ネオコンとしてのニューケインジアン

昨日エントリでは、デロングがまとめたニューケインジアンの5つのテーゼとそれに対するクルーグマンの論考を紹介したが、同じブログ記事でデロングは、そのテーゼが生成されるに至った歴史的背景に触れている。


デロングは1965-1975年のケインジアンケインジアン1と呼び、その主張として以下の2点を挙げている。

  1. フィリップス曲線は固定的な関係なので、平均賃金と物価の変化が望ましい水準でうまく調和するように政府が最小限の手引きをしてやりさえすれば、やや高めのインフレが存在する高圧的な低失業社会を作り出し維持することができる。
  2. 財政政策は金融政策よりもマクロ経済を安定させる政策ツールとして強力かつ効果的である。

一方、同時期のマネタリストは以下の2点を主張していた。

  1. インフレ期待を実際のインフレよりも低い水準に長い間とどめておくことはできない。適切なマクロ経済政策*1フィリップス曲線トレードオフを利用しようなどとするべきではなく、貨幣供給の安定的な成長、名目GDPの安定的な成長、失業率の自然率での推移を目指すべきである。
  2. 金融政策は財政政策よりもマクロ経済を安定させる政策ツールとして強力かつ効果的である。


しかし、1975-1985年になる頃には、マネタリストは分裂し、半分はケインジアンに合流してケインジアン2を形成した。残りの半分は、金融政策は実質経済変数に影響を与えられない、という主張に流れていった。
デロングは、かつてアラン・ブラインダーが、若手ケインジアンは1980年までに存在しなくなった、と述べた時、彼はケインジアン1を指していたのだ、と言う。そして1980年代以降には若手ケインジアン2経済学者が数多く現われ、それ以降の経済学に実質的な貢献をしたのはすべて彼らだった、と評価する。


これを読んで小生が想起したのが、ブッシュ政権下で猖獗を極めた米国共和党ネオコンは元々は左翼だった、という話である。かつて対極に位置していた勢力が自勢力に合流し、新という名前を冠して(New Keynesian、Neoconservatism)いつの間にか主流派にのし上がる一方で、かつての主流派が旧付きで呼ばれるようになる(Paleo-Keynesian、Paleoconservatism*2)、という構図だけを(イデオロギーの善悪等の価値判断を抜きにして)見ると、デロングの描くケインジアンの歴史は共和党の歴史と似ているように思われる。ただ、その後の展開については、ケインジアンにおいては――少なくともクルーグマンに言わせれば――今や旧ケインジアンの正しさが改めて示され、ネオ旧ケインジアンによる反反反革命が起きているのに対し、共和党の方ではティーパーティーという今までとはまた別種の新勢力が猖獗を極めるようになった、という形でかなり違ってきているが…。

*1:原文はmicroeconomic policyとなっていたが、ここではmacroeconomic policyの誤記と見做した。

*2:Wikipediaによれば、ネオコンに対し旧来の保守主義はPaleoConservatismと呼ばれるという。