流動性の罠にはゼロ金利は関係無い

とStephen Williamsonが書いているMarginal Revolution経由)。


彼はまず、名目金利は交換媒体としての貨幣の稀少性を表わすもの、と定義している。そして、その名目金利がゼロに達すると、交換媒体としての貨幣の稀少性は消滅し、貨幣は他の金融資産と何ら変わらなくなる、と述べている。これは、21日のエントリで紹介したRognlieの議論と――Rognlieが価値の尺度という貨幣の機能から金利を捉えたのに対し、Williamsonが交換の媒体という貨幣の機能における稀少性という観点から金利を捉えた点を除けば――基本的に同じである。


しかしWilliamsonは、この時に生じる流動性の罠を「祖母の時代の流動性の罠(Grandma's liquidity trap)」と呼び、現代の流動性の罠(contemporary liquidity trap)はもはやこれとは違ってきている、と論じている。というのは、今は貨幣ではなく準備預金が日々の金融取引において重要な流動性資産となっているからである。特に現在は準備預金には金利が支払われているため、ゼロ金利流動性の罠と切り離された、とWilliamsonは主張する。即ち、金利がゼロよりも高くて貨幣の稀少性が保たれてる状況でも、準備預金の稀少性が存在しないがために現代の流動性の罠が発生することがあり得る、と彼は言う*1


では、今現在の流動性の罠は何が原因で生じているのか? それに対するWilliamsonの答えは、「質への逃避(flight to quality)」である。人々が流動性の高い資産を求め、そうした資産が稀少になった結果、当座預金と他の流動性資産が同等になってしまった、というのが彼の分析である。


では、どうすれば良いのか? Williamsonが提示した答えは、政府が借り入れを増やすこと、である。もちろん、IS曲線をシフトさせるといったケインジアン的な実体経済への効果をここで彼が狙っているはずも無く、問題はあくまでも金融面の話なので、流動性資産を増やしてその不足を緩和しよう、というのが彼の趣旨である。


こうしたWilliamsonの見解は、21日エントリの脚注で触れたデロングのかねてからの主張――準マネタリストの言うような交換媒体への超過需要ではなく、安全資産への超過需要が問題だという――と期せずして一致している。また、政府自身が流動性資産を供給して対応する、という対策案も、ここで紹介したように、かつてデロングがカバレロの主張を援用して論じたところである(ただし、政府が財政赤字をこれ以上増やすのは難しいのはWilliamsonも認めており、カバレロが提案したのも政府が直接供給するのではなく民間の債券を政府が保証するという手法である)。

*1:ちなみに、超過準備が存在する限り、FFレートではなく準備預金への付利の金利だけがFRBの金融政策のツールとなる、というのがWilliamsonの見解である。その場合、この金利によって貨幣の稀少性をコントロールし、それによってインフレをコントロールすることになるが、その経路においては金利のゼロ下限は確かに問題になる――ゼロ金利に達したらインフレのコントロールは将来の期待への働きかけに頼るしかなくなる――とWilliamsonは書いている。なお、このWilliamsonの議論については、Marginal Revolutionのコメント欄でBill Woolseyが異議を唱えている。