貨幣摩擦が問題になる時

Matt Rognlieが貨幣摩擦のマクロ経済への影響は大したものではない、とブログで論じ、Stephen Williamsonが猛反発した


その反論エントリの末尾でWilliamsonが、Rognlieは勉強不足なのでまずこれらを読むべし、として挙げた文献リストの中には、少し前の自ブログエントリも入っている。それは本ブログでも以前紹介したものであり、小生はそこで以下のように書いた:

彼(=Williamson)はまず、名目金利は交換媒体としての貨幣の稀少性を表わすもの、と定義している。そして、その名目金利がゼロに達すると、交換媒体としての貨幣の稀少性は消滅し、貨幣は他の金融資産と何ら変わらなくなる、と述べている。これは、21日のエントリで紹介したRognlieの議論と――Rognlieが価値の尺度という貨幣の機能から金利を捉えたのに対し、Williamsonが交換の媒体という貨幣の機能における稀少性という観点から金利を捉えた点を除けば――基本的に同じである。

今回の一件は、ある意味において、「Rognlieが価値の尺度という貨幣の機能から金利を捉えたのに対し、Williamsonが交換の媒体という貨幣の機能における稀少性という観点から金利を捉えた」という違いが露わになったものと言える。


実際、Nick RoweがこのWilliamsonのエントリにコメントし、Rognlieはあくまでも通常時の金融政策について書いているのだ、と弁護しつつも、Williamsonの見解に大いに賛同している。交換の媒体としての貨幣への超過需要こそが問題だ、というRowe(やベックワース*1)のかねてからの持説に鑑みれば、それもごく自然かと思われる*2


このコメント欄でRoweとWilliamsonが共に槍玉に挙げたのが、ニューケインジアンモデル、就中ウッドフォードのモデルである。彼らの言い分を一言でまとめると

ウッドフォードのモデルは貨幣を取り込んでおらず、バーター経済でも成立する。従って金融政策の影響を論じることができない。

ということになる。


Roweはその点を以下のようにまとめている:

Let's simplify, and assume the *level* of money follows a random walk. (expected money growth is always zero). p% of the time (when prices can change) money is neutral. (1-p)% of the time, money is non-neutral (for 1/(1-p) periods, on average). If we added a bond market, the real interest rate on bonds would also be affected by money shocks in those periods when money is non-neutral. There will be a negative correlation between real interest rates and real output.

What Woodford did was say "OK, if we keep bonds in the model, but delete money from the model, we still get the same results".

Which I don't think is right.
(拙訳)
話を簡単化して、貨幣の水準がランダムウォークに従うものとしよう(貨幣の期待成長は常にゼロということである)。時間にしてp%の割合で(価格は伸縮的となって)貨幣は中立的となり、(1-p)%の割合で非中立的になるものとする。ここで債券市場を導入すれば、債券の実質金利も、貨幣が中立でない期間は、貨幣ショックに影響を受ける。実質金利と実質産出の間には負の相関が生じる。
ウッドフォードが言っていることは、「オーケー、債券はモデルに残し、貨幣をモデルから削除したとしても、同じ結果が得られる」ということだ。
それが正しいとは思われない。

*1:やはりコメント欄に姿を見せている。

*2:ただし、前述のブログエントリにある通り、Williamson自身は、貨幣への超過需要が問題になったのは祖母の時代の流動性の罠に話であり、現在は安全資産への超過需要が問題だ、という立場を取っている。