フィッシャー式逆さ眼鏡派と質的緩和

今年初め、コチャラコタによる新フィッシャー派(フィッシャー式逆さ眼鏡派)への批判と、それに対するStephen Williamsonの反論を紹介したが(ここここ)、同様のやり取りがまたあった。


今回もコチャラコタは無限期間モデルと有限期間モデルの違いに焦点を当て、無限期間モデルにおける定常解は、長期の有限期間モデルの特性を理解する上であまり役に立たない、ということをニューケインジアンモデルと資産価格モデルの2種類のモデルで示した。それに対しWilliamsonは、資産価格モデルでコチャラコタが示した結果について、マイナスの実質金利を仮定したのだから自明の話、と一蹴した。また、ニューケインジアンモデルでコチャラコタが示した結果については、差分方程式を後ろ向きに解くと不安定になるが前向きに解くと安定的になる、というのは良くある話、と指摘した*1


返す刀でWilliamsonは、George W. EvansとBruce McGoughの新フィッシャー派批判論文を斬っている。このEvans=McGough論文は、ここで紹介したEconomist's Viewゲストエントリを発展させたものと思われ、適応的学習を基にしている。それに対しWilliamsonは、コチャラコタのニューケインジアンモデルに適応的期待を導入した結果を示して、Evans=McGough論文の批判は当たらない(=適応的期待の程度が高くて価格が粘着的な場合は新フィッシャー的ではないが、価格が粘着的でないと新フィッシャー的になる)、と反論した。ただ、適応的学習の研究は単純な適応的期待とは違うので、Williamsonはその点を勘違いしている気もする。


一方、思わぬところからWilliamsonへの援軍が現れた。ロジャー・ファーマーが、ブログでWilliamson支持を表明した(H/T 本石町日記さんツイート*2

I am on Stephen’s side in this debate. But I do not, I repeat I DO NOT, believe that the economy is self-stabilizing. If the Fed raises rates before the private sector has begun to recover, and if that is the only change to either monetary or fiscal policy, Narayana would be right: the Fed action would derail a nascent recovery. To prevent this from happening; a rate rise must be accomplished by a simultaneous intervention in the asset markets to prevent the crash in the values of other risky and long dated asset classes that will inevitably accompany a Fed increase in the policy rate. This is what Willem Buiter has called ‘Qualitative Easing’.
Inflation is persistent in historical data. But it is not persistent because private actors are prevented from changing prices by what New-Keynesian economists refer to as ‘sticky prices’. As I explain in my forthcoming book, inflation is persistent because people's beliefs about future NGDP growth are persistent. We ARE in a low inflation trap. The way out is not through further interest rate cuts, as some have advocated. It is through a rate rise, accompanied by a fiscal/asset market intervention.
(拙訳)
この論争について私はスティーブンの側に立つ。しかし私は、経済が自己安定的だとは決して信じていない。もし民間部門が回復し始める前にFRB金利を引き上げ、それが金融と財政を通じた唯一の政策変更ならば、ナラヤナが正しく、FRBの政策は緒に就いたばかりの回復を脱線させることになるだろう。それを避けるためには、金利引き上げは資産市場への介入を同時に伴わなくてはならない。FRB政策金利引き上げは必然的に各種の長期リスク資産の価値の暴落を招くので、それを防ぐ必要があるのだ。ウイレム・ブイターはそうした政策を「質的緩和」と称した。
インフレは過去のデータにおいては継続的である。しかし、それが継続的なのは、ニューケインジアン経済学者が「粘着的価格」と呼ぶもののために民間主体が価格変更ができないためではない。私が出版予定の本で説明しているように、インフレが継続的なのは、今後の名目GDP成長率に関する人々の考えが継続的だからである。我々は今や低インフレの罠の中にいる。ここから抜け出す方法は、一部で提唱されているようなさらなる金利引き下げではない。財政ないし資産市場介入策を伴う金利引き上げが脱出策となる。

このファーマーのエントリのコメント欄にWilliamsonが姿を見せ、経済の自己修復性については自分は不可知論者だ、と述べ、その点を巡ってファーマーと何回かやり取りをしている。

なお、新フィッシャー派の論理成立には財政出動が欠かせない、ということは、Williamsonの「盟友」Andolfattoがかねてから主張していることであり(cf. ここここ)、ここでのファーマーの考えはそれと通底しているようにも思われる。

*1:併せて、こうした枠組みでは通常のテイラールールはあまり性質が良くないので、それに代わる金利政策ルールを導入しなくてはならない、という点も指摘している。

*2:ただしファーマーは、コチャラコタとWilliamsonの上記のやり取りではなく、Williamsonのセントルイス連銀サイト記事(The Big Pictureにも転載されている[H/T 本石町日記さんツイート])と、それを批判したコチャラコタブルームバーグ論説に反応している。