ラグラム・ラジャンのフォーリン・アフェアーズ論文が物議を醸している。
賛成派では、タイラー・コーエンが「Every paragraph of his piece is excellent」という賛辞を添えて引用しているほか、マンキューが「A wise essay by Raghu Rajan」として同論文にリンクを張っている。
反対派の筆頭はカール・スミスで、ラジャン論文を竹馬に乗ったナンセンス*1と呼んでいる。このスミスの批判にはクルーグマン、マシュー・イグレシアス、ノアピニオン氏も賛意を表している(コメント欄ではロバート・ワルドマンが絶賛している)。
また、サムナーも批判エントリを上げたほか、Mostly Economicsも、欧州で緊縮策が混乱を招いている現在、ラジャンの主張は説得力を失った、として批判的に紹介している。
ちなみに、両スミスとサムナーは各々3つの批判点を挙げている。
カール・スミスの批判は以下の3点。
- 住宅投資に資本と労働が割かれ過ぎているというのは事実に反する*2。
- 経済状況にも関わらず家賃価格は上がっており、住宅の供給がむしろ少ないことを示している。
- 借り入れと支出を増やすことは打開策にならないと言うが、その理由が述べられていない。
- 長期の維持可能な成長に焦点を当てるべき、と言うが、その方法が分かっていたら誰も苦労しない*3。
- ラジャンは人的ないし物理的な資本の蓄積をイメージしているのかもしれないが、単一形態として最大の資本は(ラジャンが否定的な)住宅資本である。また、ラジャンが膨張し過ぎと指弾した政府の生産活動の半分以上は教育である。
このうちの第三点がクルーグマンやイグレシアスが最も賛同した点である。
イグレシアスは、長期の維持可能な成長が各種プロジェクトへの大規模な政府支出と結び付いていると考えている人が多いことを指摘し、その点でラジャンは、同じく長期的成長に焦点を当てつつラジャンとは対照的な処方箋を打ち出したスティグリッツの主張を玩味すべき、と述べている。その上でイグレシアスは、エントリを以下のようにまとめている:
That's just to say that taking an argument out of the controversial but ponderable realm of "why are all these able-bodied people looking at job listings instead of working" and into the truly mysterious depths of "why do some countries prosper more than others over the long-term" is not actually a productive move.
And these are different questions. Spain is richer than Argentina, but has many more unemployed workers. Asking how Spain can get even richer is a good question to ask, but so is asking how to not have so many unemployed workers.
(拙訳)
要は、私が言いたいのは、「なぜあれだけ多くの健康な人々に仕事が無く、求職して回る羽目に陥っているのか」という意見は分かれるが考える価値のある領域に属する問題を取り出し、「なぜ長期的にある国は他の国より繁栄するのか」という本当に深い謎に満ちた領域に放り込むのは実際のところ生産的なやり方ではない、ということである。
そもそもそれらは違う問題である。スペインはアルゼンチンより裕福であるが、失業者はスペインの方が多い。スペインが一層裕福になるにはどうしたら良いか、というのは良い質問ではあるが、失業者の数を減らす方法を尋ねるのもまた別の良い質問である。
サムナーは、ラジャンは需要不足を認めているのにそれに対処しようとしない、構造改革の必要性には同意するが、それは失業者をそのままにしておく理由にはならない、として以下の3点を批判点として挙げている。
- 実質GDPを2008年以前のトレンドに戻すべき、と主張する者は誰もいない。
- 借り入れが問題というならば、余暇(=失業)は解決策にはならない。むしろ政府ではなく市場が決定する部門における労働を強化しなくてはならない。
- 支出が無駄を生むというが、それは財政支出には当てはまっても、非伝統的資産の購入を伴わない形で名目GDPの底上げを目指した金融政策には当てはまらない。
さらにサムナーは、ラジャンは金融緩和を安易な信用供与と同一視していたのではないか、と批判するとともに、追加的金融刺激策に賛成しているはずのコーエンが、ラジャン論文のすべての文章が素晴らしい、と言うとは何事か、と矛先をコーエンにも向けている。
ノアピニオン(=ノア・スミス)氏は以下の3点を批判している。
- 経済史に関する幾つかの事実誤認
- 構造改革の強調が米国ではあまり意味をなさないこと
- 借り入れと支出によって回復できない、というのが根拠レス
そして、エントリを以下のように締めくくっている:
I don't like this. When well-respected people like Raghuram Rajan repeat these claims over and over in the popular press, they become a part of the conventional wisdom, and give ammunition to vested political groups (e.g. Republicans) looking for intellectual cover for their narrow interests.
And I just generally dislike this trend of substituting conservative harrumph-ing for thoughtful economic analysis. Harrumph, austerity is healthy and stimulus is waste! Harrumph, government attempts to help the poor must be at the root of any market failure! Harrumph, North Europeans work harder and save more than South Europeans! Etc. etc. Yes, I realize that macroeconomics is really hard, and that we just don't understand the vast majority of what is going on. But I think that makes it all the more important to ignore the sweet seductive siren song of one's own politico-cultural biases.
(拙訳)
この傾向はまったくもって気に入らない。ラグラム・ラジャンのような尊敬される人々がこうした主張を一般向けのメディアで度々繰り返せば、それは世間知の一部となり、(共和党のような)その点に関して利害関係を持ちつつそれに見せ掛けの知的外観の覆いを求める政治グループに弾薬を渡すことになる。
また、そもそも保守的な咳払いで思慮に富んだ経済分析を置き換えようという傾向は全般的に気に入らない。えへん、緊縮策は健全で刺激策は無駄なのだ! えへん、貧困層を扶助しようとする政府こそが、すべての市場の失敗の根源に違いない! えへん、北欧諸国は南欧諸国より勤勉で貯蓄家だ! 等々。もちろん、マクロ経済学が本当に難しく、実際に起きていることの大部分は我々には解明できていない、ということは僕も認識している。しかし、だからこそ、自分の政治文化的偏向が奏でる甘い誘惑の言葉を無視することがとても重要になるのだ。
要は、ノアピニオン氏はこの点においても米国が日本化するのを恐れているわけうわなにをするやめqあwせdrftgyふじこlp