サックスとサムナーの共通点?

昨日紹介したラジャンの論考に対するクルーグマンの批判では、ジェフリー・サックスも、ラジャンと同様の苦痛を求めたがる心理の持ち主として併せて批判されている


批判対象となったサックスの論考はこのFT記事(Abetchさんの邦訳はこちら;ハッフィントンにも再掲されている)。内容的には昨年初めに紹介した論考と概ね似通っており、財政赤字を懸念し、バラマキ的な財政刺激策に否定的な一方で、グリーン公共投資には賛成し、中期的な財政予算の枠組み作りを訴えている。


クルーグマン、およびクルーグマンに同記事に目を向けさせたデロングは、そのサックスの財政タカ派的な論調に反発している。ただ、両者いずれも言及していないが、サックスの記事には以下の記述が存在する。

In fact, the ubiquitous references last year to the Great Depression were glib; the policymakers had panicked. Adroit central banking could and would prevent depression. The hastily assembled stimulus packages were a throwback to naive Keynesianism.
(Abetch氏訳)
実際のところ、昨年、至るところで世界大恐慌への言及が行われていたのは浅薄なことであった。政策決定者たちはパニックになっていたのだから。如才なき中央銀行が不況を阻止することは可能であったはずだし、実際にそうなっていたことだろう。性急に組み立てられた景気刺激策のパッケージは愚鈍なケインズ主義への逆行であったのだ。
(太字は小生)

つまり、サックスは確かに短期的な景気刺激策としての財政政策には懐疑的なのだが、その一方で、金融政策で今回の危機は防げた、という立場に立っているのである。その点では、実は、拙ブログの読者にはお馴染みのスコット・サムナーの立場と共通していると言えよう*1。その意味で、金融政策にも財政政策にも否定的なラジャンとは一線を画しており、サックスが公共投資すべてを否定しているわけではないことを考え合わせると、クルーグマンが彼を十把一絡げにシバキ上げ派として批判対象としたのは少し性急に過ぎたように思われる。



なお、このサックス記事は、他にEconomist誌のbuttonwoodブログでも批判されている(H/T ジェフリー・サックスの処方箋を酷評したエコノミストの記事 - 平井俊顕 (ひらい・としあきToshiaki Hirai)ブログ - Yahoo!ブログ)。そちらの批判のポイントは、財政タカ派としての側面を批判したクルーグマンやデロングとはやや異なっており、論説の具体性の乏しさに向けられている。冒頭では、サックスに対して以下のような辛辣な寸評が加えられている。

He is one of the bien pensants of global economics but I always find his writing dissatisfying, like an over-rich dessert; the pieces are loaded with platitudes and short on gritty detail.
(拙訳)
彼は国際経済学の権威の一人だが、私はいつも彼の文章を物足りなく思う。それは盛り付け過ぎのデザートのようだ。決まり文句はふんだんに盛り込まれているが、歯ごたえのある細部を欠いている。

この批判は、サックスの弱点を一面で言い当てているかもしれない。

*1:急いで付け加えておくと、ここで言う共通点とは、あくまでも短期的な需要喚起策に対する立場という意味である。中長期的な成長戦略や所得政策としての公共支出の価値を認めるサックスと、財政政策全般に否定的なサムナーとでは、それ以外の点ではむしろ意見の違いが大きいだろう。