経済を停滞させるライセンス?

昨日紹介した経済の自律的均衡を巡る議論の発端になったWaPo論説で、マイク・コンツァルは1935年のケインズThe New Republic掲載の小論デロングブログでの引用*1)「A Self-Adjusting Economic System」から以下のような抜粋を行っている。

In it, Keynes distinguishes between two camps of economists. The first were those who thought the economy must eventually return to full employment on its own following a recession. They were "those who believed that the existing economic system is in the long run self-adjusting, though with creaks and groans and jerks, and interrupted by time-lags, outside interference*2 and mistakes," he wrote. Although there are frictions, this camp argued, they will eventually be overcome by the economy.

The "other side of the gulf," where Keynes placed himself, "rejected the idea that the existing economic system is, in any significant sense, self-adjusting." He acknowledges, in 1935, before he has written the General Theory, that believing this places him among an "isolated group of cranks."
(拙訳)
その中でケインズは、経済学者の2つの陣営の違いについて書いている。一つは、経済は不況の後に最終的には自律的に完全雇用に戻る、と考える陣営である。ケインズによれば、彼らは「既存の経済システムは、ガタガタと軋んだり急に動いたりして、時間差やら外部からの干渉やら過ちやらに躓きつつも、長期的には自己調整を行うものと考えている。」 摩擦があったとしても、それらは最終的には経済によって克服される、というのがこの陣営の主張である。
ケインズ自身が属するという「崖を挟んだ反対側の陣営」は、「既存の経済システムがいかなる有意な意味においても自己調整的であることは無い、としてこの考え方を否定した。」 彼は一般理論執筆前の1935年において、この立場に立つことは「孤立した変人集団」の一員になることを意味すると認識していた。


クルーグマンがこの論説に反応し、9/89/99/10の3つのエントリで考察を書き連ねている。そこでのクルーグマンの立場は、基本的に昨日紹介したRoweの考察におけるISLMモデルによる見解と同じである。
9/8エントリでクルーグマンは、ISLMと総供給を結合した功績をモジリアニ(1944)に帰した上で、M/P(=名目貨幣供給/物価)の代わりにM/W(=名目貨幣供給/賃金)を調整機構として論じている。ちなみにこの点についてRoweは、(昨日もリンクした)本ブログの2009/12/25エントリで紹介したように、M/PもM/Wも大して変わらない、という立場を取っている。なお、同エントリでは「貨幣賃金を下げる代わりにMを増やす方が解決手段としてはずっと簡単」というRoweの言葉を紹介したが、クルーグマンも今回ほぼ同じことを述べている。
ただ、この調整の障害となるのが流動性の罠ないしゼロ金利下限である、とクルーグマンは言う。また、バランスシート効果を考えるならば、Eggertsson=Krugman論文で論じたように、伸縮的な賃金ないし物価の低下は、実質債務の増大を通じて経済にとって逆効果になる可能性もある*3
では、賃金や物価に下方硬直性があることで経済が助かっている面があるのかというと、9/10エントリでクルーグマンは、それはそれで別の問題を引き起こしている、と指摘している。そうした下方硬直性のために、モデルから予言されるようなデフレスパイラルが起きず、そのため中央銀行が――ゼロ金利下限と相俟って――十分な金融緩和策を採らなくなっている、というのが彼の指摘である。007映画では二つのゼロは殺しのライセンスを意味するが、金融政策では二つのゼロ――ゼロ金利下限という“ハードな”ゼロと、賃金の横ばいという“ソフトな”ゼロ――は中央銀行に経済を停滞させるライセンスを与えている、とクルーグマンは皮肉っている。

*1:デロングブログの引用元のサンドイッチマンブログ(ただしデロングは引用に際しサンドイッチマンの本名であるTom Walkerを表に出してしまっている;ちなみにサンドイッチマンはEconospeakのコントリビューターでもある)では、1934年のBBCラジオでの講演がソースとなっている。

*2:コンツァルの引用ではinferenceとなっていたが、デロングの引用ではinterferenceとなっていたので、ここではコンツァルの転記ミスと見做した。

*3:ちなみにここで紹介したように、Eggertssonもクルーグマンも共同論文以前からその点を指摘している。