マクロ経済学はどこまで進んだか/Robert W. Clower

引き続き、7/7エントリで紹介した本の内容まとめ。
今日はRobert W. Clower

Robert W. Clower(1926-)

ケインズ学派のマクロ経済学の不均衡分析で業績

マクロ経済学の発展に影響を及ぼした論文・著作】

フリードマンはある点ではケインズより今世紀で最も影響力のある経済学者ではないか。

【影響を受けた経済学者】

ケインズ、マーシャル(今はその考えから離れているが)。
また、ミル、スミス、ワルラス

ケインズおよびケインズの一般理論について】

単なる経済学者、思想家としてだけではなく、政治家、批評家としても高く評価。ケインズの考えはマーシャルの考えをもとにした単純な古典派経済学の考えで、我々の住んでいる経済は、一般的には比較的首尾よく機能しているが、時として制度的に狂うこともある市場の世界であるということを示している(ただ、ヤンソンによれば、ジョン・ホブソンがすでに書いたものにケインズのメッセージはすべてある)。しかし、一般理論ではその説明でミスをしている。第3章の「有効需要の原理」は理論的にいえば完全なまやかし。経済が全体としてほぼ完全にスムーズに運営されない限り、総需要と総供給の交差する点が有効需要の点になる、ということは起こらない。また、当時のイギリスの問題は経済への政府の干渉が大きすぎた点にあるのに、さらなる政府の介入を求めたというのは気が狂ったとしか言いようがない。また、一般理論の最後の部分で、長い目で見れば世界を支配し動かすのは既得権益ではなく思想である、と述べているが、この言葉は全く無意味だと思う。しかもこれはライオネル・ロビンズ[1934]「大恐慌」の言い回しそのままである。ただ、「平和の経済的帰結」(1919)「貨幣改革論」(1923)「人物評伝」(1933)は大切な業績だ。また、「貨幣論」(1930)も、基本方程式は無視して良いが、素晴らしい文章だ。

ケインズが生きていたら第一回ノーベル賞を受賞していたか?+ノーベル賞関連】

もしかしたらなかったかもしれない。平和賞だったらもらえたかも(笑)。そもそも経済学はノーベル賞の範疇に入らないのでは?経済学者が科学分野の発展に尽くした功績でノーベル賞を受けるのは、チンパンジーが[を]大統領を[に]選ぶようなものだ。

【一般理論に関する多くの論争について】

この本は言葉だけで綴られていて、厳密な分析手法が取り入れられていないのが一般理論に関する論争の原因。

新古典派総合について】

サミュエルソンは1951年版に、後に新古典派総合として知られることになった説を加えることによって主流にのしあがった。それは下がり始めていた売れ行きを戻すために作られた考えだった。

マネタリズムについて】

ケインズマネタリスト的な側面を持った経済学者であるというフリードマンの見方は、ケインズの初期の業績を見ると当たっている。ケインズは「貨幣改革論」で貨幣ストックの調整により経済活動を調整できると主張しているが、その本がフリードマンは好きなのだろう。フリードマンケインズの初期の業績に行きつ戻りつしている。また、フリードマンはマーシャリアンであり、後期ヒックスもまたそうだった。マネタリズムが今も影響力を持っているかについては正直よくわからない。マネタリズムは我々が貨幣経済のあり方を真剣に考えるようになり、マネタリー・ベースとは何かなどというとを研究者が理解しかけていた頃に出てきた議論。貨幣が通貨だったり当座預金だったりする今、通貨の流通速度が大きく、少額のお金により大金が動いている現状を考えると、いったいマネタリズムって何だろう、とさえ思えてくる。

【合理的期待形成仮説ないしニュークラシカルについて】

ムースが1961年に言い出した仮説からルーカスが10年くらいたっておかしなものをこしらえ上げた。ムースの仮説は、数学的な経済学の理論展開がそれほど得意ではない人や、実証研究をあまりやりたくない人に刺激を与えた。合理的期待形成の考えが出てきたときは、私は経済学を本気で研究することに興味を失った人々にアピールするかもしれないと思った。合理的期待形成の考えは何て不合理なことだと私には思えるし、今はその考え方は死に絶えた。
ニュークラシカルが人気があるのは、1970年ごろ学界が変化し、数学科や工学部を出ても学生たちが学歴に見合った就職ができない状態に置かれていったため。数学科で二流と思われる人々が大挙して経済学の方にあふれてきた。経済学はほんの少し算術をやっており、大して本気で仕事をする気のない人にはまさに理想的な科目だったのではないか。

【ニューケインジアンについて】

効率賃金論などは、マーシャルの考えを一般均衡分析に移したもののように思える…といっても私には良くわからないが。あるグループが、現実の経済学をより深く学ぶために、ケインズの考えを数学的に展開しているだけだ、という向きもある。ケインズ学派にはキリスト教の宗派よりも多くの派があり、キリスト教の派閥よりも互いに憎しみあっているようだ。

【リアル・ビジネス・サイクル仮説について】

リアル・ビジネス・サイクル理論はどうしようもなく、今や消滅しかけている。もうすぐこのくだらない理論を耳にすることはなくなるだろう。とにかくこの理論は初めからおかしく、とても20年間持ちこたえられない。その考えを経済理論を構築するのに本気で用いようとした研究者がいたとは驚くべきことだ。

【成長理論について】

ほとんどの経済学者は経済成長が何だか知らないのではないか。経済成長の問題は、研究所の中であれこれモデルを考えているようなものではない。

【経済政策について】

我々はあまり役に立ちそうにないFRBを持っているが、彼らは何でもコントロールできる、とでも思っているようだ。実際は彼らのやっていることの全ては、貨幣市場をごちゃごちゃにしているだけだ。

【経済学者間の意見の一致について】

専門家たちは仲たがいばかりしているが、もし誰も論文など書かなくなったら、きっとうまくいくだろう。[かつての述懐]
[経済学の教育について]経済学にとって経済思想史は重要だと教える者が気づかなくてはだめだ。経済学は効用の最大化などということを考えなくてもちゃんと成り立っていくだろう。学生たちが現実に学んでいるのは、キリスト教の教理問答集みたいなものだ。経済学の質を高めたいと思ったならば、まず考えられる唯一の方法は、教科書を書くたくさんの書き手たちを葬り去ることだ、と言ったサミュエルソンの言葉が好きだ。

【マクロとミクロの関係】

私の主要な業績が貨幣論マクロ経済学においてみられる、と言われるのは滑稽。私のほとんどの仕事はミクロの分野。大きな反響をもたらした「ケインズ学派の反革命:理論的展望」(1965)もミクロの部類に入る。この論文の主張は、一般均衡モデルに貨幣を導入すると一般均衡の枠組みに問題が発生するということだが、別に真新しかったわけではない。ただし二重決定仮説だけは私独自の考え。ここで問題になってくるキャッシュ・イン・アドバンス制約は純粋に現金が使われている経済だけに当てはまるものだが、ルーカスはクレジットカードが使われる経済にも適用されると誤解したようだ。
マクロ経済学の欠点は何でも一つにして考えることではないか。実際は失業率にしても州によって違う。
一般均衡が成り立つ整合性の存在など正確に証明されたことはない。

【経済学と数学】

マーシャルとケインズは2人とも数学科出身だったにも関わらず、自分たちの仕事に数学が必要だとは思わなかった。数学など捨ててしまえ、などという態度を取ったマーシャルには全く賛同しない。しかし、経済学の研究に数学を使う場合は、自分は今数学ではなく経済学の研究をしてるのだということに常に留意しておく必要がある。そもそも経済学の分野に二線級の数学者しかいないのに、中途半端な数学を勉強してそれを使うのが問題ではないか。応用数学は経済学に必要だが、高等数学が必要かは疑問。経済学で使用している微積分学はそれほど高度なものではない。コンピュータのプログラミングに使う数学は確かに必要で、今後ますます重要視されるだろう。
今の経済学は現実の経済問題を取り扱うというより、何だかわけのわからない数学の一分野になりつつあるというフリードマンの指摘には同感。皮肉な言い方をすれば、自分は数理経済学者なので経済学のことは何も知らない、と言ったデブリューは、1990年以前のノーベル賞受賞者の中でただ一人率直に自分のことを言い表した。