昨日紹介したポール・ローマーの主張を、Dietz Vollrathが成長理論の前提のトリレンマという形で整理し、ローマーが激賞している。
Vollrathが提示した3つの前提は以下の通り。
- 生産は競合投入財の規模について収穫一定である
- 非競合投入財は生産の幾分かを受け取る
- 競合財は限界生産物に等しい生産を受け取る
これを基にVollrathは、ローマー、および、ここで紹介した議論のうちマクグラタン=プレスコット、ルーカス(2009)、ボルドリン=レヴァインの主張を以下のように整理している。
- ローマーは、1と2は正しく、従って3は正しくない、と主張する。
- Vollrathが6/5エントリで提示した思考実験では、ある日突然もう一つの地球が出現することを想定した。その場合、生産は単純に2倍になる。従って1は正しい。
- 非競合財は明らかに存在するし、その中には報酬を得るものも明らかに存在する。従って2は実証的事実として正しい。どのように得るかに関係なく、非競合財が報酬を幾ばくかでも得さえすれば、3は成立しない。
- 非競合財が報酬を得るのは、特許や著作権などの排除性を通じてということになる。それが完全でなければ、完全な市場支配力(=好きに価格を決める力)を得ることはできないかもしれない。だがその場合でも、非競合財が何も得られないわけではない。例えばiPhoneのリバースエンジニアリングがそれなりに難しいことを考えると、一社がアイディアを独占できない場合でも、そのアイディアを利用できる企業はせいぜい数社程度になるだろう。そしてその数社は、何らかのクールノーゲームに従事し、皆がそれなりの利益を得ることになるだろう。このことは、1と2が正しく、3が成立しないことと完全に整合的である*1。
- マクグラタン=プレスコットは、2と3を選択し、そのために1を放棄している。
- そのために「場所」概念を持ち出している。
- ルーカス(2009)は、2を捨てている。
- 従前の研究結果から周知の話としているが、それは誤り。
- ボルドリン=レヴァインは、2を捨てて1と3を採択している。
- 彼らは非競合財という概念そのものを捨てており、それを公言している。従って、Vollrathの見解では、彼らを数学もどきの咎で非難することはできない。
- これについてローマーは、問題の数学もどきは「理論」セクションにあるのだ、と指摘している。またローマーは、彼らは競争均衡に供給制約があれば3も捨てて良いという驚くべき主張を行っている、とも指摘している。ローマーに言わせれば、それは新マーシャル理論ではなく、昔ながらのマーシャル理論であり、動学的一般均衡理論を信奉する経済学者から出てくるべきものではない、とのことである。さらに非競合財の否定については、頑固な価格受容的新マーシャル主義者と20年来モグラ叩きを繰り返してきた経験から、議論がその方向に行くのはお見通しだ、と喝破し、Roweのこのエントリをその点に関する煙幕として槍玉に挙げつつ、その話の行き着く先はマルクスの労働価値説だ、と皮肉っている。
- 彼らは非競合財という概念そのものを捨てており、それを公言している。従って、Vollrathの見解では、彼らを数学もどきの咎で非難することはできない。
またVollrathは、以上の話とオイラーの定理の関係を概ね以下のように説明している。
Rを競合投入財、Nを非競合投入財とし、生産関数を Y = F(R, N) とする。
もし関数が収穫一定ならば、 λY = F(λR, N) となる。
両辺をλについて微分すれば、 Y = R*FR(λR, N) が得られる。
一般性を失うこと無しに λ = 1 とできるので、 Y = R*FR(R, N) が得られる。
即ち、総生産は、競合財要素とその限界生産物の積に等しくなる。そのことは、競合投入財が規模について収穫一定であれば、要素への報酬の配分如何に関わらず成立する。
ここで競合投入財が限界生産物に等しい賃金ないしリターンを得るならば、Rの報酬は総生産にちょうど等しくなる。その場合、非競合投入財の所有者への報酬はゼロとなる。非競合投入財に報酬が支払われるためには、賃金ないしリターンがFRより小さくなるしかない。もしくは、関数において競合投入財が規模について収穫一定というそもそもの前提を捨てるしかない。
なお、Vollrathの6/5エントリでは、マクグラタン=プレスコットはRとN両方について収穫一定が成立していることを前提にしており、
λY = F(λR, λN)
になっている、と指摘している。その場合、
Y > R*FR(R, N)
となるので、賃金ないしリターンがFRに等しくても非競合財の報酬はプラスとなる。