ケインズの労働時間の予測はなぜ外れたのか?

ハーバード大のベンジャミン・フリードマン(Benjamin M. Friedman)が「Work and Consumption in an Era of Unbalanced Technological Advance」というNBER論文で、ケインズの「わが孫たちの経済的可能性」*1の労働時間の予言が間違った理由を分析している(H/T クリス・ディロー)。

Keynes’s “Grandchildren” essay famously predicted both a rapid increase in productivity and a sharp shrinkage of the workweek – to fifteen hours – over the century from 1930. Keynes was right (so far) about output per capita, but wrong about the workweek. The key reason is that he failed to allow for changing distribution. With widening inequality, median income (and therefore the income of most families) has risen, and is now rising, much more slowly than he anticipated. The failure of the workweek to shrink as he predicted follows. Other factors, including habit formation, socially induced consumption preferences, and network effects are part of the story too. Combining the analysis of Keynes, Meade and Galbraith suggests a way forward for economic policy under the prevailing circumstances.
(拙訳)
ケインズの「孫」エッセイは、1930年からの一世紀において生産性が急速な上昇することと、週の労働時間が大きく減少して15時間になることの2点を予言したことで有名である。ケインズは1人当たり生産については(これまでのところ)正しかったが、週の労働時間については間違っていた。その主な理由は、彼が分配の変化を考慮に入れていなかったためである。格差が拡大するに連れ、中位の収入(従って大部分の家計の収入)の上昇速度は彼の予測よりも低かったし、今も低い。その結果、週の労働時間は彼が予測したほど短縮化されなかった。それ以外の理由としては、習慣形成、社会的に誘発された消費選好、およびネットワーク効果といった他の要因が挙げられる。ケインズ、ミード、およびガルブレイスの分析を組み合わせると、現在の一般的な状況における経済政策の方向性が見えてくる。


なお、ディローは、格差拡大が労働時間縮小を妨げた主因であった、というフリードマンの説に納得していない。というのは、長時間労働をしているのは平均的な家計よりもむしろ銀行家や弁護士といった高収入を得ている者だからである。彼は、論文では副次的とされたネットワーク効果や社会的に誘発された消費選好の方が理由としてむしろ重要だったのではないか、と推測している。テレビの普及によって隣近所と張り合いたいという欲求が増大したほか、技術進歩がケインズの想定よりも消費財指向だったのではないか、と彼は言う。またその2つの理論は、ケインズのもう一つの間違い――収入の増加と共に貯蓄率が上昇していくと予測したが、実際には過去30年低下している――とも整合的である、とディローは指摘する。
さらにディローは、従来の経済学および自由民主主義が教えるところによれば政策においては人々の嗜好を所与のものとして扱うべきであること、および、多くの人々の嗜好がより長く働くことであること、を指摘している。失業者や無業者だけでなく、ケインズの言う15時間労働に従事しているパートタイム労働者も、フルタイムで働くことを求めている。フリードマンが指摘したようにそうした嗜好はより拡張的な財政政策で満たされるが、新古典派経済学者や右派の政治家のように人々の既存の嗜好の重要性を最も強く訴える人たちが、そうした嗜好を満足させることをひどく嫌悪するというのはやや逆説的である、とディローは保守派を皮肉ってエントリを締め括っている。

*1:cf. ここ