ニューケインジアンとオールドケインジアン

を対比させたジョン・コクランの11/8付けブログ記事が波紋を呼んでいる。その中でコクランは、財政刺激策を支持するオールドケインジアンは経済学ではないが物語を提供する、財政刺激策を支持しないニューケインジアンは経済学だが物語を提供せずブラックボックスとなっている、そのため一般の人々や政治家は前者を支持するのだ、という主旨のことを書いた。


そのエントリにデロングクルーグマンが反発し*1、そのクルーグマンをStephen Williamsionが揶揄する、という定番コースの反応が見られたほか、サイモン・レン−ルイスがオールド・ケインジアンとニュー・ケインジアンは矛盾するものではなく両者の融合は可能、とコクランに反論した。そのレン−ルイスのエントリのコメント欄にロバート・ワルドマンが姿を見せ、ニューケインジアンはオールドケインジアンに何ら付加価値をもたらしていない、という持説を展開した。また、Nick Roweもレン−ルイスのエントリのコメント欄に姿を見せ*2、彼独自の見解を展開したWCIブログエントリにリンクしている*3


デロングとクルーグマンは、一つにはニューケインジアンが財政刺激策を支持しない、という点に反発し、デロングはウッドフォード、クルーグマンは自分とエガートソンとの共同研究を反例として持ち出したのだが、実はコクランはその点を先取りして直近の論文および関連エントリで論じており、ニューケインジアンのそうした結果は複数均衡の中からの均衡選択の産物に過ぎない、と結論付けている。
ただ、これについては、コクランのニューケインジアンモデルは単純過ぎる、というコメントをCAというコメンターがコクランブログとWilliamsonブログに残している。WilliamsonブログでCAは、ISLMモデルがクルーグマン=エガートソン研究のような最先端のニューケインジアンモデルと同等の結果をもたらすのであれば、ISLMをコミュニケーション手段として使うのも有りなのではないか、とコメントしている。それに対しWilliamsonは、その場合はあくまでもそのニューケインジアンモデルを噛み砕いて伝えるべきであり、ISLMはやはり邪道、と反ISLMの姿勢を露わにしている*4

*1:デロングはMegan McArdleのブルームバーグ記事経由、クルーグマンはそのデロングのブログ記事(ただしデロングブログではなくWashington Center for Equitable Growthのブログの記事)経由で反応している。

*2:Roweはコクランのエントリのコメント欄にも書き込んでいる。

*3:ちなみにWilliamsonのエントリのコメント欄では、Roweは自分は数学はできないとしつつもブログ記事を沢山書いており、コメンターとも積極的に対話していて、コクランよりも優れたメッセージを発しているのではないか、とコメントした人がいたが、それに対しWilliamsonは、ブログ量が多いことと数学ができないことの2点については同意、というにべもない反応を返している。

*4:Williamsonはそこで「If the ideas in my NK liquidity constraint model are good ones, I should be able to articulate that in a non-technical way.」と書いているが、それはコクランがエントリの末尾に書いた「In macroeconomics, the step of crafting a story from the equations, figuring out what our little quantitative parables mean for policy, and understanding and explaining the mechanisms, is really hard, even when the equations are very simple.」とは対照的な認識と言える。