というECB論文をMostly Economicsが紹介している。原題は「The central bank’s balance sheet in the long run: a macro perspective」で、著者はいずれも同行のPeter Karadi、Dominik Thaler、Oreste Tristani。
以下はその要旨。
We study whether it is desirable for the central bank to supply reserves abundantly, i.e. beyond the level that satisfies financial institutions’ aggregate liquidity needs. Using a theoretical framework, we demonstrate that abundant reserves would help fulfil the private sector’s demand for safe and liquid assets, because reserves affect financial institutions’ leverage constraints. More specifically, systematic central bank purchases of medium-term government bonds from financial institutions would relax those institutions’ leverage constraints and allow them to expand their balance sheets and issue more private liquidity, in the form of deposits. However, a very large increase in the average size of its balance sheet would expose the central bank to the risk of large financial losses. On balance, only a moderately larger supply of reserves than the level that satisfies financial institutions’ aggregate liquidity needs appears desirable.
(拙訳)
我々は、中銀が準備預金をふんだんに、即ち金融機関の流動性の総需要を満たす水準を超えて供給することが望ましいかどうかを調べた。技術的な枠組みを用いて我々は、準備預金は金融機関のレバレッジ制約に影響するため、豊富な準備預金は民間部門の安全で流動性のある資産への需要を満たすのに役立つことを示す。より具体的には、金融機関から中期国債を中銀が体系的に購入することは、それら金融機関のレバレッジ制約を緩め、金融機関がバランスシートを拡大し、預金の形でより多くの民間の流動性を発行することを可能にする。しかし、中銀のバランスシートの平均サイズが非常に大きく拡大すると、中銀は財務的な損失のリスクに曝される。総合すると、金融機関の流動性の総需要を満たす水準より少しだけ多い準備預金の供給が望ましいように思われる。
平時に中銀のバランスシートのサイズをどこまで落とすかは、金融政策ツールとしてのFRBのバランスシート:過去の教訓と将来の検討課題 - himaginary’s diaryや中銀の準備預金の重要性 - himaginary’s diaryで紹介したようにFRBやBOEも頭を悩ませているところであるが、後者のエントリで紹介したベイリーBOE総裁が「金融危機前よりもかなり拡大したバランスシート(a significantly larger balance sheet than we had before the financial crisis)」を目途として言及したのに対し、今回のECB論文の「金融機関の流動性の総需要を満たす水準より少しだけ多い準備預金の供給(only a moderately larger supply of reserves than the level that satisfies financial institutions’ aggregate liquidity*1)」はそれよりもかなり低い水準を考えているように思われる。
本文では中銀の債務不履行のリスクについて検討しているが、その中で、ECBの簿価の自己資本はユーロ圏GDPの5%だが、2021年のシニョリッジを含めたECBの包括的な純資産はユーロ圏GDPの6割程度になる、というBuiter and Rahbari(2012*2)の推計結果を引用している(それに対し、同年のECBのバランスシートはGDPの7割程度のピークを迎えたという)。Del Negro and Sims(2015*3)やReis(2016*4)のFRBについての推計も同じような数字になっているとの由。また、Del Negro and Sims(2015)によれば、高金利は高インフレと結び付いているため、シニョリッジの価値は金利リスクが顕在化する時に拡大し、自然なヘッジになっているとのことである。従って経済学者は、世界金融危機時のバランスシートのサイズにおいてさえ、経時的な債務不履行のリスクは低いと考えているという(Del Negro and Sims(2015)、Hall and Reis(2015*5)、Debrun et al(2021*6))。
とは言え、会計的な債務不履行(accounting insolvency)と論文が呼んでいる負の自己資本の可能性は、例え経済学的には中銀の運営にとって問題無いにせよ、法的に財政による資本強化が必要になったり、人々の中銀への信認の喪失につながったりすることから、政治的リスクとして考慮する必要がある、と著者たちは述べている。経済学者の楽観論から距離を置いたこのような中銀の債務超過への警戒感が、バランスシートをなるべく小さくするべき、という著者たちの主張につながっていると思われる。
そのほかに著者たちが考慮すべき点として挙げているのは:
- 手順として資産売却が利上げ後になりがちなことに伴う「高く買って安く売る」ことで生じる損失
- その一方で、中銀のバランスシートの損失は、銀行部門の利得になるという自動安定化装置の側面がある。
- ユーロ圏と一国の中銀の違い
*1:ノンテクニカルサマリーでは「a moderately larger supply of reserves than prior to the global financial crisis」と記述。
*2:論文の参考文献から抜けているが、多分https://onlinelibrary.wiley.com/doi/abs/10.1111/j.1468-5965.2012.02275.x。
*3:cf. 中銀のバランスシートが財政面の支援を必要とする時 - himaginary’s diary。Journal of Monetary Economics掲載版はWhen does a central bank׳s balance sheet require fiscal support? - ScienceDirect。
*4:これも論文の参考文献から抜けているが、中銀の異なるタイプの債務不履行と、シニョリッジの果たす中心的な役割 - himaginary’s diaryか中央銀行は財政負担を軽減できるか? - himaginary’s diaryで紹介した論文かもしれない。