クルーグマンがバーナンキの背理法にダメ出し

少し前に日本のブログ界バーナンキ背理法話題になった。その時の議論は数学的厳密さに関するものだったが、今度はクルーグマンが実現可能性という点から疑問を投げかけた。

So Ben Bernanke came into his current position believing that central banks have the power, all on their own, to fight Japan-type problems. It seems that he was wrong.

The humbling of the Fed (wonkish) - The New York Times

このように彼がバーナンキ背理法にダメ出しした理由は、以下の通り。

  1. やはり動かそうとする岩が大きすぎる。ハイパワードマネーはせいぜい(!)8,000億ドルだが、短期国債(T-Bill)以外の資産市場は何兆ドルという規模。

  2. (いくら流動性の罠に陥れば無差別になると言っても)貨幣と短期国債の差は、やはり短期国債と長期債の差よりは大きいだろう。何といっても貨幣には交換価値があるのだから…。そうすると効果を出すにはかなりの量を買わないとならない。

  3. 短期国債と他の資産の差は、リスクから生じる。つまりFRBがリスクを背負うことによって効果を出そうということだ。だがそれは財政政策の領域で、中央銀行のやることではない。

とはいうものの、クルーグマンが“Bernanke twist”と呼ぶ短期国債以外の資産購入は既に実施されている。しかし今のところその効果は、FRBがバランスシートの悪化という形で負ったリスクに見合っているとは言えない、というのがクルーグマンの評である。その点について最近FRB職員は神経質になりつつある、との由。


この批判は、かつて調整インフレ論を唱えたクルーグマンらしからぬ意見という気もする。皮肉な見方をすれば、クルーグマンも今や大人になり、理論上は政府と中央銀行を一体のものと扱って分析を進めても良いが、現実の施策に移る段階では、やはり両者の役割分担をきちんと考えるべきことに気づいた、ということかもしれない。もっと端的で嫌味な言い方をすると、さすがに自国のこととなると怖気づいたか、ということか。


では、その中央銀行の頼みの相方であるべき政府の政策は現在どうなっているか、というと、それが大人でない、というのがクルーグマン嘆きである。対する議会も碌でもない連中ばかりで、米国はついに核付きのバナナ共和国になったか、とまで言っている

(この米政府の金融危機対策(ポールソン案)については、エントリを改めて見ていく予定)