引き続き、7/7エントリで紹介した本の内容まとめ。
Olivier Blanchard(1948-)
数多くの理論を樹立
【マネタリズムについて】
フリードマンは、全米経済学会での会長演説で行った「貨幣政策の役割」(1967)により、それまで経済モデルの曲線カーブがどうのこうのといった大変専門的で狭い範囲のことばかりやっている状態から脱出し、またその「演説」はマクロ経済学を変える大きな力になった。今マネタリズムのことをもはや耳にしなくなった理由は2つある。一つは、マネタリズムは政治における「緑の党」のように、貨幣というたった一つの問題にだけ焦点を当てたに過ぎない、という理由。2つ目は、マネタリズムが主張していたことは、今ではいわば常識的になってしまい、ほとんど研究者の間で注目されなくなったという点。欧州経済を安定させるのに安定した貨幣政策とそれによる低いインフレ率の二つが絶対条件であったことを知り、私自身はマネタリズムの主張に大変感銘を受けた。
【合理的期待形成仮説ないしニュークラシカルについて】
合理的期待の導入をもたらしたルーカスらの特記すべき貢献は、従来展開されてきた経済学の様々な命題について、ほぼ全面的に再考を促した点にある。これまでの命題は非合理的期待にもとづいていた。ただ、ルーカスがこれまでの経済学における主流的な考えをひっくり返すような考えを編み出したかというと、それほどでもない。
【ニューケインジアンについて】
私はニューケインジアンではない。ニューケインジアンの貢献は、名目価格と名目賃金の設定に関して我々の理解を高めるのに役立ったことにあるが、ものすごく役立ったわけではない。ニューケインジアンの示した教えは、マクロ経済学の議論を展開するときに不完全性の問題を取り込まなくてはいけないということだ。ニューケインジアンは、企業は自分の考えで自社製品の価格決定を行うが、その際に他企業の価格に影響を及ぼさない、という考えを唱えているが、この考えは広く受け入れられてはいない。
不完全性とは、市場価格が需要の変化に対応して調整されないときに見られる現象(=実質的な硬直性)。この現象が重要なのは、ある企業が自社製の財の価格を変更しても需要が逃げないとすると、様々な問題が生じるためだ。不完全性について考える時、メニューコストの存在が問題となるが、常に問題になるわけではない。「メニューコスト」という言葉の意味は間違って伝わったのではないか。
メニューコストについての基本的な考えは貨幣経済のメカニズムを考える上で重要。つまり、全ての価格がいつも同じように変化するということは無いし、ある財の貨幣価格の変化は、数多くの企業が価格を決定する際に何らかの影響を及ぼすと考えるのは自然だろう。そう考えると、安定している貨幣経済のもとでは価格水準はそう大きく変化することもないので、総需要の変化は利子率と産出に主として影響をもたらす、と考えるのが間違いではないことがわかる。
効率賃金説は重要な説ではあるが、賃金決定に関する一つの説に過ぎない。
【成長理論について】
1%の成長率の達成は、経済の安定性をかなり犠牲にした上で達成されることは否定できない。そのため経済学者は、経済の安定性を確立するのにエネルギーを使ったほうがよりましだ、と考えてきた。経済学者の中には、経済成長をもたらす政策について研究するよりも、成長の要因を詳しく追究する、というように研究テーマを変えた研究者もいる。1980年代半ば以降のローマーとルーカスのこの分野の研究は興味深い。ソローの成長モデルなどの従来の成長モデルでは、技術進歩が十分に説明されないまま議論が展開されてきた。
【非自発的失業と完全雇用】
非自発的失業という概念をもう使わないほうが良いというルーカス(1978)に賛成だ。また、高い失業率のため市場そのものが崩壊してしまったようなところでは、非自発的失業がどうのこうのという議論などとてもできない。
かつてサマーズと論文を書いてきた頃は、欧州の高い失業の原因を、生産性が低下しても労働者が賃上げ要求を続けるというヒステレシスの概念に求めた。しかし最近は、労働と言うものについて何か別の概念があるのではないか、と考えるようになった。企業が高い利益を上げても雇用を増加させてないことが問題。同時に、高失業率が長期間続くと社会学的・心理学的な変化が起き、それがより高い均衡失業率をもたらすのではないか。
【自然失業率とNAIRU、およびフィリップス曲線について】
自然失業率とか均衡失業率というものは、概念的なものであって、名目的な硬直性が存在しないときに発生する失業率。一方、NAIRUは実証的なもので、現実的に自然失業率に対応するものであり、自然率を計測することにより失業とインフレの関係がどうなっているか何らかの方向性を示してくれるもの、と言える。
【経済政策について】
欧州の高失業率に対する正しい解決策は、成長促進の引き金となる需要増大政策。その政策の導入で成長が促進されたら、その利益を社会改革を遂行するために使う、という方向性を確立すべき。英国の失業率が低下したのは、労働市場の伸縮性を高めるような政策のためではなく、ケインズ的な政策のため。
EMUについてはマクロ経済学者として反対。EUは労働の移動性から考えて最適通貨圏とは思わない。通貨統合が財政統合には結びつくとは思わないが、経済活動から取り残された地域への財政支援は起きるだろう。財政支援は一見良さそうに見えるが、基本的には未来永劫続くものであり、賃金と労働の伸縮性を高めるのに有害な危険な手段だと思う。
経済の安定化のための財政政策について言えば、米国では財政政策よりも金融政策を重宝する傾向にある。これは政府への不信が以前より高まったためであり、ある意味で経済学の大きな変革を示している。
中央銀行の独立性は確かに重要だが、中央銀行はインフレだけに目を向け、産出や雇用に目を向けなくて良いという考えには反対。グリーンスパンは、中央銀行の信頼性は、責任ある柔軟な金融政策を遂行していれば、自然に確立されるものだ、と述べている。
東欧経済の移行については、政策による産出の増減幅が大きいことに衝撃を受けた。1996年の論文では、経済内にあるすべてのひずみを取り除いたら自動的に産出は増加すると主張した。現実にはすべてのひずみは取り除けないし、取り除くと帰って問題を悪くするひずみもあるが、生産に関するU字型形態の研究は、移行期の産出がなぜ減少したかを説明する手がかりになった。
【経済学者間の意見の一致について】
今のマクロ経済学の主流な考えは、産出は短期的は総需要のシフトに影響され、中・長期的には供給側の要因に大きく影響されるというものだ。また、多くの経済学者は、理由は良く知らないが、名目貨幣の変化が産出に変化を及ぼすと考えている。経済学者は、様々な市場に不完全性がはびこっているゆえに経済の変動が生じるという認識では一致している。マクロ経済学はあれやこれやで一層混乱しているが、様々な理論がよーいどん、と一緒になって今や第一コーナーを曲がろうとしているように見える。研究を始めた頃は、モデルを組んで展開するという仕事は素晴らしく思えたが、最近はマクロ経済学が得体の知れない怪物しか住まないわけのわからない世界に引きずり込まれてしまったことを憂慮し、もっと実用的な問題を議論すべきと考えている。時代遅れになったり、あまりに常識から離れている考え方は徐々に消えていったが、変化していくプロセスはなかなか時間がかかる。