債務と財政赤字について真剣に考える:財政タカ派は我々の子供たちに多大な損害を与えた

と題したエントリ(原題は「Getting Serious About Debt and Deficits: The Deficit Hawks Did Enormous Harm to Our Kids」)でディーン・ベーカーが、インフレ圧力が限界に達する財政赤字幅が40年前より上昇した、と考えるべき理由を2つ挙げている

  1. 所得の再分配の上方シフト
    • 可処分所得のおよそ10%ポイントが所得分布の中下位層から上位層に移転した。可処分所得GDPの75%、富裕層の消費性向が50%、中下位層の消費性向が90%とすると、これによりGDPの3%の消費需要が失われた(0.4*10 pp*0.75 = 3.0 pp)。
    • これにより、他の条件が等しければ、2018年には1978年よりもGDP比にして3%ポイント大きい財政赤字が必要になる。
      • ただし、最近の資産価格の上昇による資産効果でこの額はある程度相殺されている。
  2. 貿易赤字の拡大
    • 1960-70年代には貿易は概ね均衡していたが、現在の貿易赤字GDPの3%になる。これも財政赤字で埋めるべき需要ギャップである。

ベーカーはまた、通説では低金利によって投資が喚起されて需要ギャップが埋められることになっているが、過去10年間の超低金利にも拘らず投資のGDP比率はほぼ変わっていない、という点も指摘している。


そこでベーカーは、インフレが明確になるまで失業率を押し下げよう、と提言する。実際、1990年代から2000年に掛けて、グリーンスパンがそれまで6%とされていたNAIRU以下に失業率が下がるのを許容した前例もある、とベーカーは指摘する。インフレが急上昇するリスクもあるが、0.5-1.0%ポイント高い水準で落ち着くのがせいぜいではないか、とベーカーは言う。その一方で、必要以上の失業率を高止まりさせることは、何百万人もの人を徒に無職にとどめることを意味し、何百万人もの子供が一人以上の親が失業した家庭で育つことを意味する、とベーカーは失業のコストを強調している。
さらにベーカーは、大不況後、財政タカ派が大規模な刺激策を押しとどめたことで雇用がより急速に伸びることが阻まれたが、それは一時的な問題ではなく、失われたスキルや実施されなかった投資という形で、その要らざる緊縮策は何兆ドルもの犠牲を強いることになった、と述べている。しかし、財政タカ派は誰も責任を問われることは無かった、とベーカーは非難する。


またベーカーは、債務に関する2つの懸念を取り上げ、それぞれについて概ね以下のように書いている。

  1. 米国債を誰も買わなくなるという懸念
    • 戦争や天災で荒廃した国ならともかく、経済が健全な国では前例が無い。
    • たとえそうなったとしても、FRBが購入すれば良い。その場合、インフレが起きるとしても、過剰な刺激策がしばらく続いてからのこととなる。金融財政当局がそれだけの期間手をこまぬいていたとしたら、それは債務の問題ではなく、当局者が無責任という問題になる。
  2. 政府のリソースを吸い上げてしまうという懸念
    • 重要な社会的需要を満たすべき金が、債券保有者への利払いという形で流出してしまう懸念。
    • これは確かに問題だが、CBOの予測通り現在GDPの1.3%の利払い額が10年後に3%まで上がるとしても、1990年代前半の水準に戻るに過ぎない。1990年代の米経済はそれでも繁栄した。
    • そもそも政府は、製薬会社や医療器具メーカーやソフトウエア会社に特許や著作権という形で独占権を与えているが、これは債務に類似したコミットメント。それによってそれらの企業は自由市場価格よりも何千パーセントも高い料金を課すことができる。処方薬の市場だけで、高い薬価による公けの負担は年間3800億ドル(GDPの1.9%)近くに達する*1

ちなみにベーカーがこのエントリを上げたのは、民主党が議会選で勝利し、各種の社会的支出の増額を求めれば、またぞろ財政タカ派が動き出すだろうと思ったから、との由。

*1:この問題の指摘はベーカーの以前からの持論。cf. ここここここ