マンキュー政治学

炭素税を支持するマンキューが、炭素税を他の税の減税に使わずに支出の増加に使おうとする左派の動きを批判した。それに対しEnvironmental Economicsブログのジョン・ホワイトヘッドが、左派から見た場合、炭素税が富裕層の減税のためのトロイの木馬になるという懸念も存在し得る、と指摘した。そして、ピグー税収入の唯一無二の効率的な使い道を示す実証結果は自分の知る限りは存在しない、と指摘し、“炭素税はそれ自体のメリットを評価すべきであり、大きな政府の口実にすべきではない”というマンキューの結論的な文章について、前半(=“炭素税はそれ自体のメリットを評価すべき”)で話を止めるべきであった、と批判した。これを受けてマンキューが、元エントリの追記で以下のように書いている。

Responding to my post, John Whitehead writes, "The standard textbook treatment of a Pigouvian tax is agnostic on what happens to the revenue."

He is right, of course. So let me clarify. I was trying to make a point not about textbook economics but about practical politics. Here are two propositions:

1. The tax system should be shifted in a Pigovian direction.
2. Government should be larger.

These are largely unrelated claims. Logically, one can believe both, neither, or only one of them. In my view, it much easier to make the case to many voters, especially those on the right, for proposition 1 than for proposition 2. As a result, if you strongly believe in proposition 1 and are trying to put together a coalition to make it happen, marrying it to proposition 2 is not the best move.
(拙訳)
私のエントリに反応して、ジョン・ホワイトヘッドが「標準的な教科書がピグー税を取り上げる際、収入をどうするかについては何も言っていない」と書いている。
もちろん彼は正しい。ということで、私の言いたかったことを明確にしておこう。私は教科書の経済学ではなく、実際の政治について指摘したかったのだ。以下の2つの主張がある:

  1. 税制はピグー税の方向にシフトすべきである。
  2. 政府は大きくなるべきである。

これらは互いにほぼ無関係な主張である。論理的に言えば、両方を信じることもできるし、どちらを信じないことも、どれか一つだけを信じることもできる。私に言わせれば、多くの有権者、特に右寄りの有権者に対しては、主張2よりも主張1の方を訴える方が容易だろう。ということで、もし主張1を強く信じていて、その実現のために連合を組みたいのであれば、それを主張2と組み合わせるのは得策ではない、ということだ。