財政赤字のゴルディロックス理論

というNBER論文が上がっているungated版)。原題は「A Goldilocks Theory of Fiscal Deficits」で、著者はAtif R. Mian(プリンストン大)、Ludwig Straub(ハーバード大)、Amir Sufi(シカゴ大)。
以下はその要旨。

This paper proposes a tractable framework to analyze fiscal space and the dynamics of government debt, with a possibly binding zero lower bound (ZLB) constraint. Without the ZLB, a greater primary deficit unambiguously raises debt. However, debt need not explode: When R < G – φ, where φ is the sensitivity of R – G to debt, a modest permanent increase in the deficit can be sustained forever, a policy we call “free lunch”. With the ZLB, the relationship between deficit and debt can become non-monotone. Both high and low deficits can increase debt, as the latter weaken demand and reduce nominal growth at the ZLB. A rise in income inequality expands fiscal space outside the ZLB, but contracts it at the ZLB. Calibrating the model, we find little space for “free lunch” policies for the United States in 2019, but ample space for Japan.
(拙訳)
本稿は、ゼロ金利下限が制約となり得る状況下での財政出動余地と政府債務の動学を分析する解析可能な枠組みを提示する。ゼロ金利下限が無い場合、基礎的財政赤字が増加すると債務は間違いなく増加する。しかし、債務が爆発的に増加するとは限らない。φをR-Gの債務に対する感応度として、R < G – φの場合、赤字の小幅な恒久的な増加は永遠に維持可能であり、そうした政策を我々は「フリーランチ」と呼ぶ。ゼロ金利下限があると、赤字と債務の関係が単調でなくなる可能性がある。高水準の赤字と低水準の赤字はともに債務を増やす可能性があるが、後者についてはゼロ金利下限における需要を弱めて名目成長を低めるためである。所得格差拡大はゼロ金利外では財政出動余地を拡張するが、ゼロ金利下限においては縮小させる。モデルをカリブレートしたところ、2019年の米国については「フリーランチ」政策の余地はほとんどなかったが、日本については潤沢に存在した。

ungated版の本文ではこちらで紹介したブルナーメイヤー=マーケル=サニコフについて軽く触れているほか、MMTとの関連について以下のように述べている。

Finally, the notion of a free lunch formalizes an intuition that is often associated with “Modern Monetary Theory” (MMT). However, unlike common renditions of MMT (see Bisin 2020 for a critical review), our model spells out the exact conditions under which a free lunch policy works or does not work. In line with intuition by Lerner [1943], we find that a free lunch policy always exists if an economy faces a persistent demand shortage at the ZLB.
(拙訳)
また、フリーランチの概念は、しばしば「現代金融理論(MMT)」に関連付けられる直観を定式化したものである。ただし、MMTの通常の提示方法(ビシン(2020*1)の批判的レビューを参照)と異なり、我々のモデルは、フリーランチ政策が機能するもしくは機能しない条件を正確に規定している。ラーナー(1943*2)の直観と整合的に、経済がゼロ金利下限で需要不足に直面している場合にはフリーランチ政策が常に存在することを我々は見い出した。


以下は日米の財政赤字(縦軸z)と債務(横軸b)の定常状態の軌跡をカリブレーションした図(zとbはいずれも対GDP比率)。
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米国の現状(z≒2%、b=100%の黒丸)は、財政赤字を最大化する点(b*=109%、z*=2%)の僅かに左側にあるに過ぎない。
一方、日本の現状(z≒1.5%、b=238%の黒丸)は、ゼロ金利下限にあるために財政赤字を減らすとむしろ債務が増加する状況にある。財政赤字を増やせば債務は減少するというその逆説的な状況は、財政赤字GDPの3%弱に達するまで続く(その時の債務はGDPの120%程度)。その後は反転して債務は財政赤字拡大とともに増加するようになり、財政赤字GDPの3.5%で最大値z*に達する(その時の債務b*GDPの223%)。その点よりも債務を増やそうとすると維持可能な財政赤字は減少する。財政赤字をゼロ以下にしなくてはならないR > Gの状況に到達するのは債務がGDPの446%に達した時である(ちなみに米国は218%)。
本文では以下のように解説している。

This has important implications for fiscal policy in Japan. It suggests that modestly raising the deficit may reduce, rather than increase, the debt level in the long run.23 Vice versa, regressive policies, such as the increase in the Japanese consumption tax passed in 2012, may increase the debt level. Moreover, redistribution increases fiscal space and allows the government to reduce its debt.
The deficit-debt diagram of Japan in Figure 6 is the namesake of our title: Here, both deficits that are too low and deficits that are too high increase the debt. Intermediate deficits keep the debt constant or reduce it.
(拙訳)
このことは日本の財政政策にとって重要な意味を持つ。それが示しているのは、財政赤字を小幅に拡大することは、長期的には債務水準を増やすのではなく減らすであろう、ということである*3。逆に、2012年に成立した日本の消費増税のような逆進的な政策は、債務水準を上げるであろう。さらに、再分配は財政出動余地を増やし、政府が債務を減らすことを可能にする。
図6の日本の財政赤字と債務のダイアグラムは、我々の論文のタイトルの由来である。ここでは、低すぎる財政赤字も高すぎる財政赤字も債務を増やしてしまう。中程度の財政赤字が債務を一定に保つ、ないし減らすのである。

なお、著者たちは2019年時点のデータを基にカリブレートしているが、そのことについて以下のように説明している。

We focus on the economies at the end of 2019, before the Covid pandemic, to avoid misinterpreting temporary shifts due to Covid as shifts in long-run steady states.
...
The calibration thus suggests that projected U.S. fiscal policy more or less sustainable on the eve of the Covid-19 recession. Of course, the Covid-19 shock increased the debt level by a considerable amount. To the extent that the U.S. economy recovers to
the pre-Covid fundamentals, the same diagram in Figure 6 can be used to evaluate fiscal sustainability going forward.
(拙訳)
我々は、コロナによる一時的な変化を長期的な定常状態の変化と誤って解釈するのを避けるため、コロナ禍前の2019年末時点の経済に焦点を当てた。
・・・
このカリブレーションは、従って、コロナ禍による景気後退の直前に展望された財政政策は何とか維持可能であることを示している。もちろん、コロナショックは債務水準を顕著に上昇させた。米経済がコロナ禍前のファンダメンタルズを回復する限りにおいて、図6のダイアグラムはそのまま今後の財政の維持可能性を評価するのに使える。


昨年5月のエントリでマンキュー(や日本の一部の経済学者)が未だに信奉している財政赤字ギャンブルの理論は経済学の進歩に鑑みて時代遅れになっているのではないか、と指摘したが、ブルナーメイヤー=マーケル=サニコフや上記の研究でさらにその感が強まったようにも思われる。

*1:cf. ここ(H/T ジョン・コクラン)。

*2:cf. クルーグマンのサイトの同論文

*3:原注:An interesting extension of our framework would be to include inflation inertia. In that case, increasing the deficit in Japan would first raise the debt to GDP level, as the direct effect in (21) dominates; and then, as inflation picks up and the indirect effect starts dominating the direct effect, the debt to GDP level would fall again.
(拙訳)
我々の枠組みの興味深い拡張は、インフレの慣性を織り込むことであろう。その場合、日本の財政赤字を増やすと、(21)式の直接的な効果が支配的となるため、まず債務水準が上昇する。それから、インフレが上昇して間接的な効果が直接的な効果を上回るようになり、債務GDP比率の水準は再び低下するであろう。