要求を突き付けているウォルフガング・ショイブレ財務相の真の狙いは、ギリシャなど地中海諸国をユーロ圏から追い出し、ドイツ周辺の中核国だけでユーロ圏を構成することにあるという。彼はそうした考えを「可変翼アプローチ」として20年前から打ち出していたとの由。

以下は記事の概要。

  • 1989年から1991年に掛けてドイツ連邦共和国の内相だったショイブレは、ドイツの再統一に至る交渉で中心的な役割を果たした。同時期にはマーストリヒト条約に至る交渉も行われていた。ドイツは、英仏に再統一を認めてもらう対価として、ドイツマルクを手離して欧州通貨統合に参加することに同意した、というのが通説。
  • ドイツは、それほど厳格ではない国との不確実な通貨統合と引き換えに成功した通貨を手離すことを当然ながら躊躇した。そのため、マーストリヒト条約では、収斂基準を設けることに固執し、信頼できない南欧諸国を通貨統合から事実上締め出すことを狙った。
  • この時期、ヘルムート・コール首相の後継者と見なされていたショイブレは、ユーロ圏に関する「可変翼アプローチ(‘variable geometry’ approach)」を打ち出した。その主旨は、通貨統合はドイツの厳格性志向を共有する「中核」国に限られるべき、というものだった*1
  • ショイブレは1994年にKarl Lamersと共にその方針を最初に打ち出した。その考えは1994年の夏の終わりにキリスト教民主同盟から公表された。2週間足らず後、ショイブレは批判に応じて「欧州統合の速度を船団の最も遅い船に合わせる訳にはいかない」と述べた*2マーストリヒト条約の収斂基準に記述されていたように、その速度は明らかにドイツをベンチマークとしていた。コール首相はSchäuble-Lamers文書を「討議資料」と表現したが、明確に距離を置くことはなく、「中核」欧州という計画を支持した。
  • 2014年8月、ショイブレとLamersは20年ぶりに可変翼アプローチをFT論説で訴えた。記事では、ドイツ(とフランス)が中心となって安定成長協定の財政政策ルールを2003年に破ったことを踏まえつつ、以下のように結論している。

In order to make progress […], we should keep using the approach that proved its mettle back in 1994: to establish cores of co-operation within the EU that enable smaller, willing groups of member states to forge ahead.”
(拙訳)
[・・・]前に進むためには、1994年にその真価が証明された手法を我々は使い続けるべきなのです。それは、EU内に中核国による協調体制を確立し、より小規模な前向きの参加国グループが先頭を切って進むことを可能ならしめることです。

  • 2012年にショイブレがカール大帝賞を受賞した時のラガルドIMF専務理事の祝辞に表現されているように、欧州統合へのショイブレへの献身は疑いない。しかし、これまでの経緯は、彼が「可変翼アプローチ」にも同等の熱意を注いでいることを示している。独政府内のグレグジットへの支持に関する彼の最近の声明*3アンゲラ・メルケル首相との不和を生み出しているのはその表れ。
  • 結局、ショイブレ構想を織り込んだマーストリヒト基準は南欧諸国をユーロから締め出すことに失敗し、周知の経過を辿って2010年に危機が勃発し、現状に至った。
  • もしギリシャがユーロを離脱すれば、各国が基本的な主権を維持する限りユーロへの参加が不可逆過程であるというのは幻想である、ということが誰の目にも明らかとなる。その結果、市場は各国政府のユーロ残留の意思を試すようになり、その高くつくトレードオフポピュリズムナショナリズムを炎上させる。政府の約束とECBの火力がドミノ効果を防いだとしても、市場と政治の力のせめぎあいの結果、他の地中海諸国がユーロを去る結果に陥るかもしれない。そうなると、ショイブレが1990年代前半に打ち出した「中核国」と、EU加盟後にドイツとの歴史的な経済的関係を改めて強化した東欧およびバルト諸国からなるユーロ圏にドイツが残る、ということになるかもしれない。
  • 以上のことから、ショイブレは、「可変翼」手法への復帰と、マーストリヒト基準が失敗した「中核国」による通貨統合を裏口から達成しようとしているのではないか、という疑問が湧く。それについては歴史の審判に委ねるしかないが、もしそれによって「可変翼」手法を蘇らそうとしているのであれば、蘇らない方がましではないか。

*1:こちらのサイト(ガイアナのスターブルーク紙のサイト)では以下のように解説されている:
The term “variable geometry” has obviously been borrowed from the language of mathematics and mechanical engineering. One of the most famous examples of variable geometry in engineering is that of an aircraft wing that may be swept back and then returned to its original position during flight, allowing the pilot to select the correct configuration for either high or low speed. Inherent then in our understanding of variable geometry is the notion of adaptability, flexibility and different speeds for changing circumstances.
“Variable geometry,,as it applies to the politics of regional integration, is most commonly associated with the European Union, especially in the context of its massive enlargement since 2004 and the possibility that as many as eight countries in south-eastern Europe might also accede if and when they meet certain rigorous political, legal and technical conditions. Enlargement has inevitably presented particular challenges for European integration, many of them associated with differences in size, political maturity, economic development, language and culture. Different countries will therefore meet the criteria for membership and deeper integration at different speeds. Hence the talk of “variable geometry.”

*2:[原注]This Week in Germany, 9 September 1994.

*3:cf. ロイター日本語記事。原文ではこちらのPolitico記事が参照されている。