女王陛下の経済学者:補足

一昨日のエントリでは、エリザベス女王の質問(どうして誰も信用収縮の到来に気付かなかったのか)に対する英国学士院からの回答を紹介した。


この公開書簡を取り上げたEconomist's Viewでは、FTの関連記事を2つ紹介している。


一つはFT自身の論説記事で、そこでは経済学による予測の難しさを説いている。その点で、ここで紹介したクリス・ディローの主張と似通っているが、ただ、ニュアンスは若干異なっており、ディローのように、そもそも経済学に予測を求めるのは筋違い、とまでは言い切ってはいない。企業、投資家、メディアといった経済学の使い手たちは、そうした予測の困難さをわきまえた上で、自分たちの責任で経済学を使うべきである、というのがこの論説のポイントである。そして、一方の経済学者たちに対しては、ドグマに毒されていない素人の知的好奇心――今回の女王の問いかけのような――をこれまで軽視気味だったが、今後はきちんと応えるように努力すべきである、それが経済学自体にも益をもたらす、と説いている。


もう一つの記事は、UBSのシニア・エコノミック・アドバイザーのジョージ・マグナスの論説で、そこで彼は、学士院の回答を矛盾して役に立たない(incoherent and unhelpful)と断じている。もし、その回答にあるように、「多くの優秀な人々の集団的な想像力の失敗」が問題だったならば、エコノミストたちはただ愧じ入るほかはない。しかし実際には、信用収縮とその後の混乱は予測されていただけでなく、幾人かのエコノミストはその時期も的中させていた。規制当局者は把握していなかったかもしれないが、政府、銀行、学界のエコノミストは、巨額の債務の集積と資産バブルの関係や、グローバルな不均衡と資金過剰の関係を十分に把握していた。問題は、彼らが皆過去25年の景気で利益を受けていたため、誰もそのことを口に出す勇気がなかった点にある。従ってこれは、認識の問題ではなく判断の問題であり、その点について謝罪する、とマグナスは書いている。


さらに、Economist's Viewの8/2エントリでは、FT編集者ロバート・シュリムスリー(Robert Shrimsley)の以下の主旨のコラムも紹介している:
たとえ我々経済学者が警告したとしても、どうせ銀行家も規制当局者も政治家も耳を貸さなかったのだから、経済学者の側の資源の無駄遣いになっていた。だから我々経済学者は、ヤバい経済学のような経済学が実世界を説明できることを示す本をせっせと書いていた、それは危機回避には役立たなかったかもしれないが、お蔭様で経済学者の側には利益があった。従って正しい質問は、なぜ我々が予測できなかったか、ではなく、なぜあなた方が我々に予測するインセンティブを与えなかったか、である。陛下の質問は、要するに経済学者は役立たずだったのではないか、ということを遠回しに述べられたのだと思うが、このように正しい質問を提示することによって、経済学者の真の価値をお分かりいただけたことと思う。
(…つまり、このコラムは経済学者への強烈な皮肉として書かれているわけだ。)


また、8/10エントリの脚注で簡単に触れたが、イースタリーは、EMHを論拠に、経済学者に謝る点はない、とブログに書いている*1。というのは、もし市場崩壊が予測できたら、市場を出し抜けることになり、EMHに反するからである。これもエリザベス女王への公開書簡という形を取っているが、やはり経済学への反語的な皮肉として書かれていると見て良いだろう。


イースタリーは上記エントリでスキデルスキーの論説にリンクしているが、そこでスキデルスキーは、経済学はやはり予測はできないと主張し、その点で女王の質問は間違っている、と書いている。というのは、カール・ポパーが言うように、社会科学においては、新発明を予測することは、既にその新発明がなされたことを意味するので、原理的に予測が不可能だからである。
スキデルスキーによれば、EMHや新しい古典派は、正しい価格付けや人々の合理的行動の仮定によって経済学に再現可能性と確実性を持ち込み、予測が可能であるように見せかけたが、それは今回の危機で破綻した、とのことである。

*1:エントリに添えている写真にこの人の品性が良く表れている…。