ケインズ経済学の幻想

David Levineがケインズ経済学を批判するエッセイを書きデロング(cf. それへのクルーグマン反応*1)、クルーグマン(cf. それへのデロングの反応)、Mark ThomaNick Roweの反発ないし反論を招いた。一方、ジョン・コクランが同エッセイを好意的に紹介したほか、Stephen Williamsonが、クルーグマンが貶したなら良いものに違いない、と反応した


Williamsonは後続のエントリで、Levineがエッセイの中で比喩的に提示したモデルを定式化している。それは概ね以下のような内容である。

  • T種類の人々がいて、タイプ=iの人は自らの生産活動でcの不効用を感じ、タイプ=i+1の人の生産物からuの効用を得る(i=1,2, ..., T-1)。u - c>0を仮定する。
  • タイプ=1の人の生産する財は完全な耐久財で、保存にコストが掛からない。それ以外の財はすべて減耗する。
  • Levineは、財が分割不可能で、取引が起きるか起きないかという1か0の世界を描いた。これがケインズ的な固定価格の世界である。しかし、もっと一般化して、取引が確率的に起きるとすると、その確率は価格の役割を果たし、分割不可能な財における伸縮的な価格について考えることができる。
  • この問題は、タイプ=T-1の人とTの人の間で取引が起きるか、というところから始めて逆向きに解いて行けばよい。T-1の人が財1を保有している場合のみ取引が起きる。T-2とT-1、T-3とT-2、…も同様である。
  • しかし。この経済における商品貨幣の生産者であるタイプ=1の人については話が別である。それ以外のタイプ=iの人は、i-1の人のために生産し、i+1の人から生産物を受け取っていた。しかしタイプ=1の人はタイプ=2の人のために財1を生産し、タイプ=2の人の生産物と交換する。そのため、売り手であるタイプ=2から余剰を搾取し得る立場にある。この時、タイプ=1の人が財1を生産する確率p(1)はu/cとなる。
  • 従って、均衡では、タイプ=2, 3,..., Tのうちそれぞれc/uだけの割合の人が消費にありつく。一方、タイプ=1の人は全員が消費にありつく。貨幣の生産者が他の皆からシニョリッジを搾取しているという点で、この商品貨幣システムには厚生損失が生じている。それに対し固定価格の均衡では、タイプ=1の厚生は悪化し、他の皆の厚生は改善する。
  • ここで需要ショックを考える。タイプ=Tの人の消費の効用がu*になったものとする(u*<c)。その場合、タイプ=Tの人が生産する確率p(T)はu*/cとなる。
  • タイプ=T-1の人は、取引条件が悪化したため、T-2の人との取引のための生産にも意欲的ではなくなる。この時のタイプ=iの人の生産確率p(i)はmin[(u*/c)(u/c)T-i , 1](i=3,4,...,T)となる。
  • この時、均衡が存在する必要十分条件は、(u*/c)(u/c)T-1≧1である。この条件が満たされなければ、取引を支えるのに十分なだけの総余剰がこの経済に存在しないため、すべての取引が停止する。
  • 均衡が存在する場合、p(1)とp(2)の解は以下のようになる。
    • (u*/c)(u/c)T-3≧1の場合:             p(1)=c/u、p(2)=1
    • (u*/c)(u/c)T-3<1、(u*/c)(u/c)T-2≧1の場合: p(1)=(c/u*)(c/u)T-2、p(2)=1
    • (u*/c)(u/c)T-3<1、(u*/c)(u/c)T-2<1の場合: p(1)=1、p(2)=(u*/c)(u/c)T-2
  • 従って、問題が深刻な場合(即ち、u*/cが小さい場合)、この「需要ショック」は、連鎖を逆方向に辿って商品貨幣の供給者にも影響を及ぼす。また、問題がさらに深刻な場合は、価格が伸縮的であるにも関わらず、経済全体の閉鎖が生じ得る。
    • なお、この場合のタイプ=Tの行動の変化は需要面に限らず労働の供給面にも及んでいる。その点を考えると、「需要不足ショック」や「需要ショック」といったケインズ経済学の用語は、きちんと定式化された一般均衡モデルでは意味を持たない。
  • 上述の伸縮的な価格のケースはパレート効率的なので、ベンチマークとして有用。政府の役割が生じ得るのは、u*<cだが均衡条件が満たされる場合のケース。その場合、固定価格の均衡は明らかにパレート効率的ではないため、政府はタイプ=Tの余剰を他の皆に分配すべき。政府が何でも良いからとにかく買うという政策は解決策にはならない。
    • 伸縮的な価格、ないし混合戦略をモデル(今回のモデルを含め)で考えるのは確かに難しいが、そのことは政府の責任を免除する言い訳にはならない。


Williamsonはこの後に不換紙幣のケースも論じているが、そこで彼は、上記の連鎖を世代モデルに適用している。


Williamsonはさらに後続のエントリで、Levineのエッセイに反応したサイモン・レン−ルイスを槍玉に挙げ、それにレン−ルイスも反応している


また、Roweは、Williamsonのそれらのエントリにコメントしたほか、WCIブログでもWilliamsonとの意見に違いに関するエントリを立てている

*1:ここで紹介したかつてのLevineによるクルーグマン批判にも触れている。