現代版のビンに詰めた紙幣

今日はデフレに関して最近ふと思いついたことを適当に書いてみる。いつもの口上ではあるが、素人の思いつきなので、あくまでもそのつもりで読んでいただければ幸甚。

構造改革によるデフレ解消について

デフレというのは貨幣という商品の魅力が高過ぎてそちらに需要が集まりすぎている状況である、とするならば、構造改革でデフレを脱却せよ、という主張は、実物財の魅力を貨幣に対抗できるくらい高めよ、という趣旨かと思われる。しかし、一般の商品同士の競争と比較して、貨幣という商品を相手にした競争では実物財が決定的に不利な点がある。


例えばある会社(ないし業界)が苦境に陥っている場合、競合商品より自分の商品がもっと売れるようにするためには、基本的に以下の2つの方策のいずれか(もしくはその組み合わせ)を採ることになる。

  • 商品の魅力を高める
  • 価格を引き下げる

だが、貨幣という商品の魅力に対抗しようとする時には、後者の方策は採れない。というのは、実物財の価格を引き下げることは、即、貨幣の価値を高めることにつながり、むしろ逆効果となるからである。従って、実物財同士で競合する場合に比べ、実物財が貨幣という商品を相手にする場合には、通常使える手段の半分しか使えない、というハンデを背負っていることになる*1

これはいくら何でも競争として厳しいので、貨幣の側にもハンデを付けよう、というのがいわゆるリフレ派の主張になる*2


ケインズのビンに詰めた紙幣の比喩の現代への適用について

ここで想起されるのが、ビンに紙幣を詰めて埋める、という一般理論でのケインズの比喩である。一般にこれは無駄でも良いから公共投資をやれ、という趣旨に解釈されているが――そしてそういう含意があることを否定するものではないが――、前後を読むともう少し違ったニュアンスをも含意していることが分かる*3


山形さんの訳から該当箇所を引用すると以下の通り。

・・・金の採掘と呼ばれる、地面に穴を掘る活動の一形態がありますが、これは世界の真の富に一切貢献しないどころか、労働の負の効用をもたらすものですが、これがあらゆる解決策で最も受け容れられやすいのです。
もし財務省が古いビンに紙幣を詰めて、適切な深さの廃炭坑の底に置き、それを都市ゴミで地表まで埋め立て、そして民間企業が実績抜群の自由放任原則に沿ってその札束を掘り返すに任せたら(その採掘権はもちろん、紙幣埋設地の借地権を買ってもらうことになります)、もう失業なんか起こらずにすむし、その波及効果も手伝って、社会の実質所得とその資本的な富も、現状よりずっと高いものになるでしょう。もちろん、住宅とかを建設したりするほうが、理にはかなっています。でもそれが政治的・実務的な困難のために実施できないというのであれば、何もしないよりは紙幣を掘り返させるほうがましです。
 この考察と、現実世界の金鉱は、一分のちがいもないほどに似通っています。

つまり、無駄な事業の中でも、ケインズはとりわけ貨幣の生産という事業に焦点を当てているわけだ*4。それが雇用を生み出すのであれば、それも結構なことじゃないか、というのが彼の見解である*5


上記は第10章の最後の方の一節であるが、一般理論で金の採掘の効用について触れた箇所がもう一箇所ある。それが第17章の以下の文章である(同じく山形さんの訳より引用)。

・・・つまりお金は、簡単には作れないわけです。事業者は、お金の価格が賃金単位で見て上昇しても、好き勝手に労働を適用してお金をどんどん作るわけにはいきません。不換管理通貨であれば、この条件は厳密に満たされます。でも金本位制の通貨でも、これは概ね成り立ちます。まさに黄金の採掘が主要産業の国でもない限り、お金作りのために雇用される労働の追加部分の比率はとても小さいからです。
 さて、生産弾性を持つ資産の場合、その資産自体の自己利率が下がると考えたのは、産出の速度が速い結果としてそのストックが増えると想定したからでした。でもお金の場合――ここではとりあえず、賃金単位低下や金融当局による意図的なお金の供給増は考えません――供給は固定です。ですから、お金は労働を投入してもすぐ作れないという特性は、お金の自己金利が比較的下がりにくいという想定のための前提をまっ先に与えてくれます。お金が作物のように栽培できたり、自動車のように製造できたりするなら、不況は避けられるでしょう。他の資産の価格がお金で測って下がったら、お金の生産にまわる労働が増えるからです――これは金採掘国で見られることです。とはいえ世界全体から見れば、この形での労働振り替えは常に無視できる程度ですが。

ケインズはここで、貨幣の生産が他の商品の生産におけるような労働需要を伴うならば、そもそも不況という問題は起きない、と主張する。
そうした不況の回避を上記のハンデの話に当てはめて言い換えるならば、貨幣生産の労働コストを上げることにより貨幣側の商品としてのハンデを増やし、経済のバランスを取り戻す、ということになろう。しかしケインズは同時に、黄金の採掘でさえその効果は僅少なのに、不換紙幣となるとその効果は益々小さくなる、とも指摘する(だからこそ金貨幣のハンデを再現するためにはビンに詰めて埋めるという余計な手間が必要になる)。ましてや貨幣がかなりの程度電子化され、ボタン一つで中央銀行が準備預金に振り替えることができるようになった現在、そうした効果を生み出すのは一層難しい、と卿が今生きていたならば指摘することだろう。


電子化された現在の貨幣についてビンに詰めることに相当する迂回路を設定することは可能だろうか? 考えられる一つの方法は、分散コンピューティングの利用、ということになるだろう。即ち中央銀行が貨幣を増刷したい場合、必ず民間の分散コンピューティングを経由するようにする。その分散コンピューティングに参加した各家庭のPCは、それに応じた報酬を受け取ることになる。もちろん、単なる口座の振り替えに分散コンピューティングを必要とするだけのCPU消費が発生するはずも無いので、ダミーで何らかの計算問題(素数の計算でも宇宙からの信号の解析でも)を設定する必要がある(それがいわば、ビンを埋める深さに相当する)。このように貨幣の生産を国民が参加する事業にして、雇用を増やす、というのが「ビンに詰めた紙幣」の比喩の現代版の一法、ということになろう。もちろんこれは元のケインズの比喩と同様、あくまでも思考実験に過ぎず、実際に実装可能なわけではないが、同じく元のケインズの比喩と同様、貨幣というものの性質を考える一つの手掛かりになるのではなかろうか。

*1:この辺りの理解が欠けているため、自社製品の売り込みに当たっては価格の安さを武器にしておきながら、デフレは民間の責任、と矛盾した主張をしてしまう人もおられる。皆が価格引き下げに走ったら合成の誤謬でデフレが一層深刻化することになるが、そのことに気付いていらっしゃらないわけだ。

*2:ただ、そのために名目金利を下げてゼロ下限に達してしまうと、それ以上のハンデを付けるのが難しくなる。その状況で下手にハンデを追加しようとすると貨幣の機能そのものが突然停止してハイパーインフレーション状態に移行してしまう、と懸念する人もいる

*3:ちなみに小生は以前クルーグマンブログへのコメントでもそのことを指摘した

*4:なお、ここでケインズは貨幣の生産を無駄と決め付けているが、貨幣自体には交換の媒介という効用がきちんとあることを考えると、その生産は必ずしも無駄ではない、という見方も成り立つように思う。

*5:ケインズはまた、黄金の採掘の難易度は自然によって決まっており、金本位制の場合はそれによって貨幣供給が制限されるという問題があることを指摘している。裏を返せば、(彼は明言はしていないが)不換紙幣を埋める方が、その辺りが人工的に調節できる分、生産事業として優れていることになる。