10日エントリではサイモン・レン−ルイス経由でドイツのハイパーインフレへの記憶に関する一つの見方を取り上げたが、そのエントリでレン−ルイスは、なぜドイツではケインズ経済学が異端となっているのか、と問うている。マクロ経済学の教科書は他国と同様にケインズ的であるにも関わらず、経済専門家委員会ではPeter Bofingerしかケインジアンがおらず、しかもこうしたケインジアンが少数派となっている状況はドイツでは普通であるとBofinger自身から聞いたという。ユーロ圏の緊縮政策がもたらした損害、および、それにドイツの政策観が果たした中心的な役割を受けて、レン−ルイスはこの疑問を長年抱いてきたとの由。
その理由としては、ハイパーインフレの記憶と債務を忌避する文化の2つが挙げられるが、レン−ルイスはいずれにも否定的である。というのは、いずれも公的債務が他国より低いことを含意するが、そうはなっていないからである。
レン−ルイスによれば、マクロ経済学だけでなく最低賃金への態度についても、ドイツの経済学者は英米の経済学者と対照的だという。英米では、適度な水準の最低賃金は雇用を有意に減らさないという実証結果があるために最低賃金への態度は割れているが、ドイツでは反対が一般的とのことである。
レン−ルイスはまた、秩序自由主義と新自由主義が近しいことが原因ではないか、という見方を取り上げ、前者は、完全市場の理想と現実との乖離、および、それについての政府の対応の必要性を認識していることから、むしろニューケインジアンの考えに近しいはずだ、と論じている。ただ実際には秩序自由主義にはそうした柔軟性は見られない。それはドイツの経済学が1970年代で停止しているためではないか、と彼は推測している。ケインズ経済学は依然として市場の失敗を修正するものというよりは反市場的なものと見做されている半面、最低賃金は買い手独占のような広範な市場の歪みを正すものとは見做されていない、というわけだ。そうすると次の疑問は、なぜドイツの経済学は学界の主流から取り残されたままなのか、ということになる。
さらにレン−ルイスは、労働者が経営に参画する共同決定というドイツ特有の制度――それは新自由主義とは程遠いものだが――が、経済政策への助言が偏るという意図せざる結果を生み出しているのではないか、という考察も行っている。賃金に関する利害衝突が国家レベルで制度化されているため、経済政策がイデオロギーの影響を受けやすくなっているのではないか、というわけだ。具体的には、ドイツ労働総同盟と関係の深いハンスベックラー財団マクロ経済・景気動向研究所(IMK)の役割を彼は疑っている。
レン−ルイスはで確定的な結論を出していないが、これを書いたことによりこの問題への理解が少し深まった、とエントリを結んでいる。
[追記]こちらのエントリも参照。