ラジャン「経済学者が危機に気付かなかったのは、単に気にしていなかったせいさ」

ラジャンが2008年末の英国女王の質問とそれへの回答*1になぜか最近になって反応し、次のようなことを書いている。

  • なぜ経済学者は危機に気付かなかったのか、という女王の質問に対しては、幾つかの回答があった:
    • 単に経済学者が危機に導いた行動を説明できるモデルを持っていなかった。
    • 自由で何の束縛も受けない市場が間違うはずが無い、というイデオロギーに経済学者の目が曇らされていた。
    • システムが経済学者を買収して黙らせた。
  • ラジャンの見方では、真実は別にある。
  • 起きたことを説明する有用なモデルを経済学界は持っていなかった、というのは事実では無い。危機の原因が流動性不足にあると信じるにせよ、あるいは、政府の救済を当て込んだ欲の皮の突っ張った銀行家や物を考えない投資家、もしくは根拠なき熱狂に浮かされて突っ走った市場にあると信じるにせよ、そうしたことはいずれも詳細に研究されていた。
  • 経済学者は規制や規制緩和の政治経済学についても分析しており、米国の政治家の一部が民間部門の住宅ローンへの進出を推進したり、民間金融の規制緩和を推し進めたりした理由を理解できたはずである。しかしなぜか、その理解を基に皆で警告を発する、ということには至らなかった。
  • その理由は「市場原理主義イデオロギーにあったのかもしれないが、そうしたイデオロギーへの批判の中には誤解もある。「効率市場仮説」というのは、市場が公けに知られていることを反映する、と言っているだけであり、悪いニュースや投資家のリスク回避度の高まりによって市場が暴落することは無い、とは言っていない。
  • ファンダメンタルズが明らかに悪化していたのに市場(と経済学者)がそれを無視していた、と論じる批判者もいるが、 後知恵での判断は分析を歪める。住宅価格は維持不可能だと言い続けたシラーのような孤独な預言者の存在は、そうした批判の根拠にはならない。否定論者は常にいるものであり、彼らは間違っていることが多い。当時は、確かに住宅価格は高水準にあるが、全般的な下落を経験することは無いだろう、と考えていた経済学者の方が多数派だった。
  • そうした経済学者の考えはイデオロギーに歪められていたのだ、と論じることもできようが、市場の効率性を信じない行動経済学者や、自由市場を信じない進歩的な経済学者も、集団として危機を予測することは無かったことに鑑みると、それも疑わしい。
  • 経済学者の金融業界との癒着がバイアスをもたらしていたのだ、という点については、一概に否定できない。だが、経済学者が象牙の塔に籠ってしまったら、ますます予測は難しくなる。この問題に関する一つの対処法は、経済学者による利害関係の情報公開だろう。既にその方向に動き始めた大学も多い。
  • だが、ラジャン自身は、そうした癒着が経済学者が危機を見逃した主要な原因だとは考えていない。ほとんどの経済学者は企業との関わりが乏しかったが、そうした「バイアスの掛かっていない」経済学者の方が危機を上手く予測できたわけでは無い。
  • ラジャンの見方では、経済学者が集団として失敗したのは以下の3つの要因による:
    1. 専門化
      • 医療と同じで、経済学は細分化が進んでいる。マクロ経済学者は金融経済学者や不動産経済学者の研究にあまり関心を払わないし、逆も然り。だが、危機の予測のためには、そうした分野のそれぞれに関する知識が必要だった。それは、普通と違う病気を見分けるためには良い開業医が必要なのと同様であった*2
      • 経済学は、注意深くなされ、十分な証拠に裏付けられた研究を評価するが、そうした研究は必然的に対象範囲が狭いものとなる。そのため、分野をまたがって研究しようとする経済学者はあまりいない。
    2. 予測の困難さ
      • 各分野に通暁した経済学者がいたとしても、予測には尻込みするに違いない。学界の経済学者は、民間の予測者に比べ、要因間の確立された関係については熟知している。しかし、古い関係が壊れる転換点を予測することが一番難しいのだ。
      • 転換点の前触れとなる要因もあるが(例:短期のレバレッジや資産価格の昂進)、それらは確度の高い予測要因とは言えない。
    3. 経済学者の多くが実務界と距離を置いていたこと
      • 専門分野を広く持つことへの評価が見合わないことと、予測をして外れた場合の評判へのリスクとが相俟って、多くの経済学者は実務的な世界と距離を置いていた。
      • また、短期的な経済変動に関しては学界の経済学者はあまり言うべきことを持たないので、予測は民間の手に委ねられることになった。
      • 問題だったのは、経済学者がそうした短期的変動の話から離れたことにより、本来彼らが一家言あるはずの中期的な傾向をも無視するようになったこと。もしそれが本当だとすると、経済学界が危機を見逃した主因は、不適切なモデルやイデオロギーや癒着といったことよりももっと平凡なことであり、それ故にもっと憂うべきことであったことになる。即ち、多くの経済学者は単に気にしていなかったのだ!


ちなみに、こうしたラジャンの主張に対し、こちらのブログでは以下のような批判を加えている。

  • 確かに経済学界はモデルの種類には不足していなかったかもしれないが、正しいモデルを選択する手段を欠いていた。その点をラジャンは見逃している。
  • 効率的市場モデルが事前に危機を予測できないという話は、経済学者たちは危機を予測できないと信じていたから予測できなかったのだ、という見解のむしろ裏付けになっているのではないか。
  • 経済学者の多数派が予測できなかったのだから、危機は予測できないものだった。経済学者の多数派が予測できなかったのは、危機は予測できないものだからだ、というのは循環論法になっている。
  • 癒着について言えば、金融業界が経済学者を高く雇うため、学界の経済学者の給与も(他分野に比べて)高くなっている、という全般的かつ根本的な側面を見落としている。そのため、金融業界の抑制や縮小や規制を訴えることは、自分の職業の価値を低下させることになってしまう。

なお、癒着の問題に関しては、業界と癒着していた経済学者が同時に学界で大きな力を持っていたということもあったのではないか、という興味深い指摘がこのブログエントリのコメント欄で寄せられている。

*1:cf. ここ

*2:もしくはこの人か。