景気対策と戦争との違い

岩本康志氏が政府債務の対GDP比の長期グラフをもとに、近年の景気対策を戦争になぞらえるエントリを書いた(池田信夫氏も引用している)。


そこではデータソースも言及されているので、取りあえずインターネットで入手できるものを小生も掻き集め、同様のグラフを描いてみた(データの詳細は後述参照)。

これを見ると、現在の債務残高比率は、第二次世界大戦末期の200%近い水準に近づいている。岩本氏は、このことから、第一次石油危機以降の景気対策を戦争に喩えた。


しかし、ここで注意すべきは、債務残高そのものではなく、その国民所得に対する比率を見ている点である。比率である以上、分子の債務残高だけでなく、分母の国民所得の動向も、当然その数値を大きく左右する。
そこで、内訳を見るため、同比率の各年の変化(対数変化率、%)を、分母の国民所得の変化と、分子の債務残高の変化に分解してみた。


(参考のため、債務残高比率も水色の折れ線(右軸)で合わせて示してある)


これを見ると、債務残高そのものの90年代以降の伸び率は、実は歴史的にみてそれほど高い水準にあるわけではないことが分かる。実際、下表に見られるとおり、90年代以降の債務残高の平均伸び率は80年代とほとんど変わらず、30%を超えている1938-44年の水準はもちろん、15%を超えていた高度成長期の半分強の水準に過ぎない。

期間 債務残高平均伸び率(%) 国民所得平均伸び率(%)
1938-44 34.7 16.5
1947-50 18.4 53.0
1951-60 8.8 14.1
1961-70 15.4 15.1
1971-80 27.3 11.8
1981-90 8.2 6.0
1991-08 8.1 0.5


従って、債務残高を90年代以降に増やした要因は、むしろ、名目GDP伸び率が零コンマの値にまで落ち込んでしまったことにあると言えよう。

もちろん、名目GDPの成長が止まったのだから、債務残高もそれに合わせて伸びをストップさせるようにすべきだった、という議論は理屈上は可能である。しかし、その場合、日本がデフレスパイラルに陥り、状況がさらに悪化していたことは想像に難くない。



また、物価動向を考え合わせると、現在と戦前・戦中の状況の違いは一層明確になる。下図は、日銀のサイトから取得した長期企業物価指数の前年比を、債務残高比率、および国民所得の前年比と比較したものである*1


(ここでも参考のため、債務残高比率を青色の折れ線(右軸)で合わせて示してある)


これを見ると、戦前・戦中の債務残高比率が激増した時期においても、名目国民所得の伸び率は物価の伸び率を上回っていたことが分かる。つまり、実質的な経済は十分に成長していた*2。それにも関わらず、いや、それだからこそ、軍事費に政府支出を注ぎ込み、債務比率が膨張していったわけである。
一方、90年代以降は物価も名目GDPもほとんどゼロ近辺でうろうろしている。その結果、周知の通り、実質経済成長も低い水準に留まり、しかもその成長も、名目GDPの成長ではなく物価の下落によってもたらされる部分が大きかった。当然ながら税収は伸びず、そのために債務残高が増加した。サムナーが言うように、もしここで十分なインフレ率が得られていたら、状況は大きく違っていたであろうことが容易に推察できる。この図を見ていると、名目GDPを政策目標にすべき、というサムナーの提言がポイントを突いていることが今更ながら実感できる。



ちなみに、岩本氏の元のグラフは1885年まで遡っている。それを見ると、第二次世界大戦以前にも、1905年頃に債務残高比率が大きく膨らんだ時期があったことが分かる。これは日露戦争によるものと思われるが、その膨張分は、第一世界大戦の特需景気で無事に解消している。上記の企業物価指数は1901年まで遡れるので、岩本氏のグラフと並べて見てみよう。

債務比率が縮小した1917年前後の時期には、インフレ率も高まっていたことが分かる。同じインフレ率の上昇による債務縮小でも、第二次大戦後のような破壊的なインフレではなく、このような好景気に伴うインフレの方が望ましいことは言うまでもないだろう。
残念ながら、岩本氏のエントリは、現状で債務を縮小するか、さもなくば第二次大戦後のようなハイパーインフレか、の二者択一を迫る調子で書かれており、せっかく長期のデータを作成・提示しているにも関わらず、それを仔細に見て、他の可能性を冷静に検討するという姿勢に欠けているように思われる。



[データ説明]
国民所得

のいずれも名目値(1946年以降は年度ベース)を用いて、接続年で不連続が生じないように過去分を調整した。なお、ここでは、岩本氏が行なったような以下の調整は行なっていない。

  • 岩本氏によると、第一世代はSNAと概念と推計手法が違うのでそのまま接続するには難があるということだが(そのため岩本氏は「溝口・野島系列」というデータを使用したとのこと)、ここでは単純に接続した。
  • 岩本氏は1945年のデータを推計して当てはめたが、ここでは欠損値のままとした。
  • 岩本氏は1954年以前もGDPのデータを用いたが、ここでは資料の「国民総支出」のデータをそのまま用いた。また、この資料の1944年以前は暦年ベースなので、岩本氏は線形補間により年度ベースに直しているが、ここではそのまま用いている。

政府債務は2002年以前は総務省統計局の「日本の長期統計系列」サイトExcel表、それ以降は財務省のサイトの「最近10年間の年度末の国債・借入金残高の種類別内訳の推移」を用いた。これは岩本氏と同じである。
手入力した第一世代の国民所得の数値(接続による調整前)、および2003年以降の債務残高を参考までに以下に掲げておく。

「第一世代」国民総支出
1930 13850
1931 12520
1932 13043
1933 14334
1934 15672
1935 16734
1936 17800
1937 23426
1938 26793
1939 33083
1940 39396
1941 44896
1942 54384
1943 63824
1944 74503
1945
1946 474
1947 1308.7
1948 2666.1
1949 3375.2
1950 3946.7
1951 5444.2
1952 6118
1953 7084.8
1954 7465.7
1955 8235.5
1956 9292.9
1957 10149.8
1958 10394.7
1959 12572.5
1960 14671.4
1961 17740.5
1962 19315.2

単位は1944年以前は100万円、1946年以降は10億円。1944年以前は暦年、1946年以降は年度。

年度 政府債務残高(億円)
2003 7031478
2004 7815517
2005 8274805
2006 8344017
2007 8461396
2008 9239370

*1:ここではいずれも対数値ではなく通常の比率を用いた。

*2:[追記]:ただし、ここのp.160に記載されている実質国民総支出は伸びておらず、むしろやや減少気味である。これは、推計に使用したデフレータ(ここのp.168)が上記の企業物価指数よりも伸びが高かったためである。このことは、生産が軍需に傾斜した結果、消費財をはじめとするそれ以外の財に供給不足が発生し、全般的な物価が上昇したことを示しているものと思われる。つまり、実質経済に余力があったとしても、それは結局軍部が食い尽くしていたものと思われる。その点で、本文の「実質的な経済は十分に成長していた」という記述は「実質的な経済は十分に成長する余力があった」とした方が正確だったかもしれない。