ラジャンの超低金利政策への疑問

ラジャンが6/10ブログエントリで超低金利政策への疑問点を8つ挙げている。

  1. 短期金利を低く抑えることによって長期金利が低下し、企業投資が促進されると言われる。しかし、ゼロ金利から低水準のプラスの金利に引き上げることによってどの程度の追加投資が見送られるかは定かではないし、個人的にはその額が大きなものではないことに賭けても良い。現在、大企業は、資金調達の資本コストをそれほど気にしておらず、それよりは収益、および、米国内に投資すべきかそれとも業務海外に移転すべきかについて懸念している。中小企業はそもそも資金調達できるかどうかを懸念しており、そのコストはやはりさほど気にしていない。十分な警告を発した上で小幅の引き上げによって金利を2〜2.5%にした場合、企業投資への影響がまったく無いとは言わないが、市場の準備が出来ていれば、投資や市況への悪影響は小さなものに留まるだろう。
     
  2. 金利は住宅をはじめとする資産価格を下支えする効果があると言われている。しかし、不自然な低金利は、価格が本来の水準に戻ることを妨げ、住宅市場において必要な調整を遅らせているのではないか?
     
  3. 超低金利は紛れも無く貯蓄者、特にリスク回避的な貯蓄者への税金である。それは彼らに、(a)指を咥えて預金や投信からの収益が縮小しているのを眺めている、(b)リスクをもっと取って超過収益を狙う、(c)貯蓄を使ってしまう、のいずれかの選択を迫る。現在の家計のバランスシートの状況を考えると、(b)と(c)の選択肢は賢明とは言えない。もし家計が支出を増やさなければ、超低金利のネットの効果は(利子収入の減少を通じて)家計所得を減らし、需要をさらに押し下げることになる。また、リスクを取る傾向を促してしまう。
     
  4. 結局、超低金利は家計に負担を強いるものである。一方で恩恵を受けるのは、銀行である。貯蓄者には雀の涙ほどの金利しか払わない半面、貸付は(潤沢な信用スプレッド込みの)高い長期金利で行うので、巨額の利益を上げることになる。超低金利は銀行への直接の補助金であり、その額はTARPよりはるかに大きい。FRBの目的は、こうして裏口から資本強化を行い、貸付を促進することにある。しかし、貸付機会が乏しいため、それが配当や賞与という形で流出してしまったらどうだろうか? しかもその配当や賞与が消費性向の低い高所得者に回り、一方で低金利のつけが(貯蓄の大部分を預金で持っているであろう)消費性向の高い低所得者に回るのだったら? 超低金利は実際には需要を減らすのではないだろうか? その可能性はゼロではない。
     
  5. 多くの研究が、低金利が長期間続いた場合、銀行(や他の金融機関)は資産サイドならびにレバレッジを通じてリスクをより多く取るようになることを報告している。低金利時には銀行は利回りを確保しようとする。私とダグ・ダイアモンドとの共著論文では、低金利が一定期間継続すると予想される(かつ、市場が引き締め気味になるとFRB流動性を供給する)ならば、銀行は短期で借り入れて非流動資産に投資することによって流動性リスクも多く引き受けることが示された。こうしたリスク引き受けと非流動性への投資は、欧州危機が市場の過剰投機に冷や水を浴びせ、銀行が過去の傷から完全に癒えていない現段階では、確かに行き過ぎとまでは言えないかもしれない。しかし、欧州危機が訪れる前にコビナントライトローン*1が再び猖獗を極めつつあったことに注意すべきである。欧州問題が片付けば、コビナントライトローンやそれよりもっと悪いものが戻ってくるだろう。また、金融危機の醸成時にもリスク引き受けが過剰には見えず、銀行が苦境に陥って初めて気付いたことも想起すべき。
     
  6. FRBが現政策を一定期間維持すると保証した時に、経済が最も傷つく。そうした保証は金融機関がもっとリスクを取ろうとするインセンティブをもたらす。実際、銀行のバランスシート上のリスクが大きくなった際には、インフレのような伝統的な指標が金利を引き上げるべきという合図を出しても、FRBがそれに従うのが難しくなる。超低金利は中毒性があるだけでなく、FRBをそれによる予想の虜にしてしまうのだ。
     
  7. 無責任な銀行を助けるために責任ある貯蓄者を利用することにより、FRBは銀行に間違った教訓を教え込んだ。銀行が集団で金融システムに問題を起こせば、FRBが期限を定めない超低金利政策を取るので、生き残りさえすれば最悪の経営を行った銀行でも回復することができる、という教訓だ。現在審議されている金融規制をすべて掻き集めても、FRBの政策がもたらしたこの巨大なモラルハザードを相殺することはできないだろう。現在の危機が片付いていないうちになぜ次の危機の心配をするのだ、という人もいるかもしれない。しかし、まさにこの時点において、将来の金融部門の動向を左右する予想が形作られているのだ。
     
  8. FRBの明記された任務は国内の雇用と物価の安定である。しかし、そうした狭い目標に捉われていると、グローバル経済に思わぬ影響を与えてしまう。欧州危機が質への逃避をもたらすまで、米国(ないし先進国全般)の超低金利から逃げ出した資金が、新興国の株式や不動産の価格を押し上げていた。それによって新興国の政策当局者は窮地に陥った。もし彼らが国内金利を上げれば、さらに資金を呼び込み、為替が増価し、競争力を失ってしまう。資金が留まることが保証されているならば、それも悪いことばかりではないかもしれない。しかし、過去の経験から言うと、先進国が金利を上げ始めた時にそうした資金の大部分は再び流出し、新興国の金融市場に大いなる圧力を掛け、しばしば金融危機をもたらす。一方、新興国中央銀行金利を低いままにしておくと、国内の資産価格バブルのみならず高インフレのリスクを招いてしまう。米国内の企業が雇用に積極的でないとしても、世界の別の場所の企業はそうである。世界のあちこちの新興国は景気過熱の瀬戸際にある。たとえばブラジルの失業率は数十年来の低い水準にあり、中国の労働賃金は未熟練労働者のものも含め急速に上昇している。

ラジャンはこのエントリを次のように締めくくっている。

If the Federal Reserve were to accept the responsibilities of its role as central banker to much of the world, it would have to admit that its policy rates are too accommodative for the world as a whole. Does the Fed have responsibility to help the world while hurting its own economy (or as one commentator put it, am I advocating that the U.S. raise rates because Brazil is overheating)? Of course not! But when the benefits to its own economy are dubious, it should also give some thought to the global effects of its policies. For eventually, the consequences of its policies will come back to haunt it if they precipitate crises elsewhere.
Hopefully I have convinced some of you that the case for sustained ultra-low rates is not as airtight as some make it to be. With sustained ultra-low rates, we risk restarting the cycle of debt fueled consumption and excessive leverage that brought us to grief just recently. At any rate, I do believe it is legitimate to start the debate about when and how the Fed will bring rates back to a low and still accommodative level, and up from the ultra-low level set in response to the panic. And that decision cannot be driven solely by inflation and unemployment numbers. I am glad the Chairman Bernanke seems to be hinting at starting the dialogue.
(拙訳)
もしFRBが世界の大部分に対しても中央銀行の責を担うことを受け入れるならば、現在の政策金利が世界全体にとって緩和的に過ぎることを認めるべきだろう。FRBは自国の経済を傷つけてまで世界を助ける責任があるか?(あるいは、ある論者の表現を借りれば*2、私はブラジル経済が過熱しているから米国は金利を引き上げよと唱えているのか?) もちろん違う! しかし、自身の経済への恩恵が疑わしいならば、その政策のグローバル経済への影響も考慮すべきである。もしそれが世界のどこかで危機を生み出すならば、結局はその政策が自らに跳ね返ることになるからである。
超低金利を継続する根拠が、一部の人が言うほど完全なものではないことがお分かりいただけたと思う。超低金利の継続は、つい最近我々に苦難をもたらしたばかりの借り入れによる消費と過剰なレバレッジの悪循環をまた始めてしまう危険性がある。いずれにせよ、危機に対応した超低金利を、緩和的ではあるが低い水準にFRBが戻す時期と方法について議論を始めるのは理に適ったことだと私は思う。そしてその決断は、インフレや失業率の数字だけで下してはならない。バーナンキ議長がそうした対話を始めようとしているように見えるのは喜ばしいことだ。


このラジャンのブログエントリにクルーグマン反応し、その矛盾点を指摘すると同時に、経済学者の分析というよりは苦痛を求めたがる心理の産物、と評している(その評は以前の小生の日本の経済学者への評と通ずるものがある;ケインズも一般理論で同時代の古典派経済学者に同様の評を下しているとの由)。


6/1エントリで小生は、現在の日本で見られるような従来の経済学における需要喚起策をむしろ有害無益とするような議論が、今後米国でも力を得ていくのではないか、と懸念したが、思ったよりも早くそれが現実化したようである。それがラジャンという金融危機預言者として一躍名を馳せた経済学者の口から飛び出したことについてはまさに本当に鬱になる気がするが、反面、やはりシカゴ学派か、という妙な納得感も覚える。


ちなみにシカゴ出身のサムナーは、フレディとファニーを巡る論争に関してはラジャンを支持したが、これについてはクルーグマンやThomaよりがっかりです、と書いている*3

*1:これについてはたとえばこのpdfファイルの説明を参照。

*2:これは、ラジャンのProject Syndicate論説に反応したMark Thomaを指す。ThomaはこのEconomist's Viewエントリで(クルーグマンの反論を紹介する傍ら)ラジャンに再反論している。

*3:正確にはそれはProject Syndicate論説への反応で、ブログエントリについてはこちらで反応している。