世界金融危機の中央銀行にとっての教訓

という講演をスタンリー・フィッシャー・イスラエル中銀総裁がインド準備銀行で行ったMostly Economics経由)。


そこで彼は以下の9箇条の教訓を挙げている*1

  1. ゼロ金利下限への到達は金融拡張政策の終わりではない
    • 危機以前の教科書には、ゼロ金利に到達したら金融政策の効力は失われるので、財政政策だけが拡張政策ツールとして残る、と書かれていた(純粋なケインズ経済学のケース)。だが、今や量的緩和や信用緩和*2というツールがある。
    • 1963年にトービンは、資本コストに直接影響を与えられる株式市場が中央銀行公開市場操作の場に適している、と論じた。しかし、それは金融政策の方法として未だ定着していない。
       
  2. 強くて頑健な金融システムは極めて重要である
    • ラインハート=ロゴフが指摘したように、金融危機を伴うと不況は深刻化する。そうでない不況は、通常の金利引き下げで対応できる。
    • 強くて頑健な金融システムを構築する方法としては、自己資本規制の強化が主要策となる。しかし、その政策をあまり急速に推し進めると、景気回復に水を差す、という問題も出てくる。
       
  3. マクロプルーデンシャルな監督策の必要性
    • マクロプルーデンシャルな政策や監督策には未だ広く受け入れられた定義は無いが、以下の二つの要素は不可欠:
      1. 全金融システムに関する監督であること
      2. システミックな相互作用を伴うこと
    • 従って、対象は銀行に限られない。そのため、複数の規制当局間の協調が必要になる。
    • 中央銀行の有しているマクロプルーデンシャル政策ツールとして第一に挙げられるのは、その分析能力と、政策当局ならびに一般大衆に重要な問題を知らしめる能力。幾つかの中央銀行が過去10年以上に亘って出版している金融安定性報告がその好例*3
    • しかし、それ以外の政策ツールについては、金融危機後に各中央銀行がいろいろ模索してはいるが、未だこれといったものが見つかっていないのが現状。結局は、通常のミクロプルーデンシャル政策ツールないしその応用といったことになりそう。
      • 例えばイスラエルでは、金融危機後に発生した住宅バブルを抑えるために、政策金利は使わずに、実質的に住宅ローン金利のみ上昇させるような監督策を採ると同時に、政府も税制等での対応や建設用の土地の供給増大でそれに呼応し、その結果、住宅価格の上昇率を低下させることに成功した*4。その実施に当たってイスラエル中銀は、マクロプルーデンシャル政策であることを強調した。
    • 複数の規制当局が協調して強調してマクロプルーデンシャル政策を実施する場合、その仕組み作りが問題になる。官僚組織で働いたことの無い人は、問題が発生した時に当局同士がうまく協力して戦略を立てれば良いと思うかもしれないが、そうした状況下での対等な組織同士の協力は困難かつ非効率。各国でその仕組みについて模索が続いているが、いずれの場合でも中銀が中心となることになりそう*5
       
  4. バブルの処理
    • 今回の危機では、FRBの「モップで後始末アプローチ(the mopping up approach)」――中央銀行は資産価格やバブルと思われる状況に対してはバブルが破裂するまで反応すべきではなく、破裂した後にモップで後始末をすべし、というドクトリン――が葬り去られた。
    • このアプローチの原点は、グリーンスパンの「根拠無き熱狂」という言葉を生み出した、1990年代後半の景気拡大と株価高騰にある。この時FRBは、生産性の上昇速度が速まったのだと判断して景気拡大を継続させたが、その判断は幅広い称賛を受けた。
    • 2000年にITバブルが崩壊したときには、モップで後始末アプローチは成功したかのように見えた。FRB金利を急速に切り下げ、景気後退は比較的緩やかなものに留まった。その時に金利を長く低く留め置いたことが今回の危機につながったのだ、と論じる人もいるが、そういった論者も、今回の危機は1990年代後半に株式バブルを潰そうとしなかったことの不可避の結果、とまでは論じない。
    • モップで後始末アプローチの議論が誤解を招いていたと思うのは、一般にその議論が、「中央銀行はバブルを潰そうとすべきか?」という形で提示され、その質問に「否」と応える陣営が、バブルを潰すためには金利をあまりにも高く引き上げる必要があり、それは深刻な景気後退を招く、と論じていた点にある。質問が「FRB金利の決定において資産価格に反応すべきか?」というものであれば、答えはイエスとなっていた可能性が高い。ただしその回答はインフレ目標アプローチの観点からの回答となっていただろう。即ち、高過ぎる資産価格が将来のインフレや生産水準に影響を与えるならば、中央銀行はそのことを金利の決定に織り込むことが正当化される、というものであっただろう。
    • 今日において同じ質問が投げ掛けられるならば、マクロプルーデンシャルな監督策の観点からの回答がなされるだろう。そして、金利の資産価格に対する効果は、規制的な手段によって補完されることになるかもしれない、という注釈が付くだろう。
    • マクロプルーデンシャルな監督策の必要性が広く認められた現在、モップで後始末ドクトリンは後退した感が否めない。しかし、例えば、崩壊したとしても金融システムへの悪影響が限られる株式市場ブームであれば、そのアプローチはやはり正当化され得るかもしれない。
       
  5. 最後の貸し手と、潰すには大き過ぎる金融機関の問題
    • 政策の履行に当たっては、原則として、流動性の問題と債務履行の問題は区別すべき。前者は長期的な公的コスト無しに解決できるが、後者にはそうしたコストが伴う(ただし、これまでの危機においては、公的部門にむしろ利益をもたらす形で解決されたこともある*6)。そのため、中央銀行が最後の貸し手機能を果たすべき名分は、前者では明らかだが、後者ではそれほど明らかではない。
    • 中央銀行の利益は最終的には政府に納付されるので、中央銀行の行動は財政的な意味も併せ持つ。例えばイスラエルでは、流動性問題には中央銀行は単独で対応できるが、債務不履行となった金融機関の救済には財務省と政府の認可が必要。
    • ただし、現実には両者の区別はそれほどはっきりしたものではなく、流動性危機が急速に債務不履行危機に転じることもある。従って、金融危機の各段階で判断が必要となる。
    • 潰すには大き過ぎる金融機関の問題は、モラルハザードの問題とも絡む。いざと言う場合に株式に転換する債券の発行(=破綻時には債券の保有者にも応分の負担をしてもらう仕組み)や、あるいはもっと全般的な破綻時の整理の仕組みの整備は、そうしたモラルハザードの問題の解決への一歩である。
    • しかしながら、最後の貸し手の存在それ自体が、モラルハザードの問題を惹起する。とは言うものの、モラルハザードの最適な解決法は、保険の販売の停止では無い。従って、その最後の貸し手という存在も織り込んだ上でモラルハザードの問題を考えるべき。
    • 個人的に到達した結論は、モラルハザードを防ぐためには危機を醸成して経済に多大の負担を強いなくてはならないという状況に陥った時には、既に手遅れと考えるべき。その場合、そうした負担を強いるような行動はすべきでは無い。そうした選択を迫られる状況に陥らないようなシステムを設計することが肝要。
       
  6. 小さな開放経済にとっての為替の重要性
    • 為替については、まず、資本規制を掛けて名目為替レートを固定するか、それとも変動相場制にするか、という選択肢がある。
    • 個人的には変動相場制の方が良いと思うが、それは資本規制をまったく掛けないことや、為替にまったく介入しないことを意味しない。
    • 市場の力には逆らえない、と言うが、為替相場の切り下げ圧力と切り上げ圧力とでは戦い方に非対称性があることを認識すべき。切り上げ圧力に対しては、中央銀行は自国通貨を無尽蔵に供給できる(インフレ防止のためには不胎化が必要となるが)。あとは、追加的な外貨準備を保有するコストとの兼ね合いになる。近年は、多くの国が以前より多くの外貨準備を保有するようになっているし、イスラエルの場合はさらに(中央銀行が明確に述べているように)地政学的な要因がある。
    • 中央銀行家たちは、ツールは金利しかないので、政策目標もインフレ率にしか置けない、とティンバーゲンの定理に基づいて主張してきた。個人的にはその見解は正しくないと思うが、いずれにせよ、為替介入は事実上もう一つの政策ツールを提供している。
    • 資本流入規制は美しくないし実施も困難だが、為替介入で不十分な場合は、短期の大量の資金流入に対する対応策として採らざるを得ない場合もある――最近のイスラエルのように。
    • ユーロを採用した国は通貨切り下げができないため経済運営に制約が課される、ということを力説する人がいるが、その半面、通貨切り下げが可能な国で実際にそれを実施するとしばしば近隣諸国との貿易に混乱がもたらされる、ということを指摘する人は少ない。また、通貨操作の自由度が高かったがために、誤った操作をして高い代償を支払った国もある。どの通貨制度を採用するにせよ、別の通貨制度にしておけば良かった、と思う瞬間があるものなのだ。
    • 自分が直面している小さな開放経済についての為替の問題を述べてきたが、これらは大小を問わずすべての開放経済に当てはまる話である。
       
  7. 永遠の真実――IMFからの教訓
    • 通常時の経済運営が上手くいっていた国は危機から立ち直るのも早い。特に、IMFが口を酸っぱくして説き続けてきた政策は、やはり引き続き信奉すべき。即ち、財政規律と金融の安定、成長を促進する構造改革、社会のあらゆる層の厚生への配慮。
       
  8. 柔軟なインフレ目標政策
    • これまで述べてきたことを簡単に要約するならば、柔軟なインフレ目標政策が最善の金融政策、ということになる。
    • 現代の中銀は以下の3つの目標を目指すべき:
      1. 物価の安定
      2. 他の経済政策目標のサポート、特に中期(1〜3年)の物価安定を維持した上での成長と雇用のサポート。
      3. 金融システムの安定と効率の維持および促進
    • これらの目標は10年以上前に定義されたものであり、ECBやBOEなどにおいて既に設定されているものである。今回の危機のためにこれを変更する必要は無い。むしろ、我々はこれらの目標を達成するためのより良い方法を学んだ、と捉えるべき。
       
  9. 最後に
    • 危機に際しては、中央銀行(や他の政策当局者)は、以前には採ると思わなかった政策、そしてあまり採りたいと思わない政策を採用することになる。ということで、中央銀行家諸氏への最後の教訓:
      • 決してしないなどと決して言うな(Never say never)

*1:10箇条目は後世に現われるだろう、というようなことを冒頭に述べている。また、大恐慌における金融政策の波及経路に対する理解が現在の水準に達するのに50年掛かったのだから――ここで彼は、バーナンキが1983年の研究で、(フリードマン=シュワルツの言うような)貨幣供給そのものではなく、信用システムの崩壊が大恐慌の主要な問題だったのだ、と指摘したことをその到達点としている――、今回の大不況の教訓をまとめるのは時期尚早かもしれないのは承知の上、と断っている。

*2:フィッシャーは「the approach that the Fed unsuccessfully tried to name "credit easing"」と書いており、信用緩和というネーミングは失敗だった、という認識を示している(経済学用語として定着しなかった、という意味?)。

*3:cf. 小生のブクマコメント(とそのフォローアップ)。

*4:cf. このエントリの「●質問1への回答」。悪名高い日本の1990年の総量規制も、今にしてみれば、そうしたマクロプルーデンシャル政策の(失敗した)試みと言えるかもしれない。ちなみにフィッシャーは、「...the banks are the main source of housing finance, so that the Bank of Israel's measures were unlikely to be circumvented by the responses of other institutions not supervised by the central bank.」と述べているが、日本の総量規制に際してはまさにそのcircumventionが働いてしまったわけだ。

*5:cf. 一昨年での米国での議論

*6:cf. これ