新しい古典派の革命とスタグフレーション

ここで紹介した新しい古典派の革命とスタグフレーションとの関係を巡る議論が続いている。この議論は基本的には、その革命にはスタグフレーションはあまり寄与しなかった、というサイモン・レン−ルイスの見解と、いや、スタグフレーションは確かに寄与した、というクルーグマンの見解の違いを巡るものであるが、経済学101で227thdayさんが訳されたノアピニオン氏クルーグマン寄りの見解を示した一方、ロバート・ワルドマンアーノルド・クリングがレン−ルイス寄りの見解を示している(H/T Economist's view)。
以下はワルドマンの見解の概要。

  • 新しい古典派の大いなる名声は、藁人形を仕立てあげそれを倒すという非常に成功した戦略に基づいていた。
  • オールド・ケインジアンのルーカス供給曲線に対する反応を知るには、シカゴ外で初めてルーカス供給曲線がプレゼンされたコンファレンスのトービンによるまとめがうってつけ(ただしトービンがその1971年論文に書いているように、同関数は実はケインズの一般理論で激しく既出*2)。
    • 期待インフレ率は最終的にはインフレ率の恒久的な上昇と同じだけ上昇する、というフリードマンの見解は完全に正しい、という点についてトービンは同意していた。
  • インフレ率の恒久的な1%の上昇が期待インフレ率の0.5%の上昇をもたらすような、加速度的な期待で補強されていないフィリップス曲線も、スタグフレーションと別に矛盾はしない。加速度的なフィリップス曲線十分条件ではあるものの、必要条件では無い。
    • 気違い染みた金融政策によってある年30%のインフレが引き起こされ、翌年の期待インフレ率が15%になるとしよう。加速度的な期待で補強されていないフィリップス曲線でも、実際のインフレ率を10%に引き下げるには大量失業が必要となる。ここでの0.5という係数を持つラグ付インフレモデルが70年代の現実のデータによって否定されたという議論は可能だが、高インフレと高失業が共存したことによってとにかくそのモデルは否定されるのだ、という議論は正しくない。
    • そうしたモデルが真実だと信じた人はいないし、期待インフレ率は最終的にはインフレ率の恒久的な上昇と同じだけ上昇する、という議論に納得しなかった人もいない。0.5モデルのような単純なモデルが推計され予測に使われたのは、間違ってはいるものの有用である――実際に検討されている政策の選択肢の範囲内では、合理的な近似になっている――と、フリードマンの実証経済学の手法を用いた人々が考えたためである。
    • 0.5モデルが右下がりの長期的フィリップス曲線を含意していたことも重要。またそれは、オールド・ケインジアンが1960年代に用いていたモデルと同種でもある。
    • 0.5モデルは1970年代のデータとも整合的。1980年第1四半期までのデータを用いて回帰を回すと、以下のようになる。これは1971年以前に報告された推計と概ね同様の結果。
被説明変数 企業部門の時間当たり賃金伸び率
説明変数 係数 標準誤差 t値
前年インフレ率 .4888773 .0642374 7.61
前々年インフレ率 .0698199 .0748645 0.93
失業率 -.1724548 .1291306 -1.34
定数項 .0518619 .0063418 8.18
  • フリードマンと従来型ケインジアンの論争は、ラグ付インフレ率の係数の合計が1か1未満か、という点を巡るものだった。1970年代のデータはそれに回答を与えない。
  • スタグフレーション」の標準的な定義は、高インフレと高失業の組み合わせ。それは1960年代のケインジアンモデルでも発生可能だった。従来型ケインジアンが、期待インフレ率をモデル化していなかったとか、フィリップス曲線が期待インフレ率と共に上方シフトすることはないと前提していたとかいう話は、後付けの話に過ぎない(注目すべきことに、その後付けの話をした人々の中には、それが事実と異なることを知っていたフリードマンも含まれていた)。


一方、クリングは、主流派マクロ経済学の転換を以下の2段階に分けている。

  1. 1967年(出版は1968年)にフリードマンが会長講演で語った方向への転換
  2. フリードマンの非合理的期待バージョンから、合理的期待付きの新しい古典派モデルへの転換
    • この転換は大学の入門経済学にはあまり浸透しないまま、大学院のマクロ経済学を変えた。
    • バックワードルッキングな期待を暗黙裡に用いていたフリードマンの話から、フォワードルッキングな期待を用いたルーカスモデルへの転換。
    • この2段階目の転換のきっかけになった実証的な出来事は無かったはず。スタグフレーションの予言は、バックワードルッキングな期待付きのフリードマンの話で十分だった。その点において、クリング自身の見方はノアピニオン氏よりはレン−ルイスに近い(ないし、両者と少しずつ不同意)。
    • クリングの見解によれば、この第2段階の駆動力となったのは以下の2点。
      • 合理的主体の枠組みを信じることとバックワードルッキングな期待を信じることの矛盾
      • 合理的期待モデルにおける数学的優位性のオーラ
        • この要因が大きかったのではないか。また、クリングの記憶によれば、この点についてはスタン・フィッシャーの責任も大きい。

このクリングのエントリにはワルドマンがコメントを寄せ、貴兄とレン−ルイスは100%意見が一致しているが、自分は0.1%不同意である、その0.1%というのはフリードマンの話(それは明示的にバックワードルッキングな期待を織り込んでいる)は米国の70年代のスタグフレーションを説明する十分条件ではあるが必要条件ではないというものだ、と書いている*3


さらに、議論のきっかけを作ったレン−ルイスも新たにエントリを起こし、新しい古典派経済学のマニフェストとも言える1979年のルーカス=サージェント論文「After Keynesian Economics」を基に改めてこの件について考察している。レン−ルイスによれば、この論文は、構造型の計量経済モデルにおける識別制約は理論的観点からすると信じられるものではない、という手法上の問題を主題にしており、スタグフレーションは行きがけの駄賃的に触れられているに過ぎない、という。スタグフレーションに関する実証的失敗の話を識別問題を結び付ける議論はなされておらず、むしろ、その問題は構造型の計量経済モデルにおける特定の方程式を変えることによって解決できる、という認識を論文の著者たちは示している、とのことである。そうした解決は、まさに当時の主流派経済学が期待で補強されたフィリップス曲線で行っていたところの話である。ルーカス=サージェントは、ケインジアンが古典派経済学ではできないと考えていた生産と失業に関する「事実」の説明が、ルーカス供給曲線を付け加えた「均衡」分析によって可能になった、という一般的な議論を展開しており、スタグフレーションのような特定の問題がそれらのモデルにおいて構造型の計量経済モデルより上手く説明できるという話はしていない、とレン−ルイスは指摘している。

*1:この件に関するワルドマンらの議論は以前ここで紹介したことがある。

*2:同論文では一般理論のp.290の以下の箇所を引用している(山形浩生氏訳より):
少なくとも一時的には、物価上昇により事業者たちは目がくらみ、その製品で測った個別利益を最大化する以上の水準まで雇用を増やしてしまうかもしれません。というのもかれらは、お金で見た売り上げ上昇は生産拡大の信号だと考えるのに慣れすぎていて、その方針が実は自分にとっていちばん得にならなくなった状況でも、それを続けてしまうかもしれません。つまり、新しい物価環境での限界利用者費用を見くびってしまうかもしれないのです。

*3:ちなみにコメント欄に書き切れなかった続きを自ブログで展開し、それをリンク先として付けているが、いつものように長くなったのでクリックしない方が良いかも、という自虐的なコメントも添えている。