グラスゴー市銀行の破綻と責任制度改革の論拠

というLSE論文をMostly Economicsが紹介している。原題は「The City of Glasgow Bank failure and the case for liability reform」で、著者はCharles Goodhart(LSE)、Natacha Postel-Vinay(同)。

The City of Glasgow Bank failure in 1878, which led to large numbers of shareholders becoming insolvent, generated great public concern about their plight, and led directly to the 1879 Companies Act, which paved the way for the adoption of limited liability for all shareholders. In this paper, we focus on the question of why the opportunity was not taken to distinguish between the appropriate liability for ‘insiders,’ i.e. those with direct access to information and power over decisions, as contrasted with ‘outsiders.’ We record that such issues were raised and discussed at the time, and we report why proposals for any such graded liability were turned down. We argue that the reasons for rejecting graded liability for insiders were overstated, both then and subsequently. While we believe that the case for such graded liability needs reconsideration, it does remain a complex matter, as discussed in Section 4.
(拙訳)
1878年グラスゴー市銀行*1の破綻は、多くの株主の債務不履行を招いたが、彼らの苦境に人々は大いなる懸念を抱き、全ての株主への有限責任の適用に道を拓いた1879年の会社法に直接につながった。本稿で我々は、決定に関する情報と権力に直接関与できた「内部関係者」の然るべき責任を「部外者」と対比させる形で区別して問うのになぜこの機会が活用されなかったか、という問題に焦点を当てる。当時その問題は提起され議論されたことを我々は明らかにし、そうした段階的な責任という提案がすべて却下された理由を報告する。当時もその後も、内部関係者の段階的な責任を却下した理由は誇張されていた、と我々は論じる。そうした段階的な責任の必要性は再検討される必要がある、と我々は考えるが、4節で論じるにそれは確かに依然として厄介な問題である。

結論部によると、段階的な責任が却下された理由は、相応しい人間が経営者にならなくなる、というものだが、著者たちはその懸念は適切な証拠に基づいたものではなく誇張されている、と論じ、段階的な責任は社会正義とモラルハザード制限という2つの点から大いに正当化される、と主張する。また、段階的な責任が存在しないことにより、銀行に対する規制や監督による管理を積み重ねることになり、金融仲介機能の非効率化を招いている、とも論じている。
段階的な責任を導入する上での問題として著者たちは、各段階のインサイダーの定義、追加的な責任の大きさの決定、不可抗力による破綻時に罰則の免除を訴えられるようにするかどうか、を挙げている。