貨幣数量方程式は有用か?

という興味深いブログエントリEconomist's ViewのサイドバーのNew link経由で見つけた(原題は「Is MV=PY useful?」;最近岩本康志氏と貨幣数量説に関する論争を繰り広げたkendochorai氏も早速反応している)。
ブログ主はMatt Rognlieで、プロフィル欄ではPhD student at MITとなっている。先月末に以前のブログから引っ越したとの。それなりに有名なブロガーらしく、タイラー・コーエンがそのブログ再開に反応している


エントリの内容もさることながら、(kendochorai氏も指摘するように)コメント欄での議論も面白く、さながら昨年12/26に紹介した議論の続きといった感がある。そこで一つの論点になっているのが、貨幣の数量方程式MV=PYにおけるMとVの動きの連動性、およびそのこととPYが(Mに無関係に)自律的に動くか否かとの関連性である。以下では、その点を軸として、議論の内容を表形式にまとめてみた。

MとVの動き PYは自律的? 議論
V安定 No
(その場合はPYはMに比例)
・結局その場合は貨幣保有コストが問題になるので、金利だけで金融政策のスタンスの充分な指標となる。(Matt Rognlie)
・MV=PYはモデルではない。貨幣数量説が良いモデルではないという主張ならば、同意できない。(サムナー)
・何を以って貨幣数量説と言うのか?MがYに影響する点を指すならば、不同意(∵前述の通り、MがYに連関する世界では、名目金利だけで充分な指標となる)。MがPに長期的に影響する点を指すならば、結構かと思う。しかし一方で、経済学者は皆、長期的なPの安定性についてはテイラールールが機能すると確信している。またPへの短期的な影響については、物価の粘着性により、貨幣数量説はまるで役に立たない。(Matt Rognlie)
・M2の流通速度は長期的に安定。長期的には、M2の増加は概ね比例的な名目GDPの増加をもたらす。(サムナー)
・その因果関係はM→PYではなくPY→Mだろう(=家計が名目所得の一定割合を流動性の高い資産で持つことを反映)。(Matt Rognlie)
・MV=PYは名目GDPと貨幣の取引需要の比例関係を示す。また、金利だけで金融政策のスタンスの充分な指標となるというのは、名目GDPを所与とした場合の話であり、同意できない。(Andy Harless)
・ここで問題にしているのは貨幣需要関数の形態云々ではなく、金融政策の実体経済への影響。また、現在の金融システムでは、取引の増加によって銀行の準備預金が不足すれば銀行間市場での融通が行われ、結局やはり金利にそのことが反映される。(Matt Rognlie)
MとVの動きが完全に対称 Yes
Matt Rognlie*1

No
(ベックワース)
・PYがまったく動かないなら、自律的もへったくれも無い。(Adam P)
・PYが動かないと言った覚えは無い。FRBが完全にVをオフセットするようにMを動かしているならば、両者の動きの対称性はPYが自律的であることの証左にはならない*2。(ベックワース)
ベースマネーは別にVの変動を逐一相殺するようには動いていない。(Matt Rognlie)
ベースマネーの水準だけではなく伸び率の変化も見るべし。(ベックワース)
・Vの変化は、名目GDPにあまり関係しない銀行預金の定期的な変動を反映しているだけではないだろうか。また、貨幣需要が増大してVが低下してもFRBがMを動かさずに金利が上昇してVが元に戻るケースを考えると、貨幣の数量方程式は効果的な考察ツールとは言えない。(Matt Rognlie)
・数量方程式を過大評価するつもりはないが、M=mBのようにMをベースマネーBと貨幣乗数mに分解して考えることは有用。この時Vの変化は広義のマネーストック需要の変化、mの変化はベースマネー需要の変化と考えられる。FRBの影響力はベースマネーに限られるわけではなく、名目の期待値を固定する力もある。(ベックワース)
MとVの動きが完全に対称でない Yes ・大平穏期以前も含めて考えると、MとVが体系的に連動していたとは言えない。これがMatt Rognlieが貨幣数量説を否定する論拠。(Adam P)
・その点は了解。(ベックワース)

*1:12/26エントリの脚注に記したように、アーノルド・クリングも同様の解釈を昨年暮れに示している

*2:この点については、Adam Pも自分がかつてベックワースと同様の議論をしたことを認めている。