最底人と裁定人

池田信夫氏は、今回のサブプライムローンのような問題があっても、日本は高度な金融技術を駆使してリターンを上げることを追求すべきで、従来の預金主体のビジネスとは訣別すべし、と主張している(昨日紹介した邦銀=地底人の喩えもその主張が背景にある。この後のエントリでもその点を再度強調している)。

ここで、資産価格の基本的な理論に立ち返ってみよう。

CAPMによれば、すべての金融資産のリスク調整後のリターンは、均衡では等しくなる。つまり、安全資産に比べ超過リターンを得ている人は、それに対応するリスクを必ず負っている。
池田氏の主張するように日本人全体が預貯金からよりリターンの高い資産にシフトしていくということは、国民全体としてそうしたリスクエクスポージャーを上げていく、ということだ。だが、そういったリスクを増やす方向に進むかどうかは、誰かが指図して決めるのではなく、その国民の価値観(ファイナンス用語で言えばリスク拒否度とそれに基づく効用関数)に依存して決定されるべきではないだろうか? 少なくとも、経済学者が上から目線で指図する話ではないように思われる。そこでの経済学者の役割は、せいぜい金融理論の教育や情報の普及に努めて、正しい決定がなされるのを側面から助けるところまでではないだろうか?*1 *2


また、高度な金融技術の代表というと派生商品になるが、派生商品と一口に言っても、良く知られているように、リスクヘッジ(危険回避)、アービトラージ(裁定)、スペキュレーション(投機)の3つの機能がある。これを十把一からげ(正確には三把一からげ)にして素晴らしいものと論じるのにも違和感がある。派生商品は飛行機や自動車のように便利で現代に不可欠なものとなった、とは良く言われることだが、その場合は基本的にあくまでもリスクヘッジの機能を指している*3。それ以外の機能、即ち、最底人ならぬ“裁定人”や“投機人”の活動は、適正価格への収束に役立つ半面、レバレッジを通じた損失の拡大を通じて金融危機をもたらす危険性がある。リスクヘッジ目的だけの使用ならば、レバレッジを掛けて利益を膨らませることを狙うこともないので、損失が生じた場合の影響は限定され(そもそも契約時点で支出額が確定している)、金融危機を引き起こす可能性は低い。*4
もちろん、だからといって、リスクヘッジ目的以外の派生商品取引を一律に規制してしまえ、というわけには行かない。裁定人や投機人がいなければ商品の流動性が確保できず、市場の価格発見機能が損なわれるからだ。そのあたりのバランスをどう取るかという問題は、現在の米国においても、十分に研究され政策に反映されているとは言えない。この点については、注意してもしすぎることはないだろう。


なお、この問題を考える上では、以下の小噺(あくまでも都市伝説であって真実ではないようだが)が役に立つかもしれない。

アメリカのNASAは、宇宙飛行士を最初に宇宙に送り込んだとき、
無重力状態ではボールペンで文字を書くことができないのを発見した。
これではボールペンを持って行っても役に立たない!
NASAの科学者たちはこの問題に立ち向かうべく、10年の歳月と120億ドルの開発費をかけて研究を重ねた。
その結果ついに、無重力でも上下逆にしても水の中でも氷点下でも摂氏300度でも、
どんな状況下でもどんな表面にでも書けるボールペンを開発した!!


一方、ソ連は鉛筆を使った。

Junkyard Review

金融技術の高度化による新型の金融危機に対応できるようになるには、今回のような学習コストをまだまだ支払わなければならないだろう*5。そうした中、預貯金という従来型の金融システムを使い続けることを単に遅れていると切り捨てるか否かは、上の小噺での鉛筆の位置づけと同じで、論者の解釈によって変わってくると思われる。


ただ、米国ではボールペンに鉛筆の枠を被せるという対応を始めたようだが…。

*1:これに対し、野口悠紀雄氏
“「貯蓄から投資へ」というスローガンの下、「家計が金融知識を得て、リスクを取るべきだ」という考えが主張されている。しかし、この考えは間違っていると私は思う。家計には、資産運用以外に行なうべきことがたくさんあるからだ。”
と述べている。だから、金融のプロは“リスクの高い投資対象や外貨資産への運用を行ない、適切なポートフォリオを組んで、リスクの低い(しかし、収益は銀行預金より高い)資産を家計に提供する”べき、とのことだ。
金融商品の品揃えを増やせ、という一般論には異存は無いが、金融機関が少し頑張れば、預金とリスクがあまり変わらず高リターンな商品が作れる、と言わんばかりの論調には危うさを覚える。サブプライムローンを元にした商品がまさにそれを標榜していたのではなかったか? 単にあれは格付けの問題と言って済ましていられる話でも無いだろう。

*2:ただし、そうした国民全体の価値観を総合した金融商品への需要と、実際に金融機関が提供する金融商品の供給との間に、制度的な阻害要因で生じているギャップがあるならば話は別だ。その場合に、経済学者が制度変更や規制緩和を訴えていくことに異論を差し挟むつもりはない。だが、そうしたギャップが現在の日本に存在するという論証[印象論では無く]はあるのだろうか?

*3:その意味での派生商品(先物)は既に江戸時代に不可欠のものだったかもしれない。

*4:ご記憶の方も多いと思うが、10年前に、派生商品の情報の非対称性を利用して投資銀行が利益を得るあこぎなやり方を暴露した下記の本が話題になった。その本で派生商品のあり方を強く批難し警鐘を鳴らした著者フランク・パートノイ氏も、派生商品によるリスクヘッジについては何の異論も無い、と当時文藝春秋に寄せた記事で述べている。

大破局(フィアスコ)―デリバティブという「怪物」にカモられる日本

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*5:そもそも今回のサブプライムローン問題は、上述の派生商品云々以前の“分散化”という金融工学の初歩のところで躓いてしまっている。