ケインズとリフレ政策

田中秀臣氏の22日のエントリで、一般理論における“ケインズ自身の「流動性の罠」からの脱出法”として以下の3つが挙げられていた。

1)貨幣供給量の増加(名目貨幣量の弾力的な膨張政策)
2)資本の限界効率表の上方シフト(産業政策とか期待のシフトとか)
3)清算主義(デフレ政策による実質貨幣量の膨張ないし賃金単位の切り下げ)

以前、日本経済の「流動性の罠」模式図というエントリを上げたことがあったが、そこで描いた模式図で分類すれば、

1)と3)
[D]の高止まっている実質金利の低下を狙う「リフレ政策」
2)
[E]の自然利子率を高めることを狙う「構造改革

ということになろう。

田中氏は、

ケインズは) 3)は別な個所でダメである、と考えていて、1)を肯定している

と書いている。その3)が駄目な理由は、間宮訳注によると「本文の326-328ページ(イ)(ロ)(ハ)で論じられた」とのことだ。手元に間宮訳が無いので推測になるが、その(イ)(ロ)(ハ)というのは原文17章において、賃金単位の引き下げが貨幣利子率の十分な低下につながりにくい理由を挙げた箇所かと思われる。そのうち(イ)の原文は以下の通り。

(a) We have to allow, first of all, for the reactions of a fall in the wage-unit on the marginal efficiencies of other assets in terms of money; — for it is the difference between these and the money-rate of interest with which we are concerned. If the effect of the fall in the wage-unit is to produce an expectation that it will subsequently rise again, the result will be wholly favourable. If, on the contrary, the effect is to produce an expectation of a further fall, the reaction on the marginal efficiency of capital may offset the decline in the rate of interest.

ここで、ケインズは、賃金単位が低下しきった結果、上昇期待が得られるならば、資産の限界効率への影響を通じて好ましい結果が得られる、と論じている。これは、先のエントリの後半で紹介したクルーグマンモデルの「デフレが継続して価格が下がるだけ下がれば、最終的には期待インフレ率が上昇する」という分析とほぼ同じことを言っている。その結果、モノ・サービスから期待される収益率と、貨幣のそれの差が縮まれば、流動性の罠から抜けられる、ということである*1
しかし、一方で、ケインズは、賃金単位の低下がさらなる低下期待を招くならば意味が無い、とも述べている。つまり、デフレ期待が続くならば流動性の罠からは脱出できない、ということだ。これが上記の選択肢の3)が駄目な理由である。クルーグマンも、先のクルーグマンモデルを最初に提示した小論の最後で「But on the other hand, in the long run ...」とケインズの言葉を(部分)引用し、デフレ期待が払拭されるまで価格が下がるのを待つ、という選択肢を否定している。


この議論は19章でさらに詳細に展開されている。この章では、伸縮的な賃金政策を取り、名目賃金を下げれば均衡が回復する、というピグーら古典派の主張に反論し、むしろ名目賃金の下方硬直性は望ましく、それと伸縮的な価格政策を組み合わせるべき、と論じている*2。そこで挙げられている論点を適当に抜き書きしてみると以下の通り。

  • 賃金引下げは、これ以上低下しない、という水準まで下げないとむしろ逆効果だが、その水準に一気に下げるのは現実的には不可能。
  • 賃金低下は交渉力の弱い弱者にしわ寄せが行きやすい。
  • 賃金低下によって実質貨幣供給を増やすと、負債の負担が高まる。名目貨幣供給増加によって実質貨幣供給を増やすと、負債の負担は逆に低まる。

このうち1番目のポイントは、先の3)が駄目な理由の再説であり、アンドリュー・メロン流の清算主義への反論になっている。2番目のポイントは、まさに今世紀に入って日本でパートや派遣社員の人たちについて良く言われるようになったことである。3番目のポイントは、デフレが日本で顕在化した時に指摘された問題点である。つまり、(考えてみれば当たり前であるが)日本で問題になったデフレ不況に関する主要な論点は、ケインズがすべてこの本で既に論じているのである。


また、この章の最後では、長期的な物価政策についても触れており、

  • 賃金を安定させて物価を技術進歩に伴い低下させる
  • 物価を安定させて賃金を緩慢に上昇させる

の二者択一を迫られるならば、ケインズとしては後者を選ぶ、と述べている。その理由としては、

    • 賃金上昇期待が存在する方が完全雇用政策が容易
    • 賃金上昇により負債の負担が徐々に軽減していくのは社会的な利益
    • 衰退産業から成長産業への調整が容易になる
    • 貨幣賃金の上昇からもたらされる心理的励み

を挙げている。ここでの議論は、日本で一時期流行ったいわゆる“良いデフレ論”を先取りして簡潔に論破したものになっているのが興味深い。また、後世で展開される新古典派理論で捨象されていった重要な論点のようにも思われる*3。たとえば、近年のフリードマン・ルールから言えばデフレが経済の常態という議論では、こうしたポイントへの考慮がすっぽりと抜け落ちているわけだ。

*1:なお、この17章ないし流動性の罠の議論についてはこのエントリでも触れたので、そちらも参照。本ブログの他の関連エントリは、これこれこれ

*2:ちなみに、斎藤誠氏は「先を見よ、今を生きよ」で「しかし、IS-LMモデルが定式化したはずのジョン・メイナード・ケインズ卿の『一般理論』では、その第19章になってこれまで想定してきた価格硬直性がすんなりと外されてしまう。その上でケインズ卿は、名目価格が完全に伸縮的な経済環境においてこそ、不況が慢性化する可能性について論じている。」(pp.204-205)と書いているが、これは明らかに誤読と思われる。

先を見よ、今を生きよ―市場と政策の経済学

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*3:ただ、ケインズ自身も、これらはいずれも本質的な論点ではないので、今はこれ以上追究しない、としているが…。