オバマケアと財政・ある例え話

一昨日のエントリで、Charles Blahousのメディケアに関する「勘違い」をケビン・ドラムが分かり易い比喩で指摘している、と書いた。今日はその例え話を紹介してみる。

  • ある父親と息子の家庭。父親は政治ブログという仕事で月に100ドル稼いでいる。息子はレモネード売りのバイトで月に10ドル稼いでいる。息子はバイト代で漫画本を買い、残りは父親に渡す。父親はその見返りとして借用書を息子に渡す。現在、息子の持つ借用書は25ドルになっている。父親は息子から貰った金を疾うに使い切っている。
  • 1月。息子は欲しい漫画本が新たに出てきたので、月に15ドルを漫画本購入に費やすようになる。その購入費はバイト代を超えているので、足りない分は父親の借用書を現金化して賄う。それが3ヶ月続く。その間、父親が食事や医療やその他生活必需品に費やせる金は95ドルとなる。
  • 3月。息子は借用書が残り10ドルになっていることに気付く。今のペースで漫画本の購入を続ければ、5月には底を突いてしまう。そこで、漫画本の購入額を月12ドルに抑えることにする。つまり、現金化する借用書は月に2ドルとなる。
  • 上記の息子の決断の結果として、次の2つのことが起こる:
    • 父親は95ドルではなく98ドルを月々の出費に充てることができるようになる。
    • 息子の借用書は以前より長持ちする。即ち、5月ではなく、8月まで持つことになる。
  • この決断は、家族全体の支出や借金には何ら影響しない。
  • 以上の例え話において、父親は連邦政府であり、息子はメディケア、借用書は国債である。オバマケアの下でメディケアが支出を削減すると、現金化する国債の量は減る。その結果、連邦政府が他の支出に回せる金は増え、メディケア基金もより長く存続する。いずれも実際に起こることであり、二重計上は存在しない。そして、このことは財政支出財政赤字には影響しない。
  • オバマケアの財政予測推計を疑うのも、メディケア基金の存続が長引くことによってコスト削減の努力を怠ることになるのではないかと疑うのも、オバマケア無しでもメディケアの支出削減は行われると主張するのも*1、Blahousの自由。ただ、二重計上の問題がある、と言うことだけはできない。


上の例え話では、5月時点でゼロになるはずだった借用書が支出削減により6ドルになっている。その差6ドルが、一昨日のエントリの最後で言及した2010/1/22付けCBO資料における3580億ドルに相当することになる(ここでは5月がCBO試算のタイムホライゾンである2019年に相当するものとする)。
なお、上の話では、息子の決断により父親の4月と5月の2ヶ月分の可処分所得がそれぞれ95ドルから98ドルに3ドル増加したわけだが、仮にそのうち毎月1ドルを息子の学資用に積み立てたとすれば、2ヶ月分の積立金2ドルがCBO試算の1320億ドルに相当することになる*2。残り4ドルが家族内で相殺される貸借関係で、CBO試算の2260億ドルに相当するわけだ。

*1:その主張が正しければ、そもそも社会保障基金は自律的に収入を超える支出はしないことになり、保守派が言挙げする社会保障支出による財政問題が存在しなくなる、というのがリベラル派の指摘である。また、そうした支出削減を前提にするのは、ベースラインを変更することになっており、ライアンプランにとっても不利な話、とも彼らは指摘している。

*2:ただしCBO試算の1320億ドルは財政赤字減少=一般保有国債減少という形で現れるが、この例え話ではそもそも財政赤字は存在せず対外的な借金はプラスマイナスゼロと想定されるので、2ドルは対外的な貯蓄という形で現われる。