財政赤字は将来世代からの盗用なのか?

表題の問いに対しクルーグマンが否定的なエントリを書き、Nick Roweロジャー・ファーマーがそれを批判した。これは以前本ブログでも紹介した議論の再論であるが、ピーター・ドーマンが両者の言い分をまとめている。以下はその概要。

  • この問題は、公共支出が生産的もしくは反景気循環的であるために将来の人々の生活が良くなる、といった話とは切り離して論じられている。クルーグマンは、そうした話を抜きにしても、債務は各世代で支払と受取が完結するとしている。Roweとファーマーは、クルーグマンは期間と人々を混同していると言う。彼らによれば、移転は各時点で相殺されるが、支払者と受取者は異なる世代ということがあり得る。
  • 問題を整理するため、以下の世代重複モデルを前提とする:
    1. すべての人々は年齢を除けば経済的に同等である。経済階級や国などは存在しない。
    2. 不確実性のある世界で所得を平滑化するため、人々は債券を購入する。債券の現在価値は価格に等しく、将来の支払流列の割引価値になっている。
    3. 二次市場で債券が流通する際は、常に若年世代が高齢世代から購入する。その逆は無い。
    4. 人々は生涯所得と消費を賢く設計し、死ぬ際には保有債券の期待価値はゼロとなっている。十分に人口が多ければ、総体としてそれはゼロになる。
  • この世界で政府が債券発行により大きな支出を行えば、その世代は利払いのためのより高い税金を負担として負う。しかし同時にまさにその債券の保有者でもあるので、その負担は相殺される。ただしこの世代は結果として大きな支出の恩恵は受けている。
  • その世代が高齢になると、若年世代に債券を売却する。若年世代は現金と引き換えに債券を入手するので、差し引きゼロである。ただし、税負担は残るので、前世代の大きな支出と債務発行が無かった場合よりも厚生は悪化する。即ち、借入世代は次世代の犠牲の上に追加的な便益を得たことになる。なお、次世代も負担をさらに次の世代に先送りすることができる。これがRoweの言う「タイムトラベル」である。
  • ただし、前掲の前提の4番目を外すと、結果は変わってくる。その場合、前世代から次世代への富の移転が発生し、次世代は無料で多くの債券を入手することになる。
  • また、前掲の前提の3番目を外すと、前世代は老齢期に差し掛かった後でも債券を若年世代から購入できる。その場合、売買時点では差し引きゼロだが、最終的な遺産はさらに大きくなる。
  • Rowe=ファーマーの世界は、遺産が存在せず、債券の売買について厳格な年齢構造がある世界である。その場合、彼らが正しくクルーグマンが間違っているモデルを構築できる。しかし、移転の方向性が不定であるより一般的なケースでは、必ずしもそうとは言えない。ピケティの言うように、遺産が物を言う世界に我々は住んでいる。また、FRBの家計金融調査によると金融資産は退職時まで単調に増加しているので、若年者から債券を購入している(もしくは新規発行債券を若年層に比べて多く買っている)高齢者が数多く存在することになる。従って、一般的に言えば、クルーグマンが正しい。

このエントリにRoweがコメントし、もしバロー=リカードの等価定理通りに遺産が債務と同じだけ増加するならば、将来世代の負担は発生しないので、基本的にはエントリの論旨に同意、としている(遺産が増加しない場合でも、公共支出によって債務が相殺される場合や、r < gであるためにポンツィスキームが永続できる場合にも将来世代の負担は発生しない、とRoweは注釈している)。ただ、後続のコメントでRoweは、クルーグマンはバロー=リカードの等価定理は間違っていると言っていたのではないか、とも付け加えている。