フィッシャー式逆さ眼鏡派と有限期間

フィッシャー式逆さ眼鏡派(新フィッシャー派)の無限期間モデルを問題視した15日エントリで紹介したコチャラコタの論考に対し、Stephen Williamsonが、いや、有限期間で考えることこそおかしい、と反論している


Williamsonはまず、金融経済で有限期間を考えることについて以下の点を指摘している。

  • 周知の問題として、経済に最終日があるならば、最終日には誰も無価値な貨幣を持とうとしない。逆向き推論により、貨幣はすべての日で無価値になる。
  • この問題の良く用いられる標準的な解決策は、無限期間を用いること。
  • 別の解決策は、世界がある決まった確率で翌日終わると仮定すること。これも無限期間とほぼ同様の解決策であり、取り扱いが容易。
  • 有限期間を前提とし、最終日に政府が何らかの形で貨幣に価値を与える(税金支払いのために貨幣が必要になる、財と引き換えに貨幣ストックを引き揚げる、等)、と仮定することもできる。この手法は取り扱いがそれほど容易ではなく、あまり使われていない。


次いで、コチャラコタの有限期間モデル固有の問題について、次のように指摘している。

  • 通常の意味での金融経済ではなく、ウッドフォードの現金の無いニューケインジアン経済である。
    • この経済が無限期間の場合は、価格基準は貨幣になり、誰でもある期の1価格単位を次期の1+i(t)価格単位と交換することができる。ここでi(t)は名目金利であり、中銀は各期のi(t)を設定することができる。
    • この世界では誰も貨幣ストックを保有せず、中銀は公開市場操作のような現実世界で必須となる数多の面倒を回避することができる。
    • ウッドフォードは著書で、この枠組みに意味があることを大いに労力を掛けて説明している。
  • この経済を有限期間としたコチャラコタの手法には、以下の問題がある。
    • 無限期間のニューケインジアンフィリップス曲線の誘導形は、定常的な環境でのカルボプライシングから導出される。しかしコチャラコタの設定では、企業が価格を決定する時、最終日にどれだけ近いかで価格付けが異なってくる。この問題にコチャラコタは一切言及していない。
    • 最終日のインフレ率の決定という問題については、コチャラコタは財政政策により固定される、という解決策を提示している。しかし、キャッシュレス経済において財政当局がどのように最終日のインフレ率を固定できるかは不明。もし中銀が金利を決めることができるのと同様に財政当局がインフレ率を決めることができるのだ、というのであれば、最終日だけではなくすべての日においてインフレ率を決めてしまえば、話はそれで済んでしまうではないか。
  • コチャラコタのこのモデルでの政策実験には、以下の問題がある。
    • 中銀が名目金利を全期間に亘って一定に保つ、としているが、無限期間ならば話は単純であり、コチャラコタのパラメータ制約では数多く存在する均衡経路も極限では、実質金利が自然利子率に等しくインフレ率が名目金利と自然利子率の差に等しい定常状態に収束する。即ち、長期的にはフィッシャー効果が1対1で成立する。コチャラコタはこれを「新フィッシャー派の仮説」と呼ぶが、実際には仮説ではなく、マクロ経済学者が用いる各種モデルにおける特性に過ぎない。
      • 真面目な新フィッシャー派は別にフィッシャー効果だけにこだわっているわけではなく、短期的な流動性効果や実質金利の持続的な動向、および金融政策が実質金利に与える長期的な影響も気にしている。ここ参照。
    • 有限期間では、最終日に財政当局がフィッシャー的な定常状態のインフレ率を選択すれば、全期間について均衡はその定常状態となる。しかし、定常状態は前向き推論について安定であるため、逆向き推論については不安定となる。即ち、最終日のインフレ率が定常状態から乖離している場合、最終日から離れているほどインフレ率も定常状態から離れる。コチャラコタの(5)式では、名目金利が高いほど全期間についてインフレ率は低くなるが、最終日から遠いほど、最終日の固定されたインフレ率の影響が大きくなる。遠い将来の予想インフレ率が今日のインフレ率に多大な影響を及ぼすというのはモデルとして問題。
    • コチャラコタは、中銀が次のような線形テイラールールに従った場合にどうなるか、という政策実験に触れていない。
           it = min[0, απt + (1-α)π* + rn]
           it名目金利、πtはインフレ率、π*は目標インフレ率、rnは自然利子率
           (生産ギャップ項は簡単のため省略)
      • 無限期間の場合、テイラー原理(α>1)を仮定すれば、ゼロ金利下限とインフレ目標達成という2つの均衡状態が出てくる。ゼロ金利下限に収束する均衡は数多くある。いずれの均衡も、定常状態の実質金利が自然利子率であり、かつ、インフレ率が名目金利と自然利子率の差に等しい、という意味でフィッシャー的である。0<α<1の場合は、インフレ目標達成という望ましい定常状態が唯一の均衡であり、数多く存在する均衡も極限ではすべて定常状態に収束する。
      • 有限期間の場合、コチャラコタの設定のように財政当局が最終日のインフレ率を固定するならば、テイラー原理の下で後ろ向きに解くと、望ましいインフレ率に近付いていく。財政当局が最終日のインフレ率を中銀の目標インフレ率から離れた値に固定したとしても、最初の日へのその乖離の影響は最終日が遠いほど小さくなる。即ち、最終日が遠いほど最初の日のインフレ率は目標インフレ率に近付く。十分に長期の有限期間では、この経済は最初の日において極端なまでにフィッシャー的となる。というのは、そうした長期モデルとテイラー原理の下では、中銀が目標インフレ率を引き上げた場合、最初の日の名目金利を概ね1対1で引き上げることになり、実際のインフレ率も概ね1対1で上昇するからである。従って、こうした有限期間モデルがフィッシャー的な特性を持たないというのは誤り。
      • 有限期間で中銀がテイラー原理に従わないと、良くないことが起き得る。期間が長期で、財政当局が最終日のインフレ率を中銀の目標インフレ率より低く設定すると、名目金利はゼロ金利下限にしばらく留まったままとなり、その後最終日に至るまで上昇し続ける。インフレ率は常に目標を下回る。
  • ということで、コチャラコタのメモによってWilliamsonが、無限期間金融モデルや新フィッシャー主義について心配になった、ということは無い。コチャラコタの有限期間の枠組みには各種の問題があり、しかしそうした問題にも関わらず実のところフィッシャー的な特性を有しているのである。