コトリコフ対クルーグマン

少し前に両者の対決がネット上で見られた。


きっかけは、コトリコフのブルームバーグ論説記事。そこでコトリコフは現下の経済問題の対処するための5つの処方箋を提示したのだが、その4番目で概ね次のようなことを書いた:クルーグマンやジェームズ・ガルブレイスのようなケインジアンによれば価格や賃金の硬直性によって需給ギャップが生じているとのことだが、それならばオバマ大統領は、彼らをそうした価格の硬直性が問題となっている市場を見い出す任務に就かせれば良い。


これに対し、クルーグマンは、

  • 失業は高過ぎる賃金の帰結というのは古典派の見解であり、ケインズはそれに反論した。うろ覚えの胡乱な理解に基づいてケインズ経済学を否定しようとする経済学者が次から次へと現われるのは、この学問によろしくないことが起きている証左。
  • ガルブレイスも自分も、賃金カットによって失業が解決すると主張したことは無い。自分は、皆が債務を減らそうとしている流動性の罠に陥った経済ではそれは逆効果だ、ということを繰り返し述べている。

と反論している。


それに対しコトリコフは、自分はケインズケインジアンは区別して論じているのだ、と再反論している(クルーグマンエントリのコメント、およびそれの自記事コメント欄での再掲)。その中で彼は、クルーグマンは以前に価格硬直性を重視したブログエントリを書いたではないか、と指摘している(本ブログのこちらで紹介したエントリのこと;ただしそのエントリでもクルーグマンは、価格の伸縮性の増大が問題解決にはならないことを念押ししている)。


また、ガルブレイスもコトリコフの記事のコメント欄で反論し、コトリコフはケインズを読んだことが無いようだ、と批判した(Economist's View経由)。それに対してもコトリコフは応答コメントを返し*1、自分はケインズを読んだことがあるのみならず来学期は学生に教える予定である、と断った上で、やはりケインズケインジアンの区別を強調している。ガルブレイスはそれに対して「Your comment that "Keynes was not necessarily a Keynesian" is clear enough to me as an economist of a certain age and immersion in the occult side of our discipline. I wish you "good luck" in trying to explain it to your students...(「ケインズは必ずしもケインジアンでは無かった」という貴兄のコメントは、ある年代のある教育を受けた経済学者がこの学問においてオカルト的な立場にいることをはっきりさせてくれた。それを貴兄の学生たちに説明することに関し「幸運」を祈る…)」と皮肉っている


一方、こうしたクルーグマンガルブレイスの反応を、ネタにマジレスカコワルイと揶揄したのがタイラー・コーエンである。クルーグマンガルブレイスが価格伸縮性によって問題は解決しないという立場を取っていることは承知しているが、でもそうした立場を取るべきではないか、というのがコトリコフの真意だろう、とコーエンは推測する。そして、クルーグマンが言うような全般的な賃金低下と、雇用人口の2〜4%を占めるに過ぎない非自然的失業者に対象を限定した留保賃金の低下――しかも中央銀行が名目価格を下支えすることが保証されている中での――は別物、とコーエンは論じる。
このコーエンのエントリにもガルブレイスはコメントしており、(上述のコトリコフ記事のコメント欄のやり取りで)賃金の硬直性をガルブレイスが信じていないことを指摘したところコトリコフが納得した、という経緯を紹介している。また、「新しいオールドケインジアン」というコーエンの表現*2に対し、カルドアの謦咳に接した自分の年齢から言うと単なる「オールドケインジアン」で結構、と書いている。そのほか、コトリコフが価格硬直性が雇用創出を妨げる例としてデービス・ベーコン法*3を挙げたのをコーエンがまったくもって適切な例と評したのに対し、同法がニューディールの障害になったわけではない、と反論している。

*1:これに限らず、この記事のコメントに対しコトリコフはかなりこまめに応答を返している。

*2:cf. ここ

*3:cf. ここ